研究会・出張報告(2012年度)
出張報告- インドネシアにおけるイスラームと地方政治の動向(2月19日(火)~3月11日(月)
期間:2月19日(火)~3月11日(月)
国名:インドネシア
出張者:見市建(岩手県立大学・准教授)
概要:
本出張はインドネシアにおけるイスラームをめぐる政治・社会状況を、地方分権化の進展により重要性を増す近年の地方政治の文脈を踏まえて把握することを目的とした。より具体的には、各地の政治的競争において宗教的要素が(エスニシティや政党の組織的動員といったその他の要素との関連のなかで)、いかなる役割を果たしているのかを明らかにすることである。
インドネシアでは1998年の政変以降、政治的自由化と地方分権化が進み、地方における政治的競争が激しくなっている。各地では2014年に控えた総選挙と大統領選を睨みながら、2005年に導入された直接選挙制によって選出された地方自治体首長の改選期を迎えている。本出張においては、首都のジャカルタ特別州、ジャワ島外で最大の都市メダンを州都とする北スマトラ州においては知事選についての、アチェ・ダルサラーム州においてはより一般的な政治的コミュニケーションについて、関係者の聞き取りと資料収集を行った。
2012年7月と9月(決選投票)に行われたジャカルタ州知事選では、各候補の政策に大きな違いはなく、地元ブタウィ人アイデンティティを前面に出した現職のファウジ・ボウォと新人の副知事候補、ジャワ人ムスリム(ジョコ・ウィドド)と華人キリスト教徒(バスキ・チャハヤ・プルナマ)の正副候補による事実上の一騎討ちとなった。ブタウィ人アイデンティティはイスラームと表裏一体である。ファウジ・ボウォ陣営は政党連合や官僚機構による組織的動員とモスクの説教などにおける宗教キャンペーン(事実上宗教的差異に基づく対立候補へのネガティブキャンペーン)を行った。これに対して対立正副候補は地方都市の首長としての実績と庶民的イメージでメディアの寵児となった。闘争民主党とグリンドラ党の支持を受けたが政党色は抑え、現職の大連立に対して「庶民との連立」を訴えた。
本選挙は一般的にジョコ・ウィドド陣営がメディアにおけるイメージ形成に成功し、それが現職の組織的動員を上回ったと解釈されている。しかし、選挙結果を詳細に検討すればエスニシティによる亀裂投票は明らかである。報告者はブタウィ人集住地区においてファウジ・ボウォ組の支持率は高いことを明らかにしている。さらに本出張における両陣営のウラマーや選挙参謀へのインタビューによって、ブタウィ人へのアピール(宗教キャンペーン)は一定の効果があったことを裏付けられた。他方でブタウィ人以外のムスリムには支持が広がらなかった(ブタウィ人は人口の3割程度、その他ジャワ人、スンダ人、華人など)。当選した対立候補ジョコ・ウィドドも防戦的に宗教性をアピールし(象徴的に7月の第一回投票直後にメッカ巡礼を行った)、当選後はとりわけイスラームを含むブタウィ文化への配慮(民族衣装の着用、文化施設の改修やモスク建設)をみせて和解を試みている。
2013年3月7日に行われた北スマトラ州知事選では、現職州知事が汚職で逮捕されたため知事職を代行していた副知事ガトット・プジョ・ヌグロホが立候補、他の4組を抑えて当選した。ここでも政策に大きな違いはなかった。北スマトラ州は、キリスト教徒が多いバタック人、華人、ムスリムが大半のジャワ人とムラユ人が混在する。ガトット組はジャワ人とムラユ人、第2位の得票だったエフェンディ組はキリスト教徒バタック人とジャワ人、他3組にもそれぞれバタック人がいた。しかしバタック人のなかでもいくつもの下位区分があり、ムスリムも少なくない。北スマトラ州知事選においては候補者間で宗教やエスニシティによる明確な差異、すなわち対立軸を見出すのは困難であった。
ここでも政党のイデオロギーも重要ではなかった。2008年に当選したシャムスル・アリフィン前州知事はイスラーム主義系の福祉正義党の支持を受けたが、裏社会にも精通する「ゴッドファーザー」であり、おおよそイスラーム化とは無縁の人物であった。本選挙でガトット代行知事は別の元州知事の弟で実業家、スルダン・ブルガイ県知事のトゥンク・エリィ・ヌラディを副州知事候補に迎えた。さらに、スルダン・ブルガイ県の副知事は別候補の副州知事候補となった。政党との結びつきよりすでに地盤を持つ有力者を担ぐことが優先された。他方、闘争民主党が立てたエフェンディは地元選出の国会議員で、キャンペーンにおいては党首メガワティや急速に全国的な人気者となった前述のジョコ・ウィドドを前面に出す戦略をとった。政党よりもジョコ・ウィドドの人気がエフェンディ組の追い風になったが及ばなかった。本選挙における正副知事候補各組に共通する特徴は、県知事・県副知事の経験者(10名中4名)と国会議員(2名)が多いことであった。勝利したガトット組の得票は34パーセントあまり、33の県と市のうち第一位だったのは16に留まり、得票は地域によってかなりばらつきがあった。より詳細な検討が必要ではあるが、地域的な知名度と利益誘導が最も重要な要素であったと思われる。
北スマトラ州知事選で当選したガトット-トゥンク・エリィ・ヌラディ組(略称Ganteng=ハンサム)の選挙ポスター
北スマトラ州知事選候補エフェンディ-ジュミラン組の横断幕(左、および右奥)。同じ闘争民主党に擁立されたジャカルタ州知事ジョコ・ウィドド(通称Jokowi、一番左)の応援を受けた。
アチェ・ダルサラーム州では昨年4月に州知事選が行われた。同州における権力交代は州議会の与党アチェ党内部の権力闘争によって説明されている。アチェ党は2005年の和平協定以前まで独立闘争を繰り広げていた自由アチェ運動(GAM)が設立した地方政党であり、2009年の総選挙に際して結成された。本出張では州知事選とアチェ党内の政治についてではなく、アチェにおけるイスラームをめぐる政治的コミュニケーションについての予備的調査を行った。アチェではイスラーム法が実定法として施行されているが、それとは別に、県単位で政令や首長決定がだされることがある。昨年はバイクの二人乗りで後部座席の女性が跨いで乗車することを禁止する奇妙な政令が話題になった。また、異端的な宗派に対する襲撃事件が散発している。地方自治体による上記のような規則の制定や異端的な宗派への襲撃事件はインドネシアの他地域でも2000年代初頭から多数のケースがある。これらはしばしば急進的で不寛容な解釈のイスラーム化の一例として報道される。しかし、地方自治体の「イスラーム的」規則制定は多くの場合、首長などの示威行為や「人気取り」を目的として行われる。こうした行為が実際に支持を得るかどうかはともかく、イスラーム的な規範の主張は反論が難しい。なお、イスラームだけではなく、(しばしばイスラームと結びついた)地域的な伝統文化や慣習法などの規範が強調されることもある。南アチェ県では、2010年に県知事が綱紀粛正を名目として女性公務員に体のラインが露わになるタイトな服を禁止するとともに、男性公務員の髭を禁止した。県知事は髭の禁止の理由として、「イランであるまいし」と会見で述べた。また近年、補助金獲得を目当てにダヤと呼ばれるイスラーム学校の新設が相次いでおり、その競争の過程でライバルを異端であると攻撃するケースがあるという。こうしたケースを急進的なイスラーム化とみなすことはできないであろう。
地方レベルの政治的競争が激しくなる過程で「イスラームらしさ」が争点や論点となるケースが各地でみられるが、その構造を注意深く分析する必要がある。2012年のジャカルタ州知事選の場合は、地元エスニックグループのアイデンティティがイスラームと結びついた。アチェなどにおける「イスラーム的」規則の制定もそうしたイスラームの政治的利用の一つと捉えることができるだろう。しかし、イスラーム系政党への支持は全国的に低下しており、北スマトラ州知事選も「イスラーム主義者の勝利」ではない。イスラームが自他を分ける亀裂として機能するのはどのような条件が必要なのか、もう少しケースを増やせば、類型化ができそうである。
(見市建:岩手県立大学・准教授)