研究会・出張報告(2013年度)
出張報告- ウズベキスタン出張報告(2013年9月5日~9月13日)
期間:2013年9月5日(木)~9月13日(金)
国名:ウズベキスタン
出張者:
東長靖(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授)
和崎聖日(京都大学地域研究総合情報センター研究員)
二ツ山達朗(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程)
(以下、SIAS以外の支出にて出張も共同で調査)
赤堀雅幸(上智大学外国語学部教授)
三沢伸生(東洋大学社会学部教授)
今松泰(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科客員准教授)
高橋圭(上智大学アジア文化研究所客員所員)
概要:
本調査においては、中央アジアのウズベキスタンの聖者信仰の実態を調査すべく、サマルカンド、ブハラ、フェルガナ盆地、タシュケントの各地域の聖者廟を訪れた。訪問先の聖者廟において、可能な限りイマームや聖者の子孫などにインタビューを行い、聖者にまつわる伝承や聖者廟参詣などの実態について聞き取り調査をした。調査者は中央アジア、中東、トルコなどの各地域を専門として、異なるディシプリンからなるため、ウズベキスタンと他の地域との差異についての議論が多くなされ、このことがこの地の聖者信仰の深い理解につながった。
■9月5日 サマルカンド
タシュケントからサマルカンドまで電車による移動ののち、昼前からサマルカンド郊外の聖者廟を回る。まず、15世紀のスーフィー聖者として知られるホージャ・アフラールの聖者廟を訪れる。女性の集団参詣者が訪れ、泉の水を飲んでいる場面に遭遇した。昼食にマントゥを食し、午後は時間の許す限りで、アブディー・ダルーンと思われる廟、シャーヒー・ズィンダ墓廟建築群、アブー・マンスール・アル・マートゥリーディー廟、レギスタンを訪れた。
■9月6日 サマルカンド
午前はサマルカンド郊外の16世紀のナクシュバンディー教団のシャイフであるマフドゥーミ・アーザムの墓廟とブハーリー廟を訪れる。昼食はウズベキスタン名物のポロフを食した。午後は巨人の伝説が残るホージャ・ダニエル廟、古井戸と聖水の聖者として知られるハズラティ・ヒズル廟、ティムールによって建設されたビービー・ハニーム・モスクとその廟を訪れた。
■9月7日 サマルカンドからブハラへ
午前中はバスによりブハラへ移動し、午後からブハラ東方の郊外を回る。まずバハー・ウッディーン・ナクシュバンドの師であり、陶工であったと言われるサイイド・アミール・コラール(クラル)の聖者廟を訪れる。次にカスレ・アーリーファーン村にあるバハー・ウッディーン・ナクシュバンドの墓廟群を訪れる。ナクシュバンディー教団の開祖である彼は、この村に生まれ、晩年はここで多くの弟子を集めたとされる。現在でも参詣者が多く集まっており、巨木に願掛けをする信仰が残っている。また、廟の前を通行する全ての車が速度を落として徐行する慣習があることは印象的であった。次に、ブハラへの帰路の途中でサイフ・ウッディーン・アルバーハルズィー廟を探したが場所が特定できず、その変わりにピーリ・ダストギールという11世紀にバクダートで学んだ聖者の廟を訪れた。
■9月8日 ブハラ
まずブラハ北方のグジドゥワーニー村にあるアブド・アルハーリク・グジドゥワーニー廟を訪ねる。また、現在も残っている村の陶工を見せてもらい、陶器制作の手法を見学した。次にブハラ市内から西に5kmほどのスミタン村にあるチャール・バクルの墓廟建築群を訪れる。次に9世紀末期に中央アジアのイスラーム化に影響を及ぼしたイスマーイール・サーマーニー王家廟、そこに隣接している泉の水が病気治癒をすることで有名なチェシュメ・アイユーブ廟を訪れた。一部の人は、ジョチ・ウルスのベルケをイスラームに改宗させたと伝えられる、クブラヴィー教団のサイフッディーン・バーハルズィー廟を訪れた。同じ敷地には、14世紀中葉のチャガタイ・ウルスの君主ブヤン・クリ・ハーンの廟も存在している。さらにナクシュバンディー教団に属し、イブン・アラビー『叡智の台座』の注釈者としても有名なムハンマド・パールサーの廟(ブハラ市街地の小路の裏手にある)、を訪れた。
■9月9日 移動日 ブハラ-タシュケント-フェルガナ盆地
この日は移動日であり、ブハラからタシュケントへ空路で、タシュケントからフェルガナ盆地へ車により移動した。タシュケントで和崎氏のウズベキスタンでの指導教官であるアシロフ氏に合流し、これより先はアシロフ氏の案内により調査を進めた。フェルガナ盆地はちょうど綿花の収穫が始まったばかりで、一面に広がる綿花畑で人々が作業をする景色をよく目にした。
■9月10日 フェルガナ盆地
フェルガナ州のカッタ・ケナガス村にあるブズルグ・ホージャの廟を訪ねる。ブズルグ・ホージャはカシュガル・ホージャ家アーファーキーヤ(ナクシュバンディー教団のマフドゥーミ・アアザムの子孫)のジャハーンギールの息子であり、現在もその子孫がおり、彼らにインタビューをさせていただき、また数々の遺品を拝見した。墓地にはナビーラ・ホージャ、詩人として有名なハズィーニー・マザールがあり、その横にはチッラ・ハーナがあったとされる。次にバスターン・ブヴァの廟を訪ねる。廟の水を飲んだり、数キロ離れた場所にある砂風呂に浸かったりすると病気治癒になるとされ、現在も大勢の人が参詣をしていた。次にビビー・ウバイダの廟を訪ねる。メディナから持ち帰った石があるとされ、大樹の下には腰掛けるとバラカが得られる石が鎮座していた。最後にビビー・ウバイダの孫であるポショ・ピーリムの聖者廟を訪れて日没を迎えた。
■9月11日 フェルガナ盆地
ナマンガン州における調査をする。まず1668年に死亡したと記されている墓石があるムッラー・バーザール・アーホンドの廟を訪ねる。次にマウラーナー・ナマンガーニーの廟、隣接するナマンガーニーの娘であるムイラ・ホーン、ひ孫のアブドゥッラーハーン・トラの聖者廟を訪ねる。現在でもコーカンドから参詣に来る人が多いとされ、ズィクルの方法をインタビューすることができた。次にアミーン・ホージャ廟を訪ね、イブラヒム・ホージャ、ヤークーブ・ホージャなど6人が眠る墓を訪ねる。彼らが使用したとされるチッラ・ハーナ(現在はモスクとなっている)でインタビューを行った。お昼はウイグル料理を食した。午後はカーサーンサイ市にあるモスクとマフドゥーミ・アアザムの廟(モニュメント)を訪ねる。また、夕方にアシロフ先生のご実家を訪問した。
■9月12日 フェルガナ-タシュケント
フェルガナ盆地からタシュケントへ移動。夕方に時間があったので、タシュケント市内から12kmほど郊外にあるゼンギー・アタ廟とアンバル・アナ廟を訪れた。
■9月13日 タシュケント
東長教授と三沢教授が早朝の便でタシュケントを発ち、残るメンバーでタシュケント市内の廟を訪問した。まず、19世紀に建てられたバラク・ハーンのマドラサ、シャイフ・アブー・バクル・カッファール・シャーシー廟、カリフ・ウスマーンのクルアーンを保存する博物館などを訪問した。次に、シャイフ・ハーヴァンド・タフール廟とカルディルガチ・ビー廟、最後に郊外にあるザイヌッディーン・クーイ・アーリファーニー廟を訪ねた。裏手の地下にあるチッラ・ハーナが真っ暗な密室になっており印象的であった。残るメンバーはこの日の夜の便でタシュケントを発った。
文責:二ツ山達朗(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程)