研究会・出張報告(2013年度)

   出張報告


期間:2013年9月5日(木)~9月13日(金)
国名:ヨルダン
出張者:北澤義之(京都産業大学外国語学部教授)

概要:
 ヨルダンは他のアラブ諸国と同様に民主化運動の影響が注目される中で、本年度は総選挙・地方選挙を実施している。ヨルダンでは1月に総選挙、8月に地方選挙が実施されているが、いずれも低投票率が指摘されている。総選挙は2010年(53%)よりは多少投票率が上がったが、投票率は56%であり、潜在的有権者(選挙未登録者を含む)に対する投票率では30%台である。また地方選挙に関しては6年前の50%を大きく下回り30%であった。有力視されるイスラム系の政治団体(IAF)のボイコットも影響していると思われるが、それ以上に深刻な社会問題に対する政府の対応能力や変革への期待感の薄さが反映されているものと考えられる。今回は、周辺諸国の政治変動を背景に一見政治的安定を保っているヨルダン社会の現状把握を主な目的として資料調査、聞き取り調査を行った。アンマンにおいては、ヨルダン統計局(写真1)における資料調査およびヨルダン大学(写真2)における研究者との意見交換を行った。特にシリア情勢の悪化にともなう大量の難民の流入問題が議論の中心だった。また北部イルビド近郊の村での調査(写真3)では、地方都市の社会・経済の基本的特徴と問題点、シリア難民問題の影響の一端を知ることができた。

kitazawa figure 1  
(写真1) 

kitazawa figure 2  
(写真2)

kitazawa figure 3  
(写真3)

〔ヨルダンのシリア難民問題〕
 ヨルダンのシリア難民は、当初、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が想定していた人数(2013年7月までに30万人)を超えている。2013年5月の時点で473,587人のシリア人が難民登録または登録待ちである。このうち11万人がZa’atriキャンプに住み、残りが都市や郊外の施設にいる。シリア人の全てが直接UNHCRの援助を求めて連絡を取るわけではないが、UNHCRの推定では、2013年待つまでにヨルダン内で援助を必要とするシリア人は100万人に達する。30万人が難民キャンプに収容され、70万人がヨルダン各地の都市や郊外に拡散・滞在することになる。また継続的な難民の流入に対し、地方社会の許容量の限界もあり、ヨルダン政府からキャンプでの難民ケアへの要求が強まっている。マフラク県にある2013年7月設置のZa’atriキャンプは、2013年5月に許容量いっぱいとなった。2013年3月末に、政府はアズラク近郊に段階的に拡大しつつ建設中の難民キャンプ(最終的に13万人収容予定)設置を認可した。さらに、UAEの赤三日月社の援助によるエミレーツ・キャンプ(EJC)(前Mreijeb al-Fhoudキャンプ)が当初5000人規模で設置され、3万人規模に拡大予定となっている。2013年末までに到着する予定のシリア難民を想定すると、EJCのさらなる拡大の可能性がある。識者の見解では、これらの「登録難民」以外のシリアからの流入者はさらに同数またはそれ以上国内に存在するものとみられ、広い意味での「シリア難民」は9月の時点ですでに100万人以上いるものと考えられる。

〔北部地方社会の現状〕
 また後半はパネルデータ収集のための予備調査に同行し、北部のイルビド近郊のクフル・マーア村の民家に滞在する機会を得て、ヨルダン地方都市の現状を調査した。同村は、1960年にアメリカの人類学者R.Antounが調査を行っており(R.Antoun, Arab Village: a Social Structural Study of a Transjordanian Peasant Community, Indiana Univ. Press, 1972)、同研究とのデータ上の通時的比較の有効性から北部農村調査の対象として選ばれた。同村の調査は、ヨルダンの政治・社会構造を研究する上で常に問題となる「部族社会」的特徴の現状を知る上でも重要性を持っている。概してヨルダンの成人の多く(特にヨルダン南部住民)が、パブリックセクター、特に軍・治安関係の職業につく傾向にあることは知られているが、農村地帯とされる北部地方においても、農業・地場産業より軍・治安関係への就業者が多いことは、滞在したR家(両親および14人の子供)(写真4)の就労年齢期の男子成員のすべてが軍・国内治安関係の職業に従事し、また従事した経験を持つことからも、その一端をうかがうことができた(女子成員の多くは村役場(バラディーヤ)に勤務)。現在65歳のR家の当主自身軍に勤務し、またイスラエルへの出稼ぎを経験している。同氏の話では、同村の成人男子の7割以上が軍に勤務しているのではないかとのことであり、正確な数字は更に確認する必要があるが、住民の実感としても就職先としての軍の役割はかなり大きいことがわかる。


kitazawa figure 4-1  
(写真4-1)

kitazawa figure 4-2  
(写真4-2)

kitazawa figure 4-3  
(写真4-3)

〔地方から見た難民問題〕
 北部地方においては、エジプト人の出稼ぎ労働者に加え、シリア人の労働者が増え、それがヨルダン人も交えて、少ない労働市場を巡り競合関係にある。現時点ではそれが社会問題・政治問題化していないが、長期的には注目する必要がある。登録されたシリア「難民」だけでなく、短期労働者また姻戚関係を頼って移動してきたシリア人を含めると、近年のシリア情勢のヨルダン社会に及ぼす潜在的影響は大きい。北部は歴史的シリアの南部を構成していたこともあり、シリアとの縁が深いが、これも関係の深かったパレスチナがイスラエルの占領下にはいってからは、シリアとの人的交流は更に強くなったようである。因みに滞在したR家においては、20人ほどのシリアからの難民を数か月滞在させたことがあるとのことであり、近年のシリア難民流入の直接的影響が地方社会にも及んでいることの一端がうかがえる(UNHCRの9月時点での情報では難民キャンプ居住者よりヨルダン国内に居住している難民の数の方が圧倒的に多い)。社会サービス、特に水不足が課題となっているヨルダンで、100万人以上の難民が増えることは更に問題を深刻化させる可能性がある。ヨルダンは建国以来、パレスチナ難民問題と深くかかわる中で国民統合に苦慮してきたが、近年でも湾岸戦争による大量の帰国者問題、イラク戦争のイラク人難民問題に直面してきた。そのイラク人難民の社会経済的影響力が解消しない中で、さらに多様かつ多量のシリア難民を受け入れることは、様々な局面での複合的な影響が考えられる。

 文責:北澤義之(京都産業大学外国語学部教授)