研究会・出張報告(2013年度)
研究会報告- 国際ワークショップ"Comparative Study of Isra Miraj in Southeast Asia"
(第3回「東南アジア・キターブの比較研究」ワークショップ) (2013年5月18日上智大学)
(NIHUイスラーム地域研究上智拠点、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究共催)
日時:5月18日(土) 13時~17時
場所:上智大学四谷キャンパス2号館6階630A会議室
預言者ムハンマドが一夜の間にマッカからエルサレムへ移動し、さらに天界へ運ばれてアッラーや過去の預言者たちと相まみえたというイスラーゥ・ミアラージュの故事は、クルアーンのイスラーゥ章や多くのハディースでも言及されているイスラームの教義の一部である。同時に、イスラーゥ・ミアラージュの故事は、世界各地のムスリム社会で祭日として祝われるとともに、その物語性から多くのテキストの題材となってきた。本研究会では、東南アジア、特にジャワとミンダナオにおけるイスラーゥ・ミアラージュを題材としたテキストが検討された。その結果、アラビア語、ジャワ語、マレー語、マラナオ語によるイスラーゥ・ミアラージュに関するテキストの存在が確認されるとともに、アラビア語やペルシア語のテキストを通して中東から直接影響を受けた可能性や、東南アジア現地での独自の解釈や創意工夫の形跡、スーフィズム思想との関連がうかがわれ、今後の研究の発展につながりうる成果があった。
第一セッション:The Isrā’ Mi‘rāj in Indonesia: An overview
Dr. Dick van der Meij
(Consultant, Center for the Study of Religion and Culture (CSRC), Syarif Hidayatullah State Islamic University (UIN) Jakarta)
本報告では、インドネシアにおけるイスラーゥ・ミアラージュの重要性と、イスラーゥ・ミアラージュに関する文献研究の重要性が論じられた。イスラーゥ・ミアラージュは、インドネシアでは祭日であり、モスク等で説教を聞く集会が開かれる。インドネシアでは、イスラーゥ・ミアラージュを主題にした写本や印刷物が見られるものの、イスラーム諸学においてそれほど頻繁に扱われるテーマではなく、図書館に収められるような学術書、宗教書ではあまり論じられていない。むしろその物語性から、大衆的な説教等で扱われることがある。子供向けの絵本の題材にもなっている。また、イスラーゥ・ミアラージュを祝う集会で読まれるキターブ・クニンのテキストがいくつか確認されている。報告者は、アラビア語、マレー語(ジャウィ)、ジャワ語、スンダ語で記された十二のテキストを確認している。これらのテキストは先行研究に分析がほとんどない未開拓の研究対象であり、新たな研究の可能性がある。
本報告に関する討論では、インドネシアのムスリム社会におけるイスラーゥ・ミアラージュの祭日の意義(エルサレムの重要性や預言者ムハンマドを意識すること)や、祭日の前後に行われる活動(クルアーン朗誦コンテスト等)が確認された。また、イスラーゥ・ミアラージュを祝う際に使用されるテキストが中東から広まってきた過程で、スーフィー教団が大きな役割を果たしたのではないかという指摘があり、スーフィー思想とイスラーゥ・ミアラージュのテキストの関係も議論された。研究班代表者の川島緑からは、イスラーゥ・ミアラージュの四言語のテキストを比較する研究の提起があった。
第二セッション:The Night Journey Translated by Ahmad Rifa’i Kalisalak
Dr. SUGAHARA Yumi (Osaka University)
本報告では、アフマッド・リファイ・カリサラックによって1845年にジャワ語で記されたイスラーゥ・ミアラージュのテキストNazam Arjaについて論じられた。アフマッド・リファイは、アラビア文字表記によるジャワ語(ペゴン)で記されたイスラーム宗教書を最も早い時期に執筆した人物の一人である。ペゴンで記された宗教書は、ジャワの農民がイスラームの教義について理解しやすくなるために有益であった。アフマッド・リファイは、オランダの植民地当局と協力する官吏等のムスリムを「不信仰者」として激しく非難する宗教書、特に法学書を数多く著したが、このテキストは、ナザムという四行詩のスタイルによる預言者ムハンマドが天界と地獄をめぐる物語である。テキストには、ムハンマドがアッラーに請うて人間に課せられた日々の礼拝の回数を減らしてもらう経緯や、ムハンマド以前に預言者たちに下された啓典への言及も含まれる。地獄において「不信仰者」が罰せられることやそれを避けるために「悔悟」が必要であることを繰り返し訴える箇所は、オランダへの協力者に対する批判を反映しているとも考えられる。テキスト中では、他の彼の著作同様ジャワに馴染みのないアラビア語が多用され、「礼拝」や「ロバ」といった日常用いられる単語さえ、ジャワ語やマレー語ではなく、アラビア語で記されているが、このことは、このテキストの元になっているアラビア語のテキストがあることを示唆しているとともに、アフマッド・リファイが、ジャワの民衆に対してイスラームの教義をできるだけ原型に近いかたちで伝えようと意図したと考えることもできる。
本報告に関する討論では、ジャワ語、マレー語には古くから多くのアラビア語が混入してきており、アラビア語由来の単語が多く見られるからといって、元になったアラビア語のテキストがあったとは断定できない、アフマッド・リファイのオリジナルかもしれないし、元のテキストはペルシア語であるといった可能性もある、という指摘がなされた。
第三セッション:The Maranao Tale of the Journey of Prophet Muhammad to the Seven Layers of Paradise and Hell: Interim Findings
Prof. KAWASHIMA Midori (Sophia University)
フィリピン南部のマラナオ人ムスリム社会において、イスラーゥ・ミアラージュは、イスラームの知識を伝達するためのキターブで扱われるとともに、口伝文学や工芸の題材にもなっている。本報告では、マラナオ語でイスラーゥ・ミアラージュを扱った四つのキターブについて論じられた。これらのテキストや口伝からは、マラナオ社会では、イスラーゥ・ミアラージュは、それのみが単独のメインテーマとして扱われるよりも、来世の描写、マウリド・ナビー(預言者ムハンマドの生誕記念)、ヌール・ムハンマド(ムハンマドの光、スーフィズムの重要な概念)といったテーマの作品の中で言及される場合が多いように見受けられる。マラナオ語によるイスラーゥ・ミアラージュに関するテキストは、マレー語のテキストを基にしている場合が多いが、複数のテキストに基づいている場合や、マラナオ社会現地での独自の解釈が加えられている場合が多い。また、マッカやカイロでアラビア語のテキストに接した人が、マレー語のテキストを経由せずにアラビア語から直接マラナオ語に訳した例もあると考えられ、その由来や伝達の経路は多様であったと推測される。マラナオ語によるイスラーゥ・ミアラージュのテキストを研究することで、マラナオ人ムスリムの知識人や創作者による創意工夫を理解することができる。
本報告に関する討議では、マラナオ社会ではイスラーゥ・ミアラージュが来世やマウリド・ナビー、ヌール・ムハンマドといったテーマの中で言及されているのが特徴的ではないか、という指摘があったがマレー語のテキストでも同様の言及のされ方が見られるという指摘もあった。
総合討論
まず、青山亨から総合コメントがあった。イスラーゥ・ミアラージュは、ムハンマドに起こった神秘的な出来事という、それ自体は断片的な語りが、しだいに奇想に充ちた一連のエピソードの連続からなる物語として、民衆に親しまれる形で、語られるようになったと考えられる。さらに、イスラーゥ・ミアラージュのテキストには二つの側面がある。一つはムハンマドの天界への上昇と地上への帰還というスーフィズムと結びついた哲学的な側面であり、もう一つは天国や地獄の(とりわけ後者の生々しい)描写で民衆の想像をかきたてる側面である。最後に、イスラーゥ・ミアラージュというテキストを理解するためには、唯一の真正なテキストが存在するという立場ではなく、様々なテキストが、相互に参照しながら、様々な形態のイスラーゥ・ミアラージュ物語を語り継ぎながら、新たなテキストを作り上げていくプロセスとして見る必要があるとの指摘があった。
総合コメントに続く討論では、イスラーゥ・ミアラージュに関わる様々な儀礼や宗教的実践の例が検討された。イスラーゥ・ミアラージュの祭日に子供のクルアーン朗誦大会が開かれたりする事例も見られるが、ジャワでも地域差があり、それほど多くの儀礼や宗教的実践に結びついている訳ではないとの指摘があった。次いでクルアーンのテキスト解釈とイスラーゥ・ミアラージュのテキストの関係性を検討する必要性が議論された。クルアーン解釈のテキストであるタフスィールを参照しながらイスラーゥ・ミアラージュのテキストを分析するという方法もありうるのではないかという提起があった。また、イスラーゥ・ミアラージュのテキストとスーフィズムやヌール・ムハンマド思想の関係を検討することで、さらに研究を発展させていくべきではないかという方向性も提起された。
文責:塩崎悠輝(同志社大学神学部助教)