研究会・出張報告(2014年度)

   研究会報告

【日時】2015年3月2日(月)13時00分〜17時30分
【場所】上智大学四谷キャンパス2号館6階615会議室
報告者1:小林寧子(南山大学)「インドネシア・ムスリムとパレスチナ問題:1930年代のイスラーム定期刊行物を中心に」
報告者2:松本ますみ(室蘭工業大学)「日本占領下中国ムスリムが伝えた中東情勢:1930年代末から1940年代初頭」
報告者3:山根聡(大阪大学)「ウルドゥー詩にみられるパレスチナ問題:インド・ムスリムのまなざし」
コメント:臼杵陽(日本女子大学)

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 「パレスチナ問題は1930年代からアジア各地のムスリムの関心を集め、今日にいたるムスリムの世界連帯を醸成してきた」という仮説をめぐって、インドネシア、中国、南アジアをそれぞれ専門とする3人の研究者が報告を行った。
 小林氏は、1920年代からカイロに渡るインドネシア人留学生が急増したことや、1931年にエルサレムで開催された世界イスラーム諸国会議に彼らが参加したことなどをとりあげたのち、そのような動きと並行して、インドネシア(蘭領東インド)本国のイスラーム定期刊行物がパレスチナ問題を継続的に扱うようになった事実を紹介した。記事の大半は中東から寄せられた情報を伝える時事報道であったが、インドネシアとパレスチナの命運を重ねて論じたエッセイなども散見された。1930年代末に開催された全インドネシア的なムスリムの会議で「パレスチナの同胞を助ける義務」が宣言されたことにはこのような背景があるという。
 松本氏は、日中戦争時、複数の漢語イスラーム雑誌が中東情勢を掲載していたことに着目し、その比較検討を行った。『月華』をはじめとする抗日雑誌が、抗日ナショナリズム運動を高める目的で中東情勢やパレスチナ問題を扱っていたのに対し、(反英の)日本の指導下で1940年から発行された『回教週報』は、情報収集の点でより優れており、国際情勢の有用な分析をともなうパレスチナ関連記事を掲載しつづけた。読者層は定かではないが、同誌における分析の内容は、現代のわれわれが共有するものとあまり変わらないという。
 山根氏は、政治的主張をともなったウルドゥー詩の分析を通じて、英領インドのムスリムの間でパレスチナ問題への関心と汎イスラーム主義の気運が高まっていく過程を説明した。インドでは1910年代から中東情勢への関心が高く、ムハンマド・イクバールらの詩においてムスリムの連帯が表現されていた。1920年代のトルコのカリフ制廃止はその動きに拍車をかけ、さらに1930年代においては、イクバールを中心に、西欧の文明とシオニズムへの批判が、強烈な言葉をもって展開された。パレスチナ問題はまぎれもなく同胞の問題として受容され、その連帯の意識や精神は今日にも引き継がれているという。
 以上の報告を受けて、パレスチナ問題に通暁した臼杵氏がコメントを行った。臼杵氏は、1936-39年のパレスチナ・アラブ大反乱や1939年の「パレスチナ白書」という、イギリス植民地政府がアラブ・パレスチナ支持に傾くまでの一連の政治的動向をとりあげ、その重要性を指摘した。このイギリス植民地政策の展開が、同じ英領であるインドのムスリムの運動を活気づけたといえる一方で、英領ではなかったインドネシアや中国のムスリムに同様の力学は作用していないであろうという見方が示された。

文責:佐々木拓雄(久留米大学)