研究会・出張報告(2011年度)
研究会報告- 「スーフィズム・聖者信仰研究会(KIAS/SIAS連携研究会)」第2回研究会
共催:
科学研究費補助金基盤研究(B)「近現代スーフィズム・聖者信仰複合の動態研究」
科学研究費補助金基盤研究(B)「オスマン朝期イスラーム思想研究―中世イスラーム思想の全体的解明を目指して」
日時:2012年1月21日(土)13:00~18:00
会場:上智大学四谷キャンパス2号館6階630a会議室
発表:
河西瑛里子(国立民族学博物館)
「白人スーフィーの暮らし-イギリスの田舎町を事例として」 → ①
コメンテーター:赤堀雅幸(上智大学)
西山愛実(京都大学大学院)
「現代トルコにおけるナクシュバンディー教団の発展に関する一考察―アルトゥノルク・グループの機関紙『金の樋(Altnoluk)』の分析を通して」 → ②
コメンテーター:今松泰(京都大学)
①河西瑛里子(国立民族学博物館)
「白人スーフィーの暮らし-イギリスの田舎町を事例として」
河西瑛里子氏による発表は、イギリスのグラストンベリーにおけるナクシュバンディ・ハッカニーヤ教団の活動に焦点を当て、欧米社会におけるスーフィズムの一端を明らかにするものであった。
発表者はまず、イギリスを中心とした欧米社会におけるイスラーム、スーフィズムの現状を説明したうえで、研究対象地であるグラストンベリーについて説明を行った。グラストンベリーは、1970年代のヒッピーの到来から、イギリスにおけるスピリチュアリティ活動の中心地となってきた。スーフィズムも、多くある宗教的実践のひとつとして、一定の支持を獲得してきた活動である。そのうえで、本発表の中心的事例となるナクシュバンディ・ハッカニーヤ教団は、シェイクであるシェキ・ナーゼムの1999年の来訪を契機に、イギリスでの活動の中心地となってきた点を指摘した。
発表者はナクシュバンディ・ハッカニーヤ教団のメンバー(約60名)や、ジッカ(ズィクル)を中心とする教団の活動を紹介しながら、グループとしての活動が成り立っている背景を明らかにしようとしてきた。発表者は特に女性の参加者を中心とした教団の人間関係を参与観察することで、上述の課題に対して答えようとしてきた。その際、シェキ・ナーゼムの支持を直接受け、グラストンベリーにおける活動の中心的存在となっているレイ氏と、彼女をめぐる人間関係に焦点を当てて議論を進めていった。
メンバーたちの教団への関与の背景は多様である。宗教やスピリチュアリティへの関心から参画する者や、シェキ・ナーゼムとの出会いによる者、ムスリムとしての信仰心を深めるために参加する者が混在する状況が見られる。さらに、エスニシティや文化的背景も多様であり、この差異が教団活動における多くの解釈の違いや軋轢を生み出してきた。具体的には、女性ジッカ後の食事の振る舞いでのアジア系女性と白人女性の歓待の違い、日没後の女性の一人歩きをめぐるイスラーム寄りのスーフィーとニューエイジ寄りのスーフィーの間の解釈の違いがあげられた。しかし、差異がありながらも教団に関わる人びとは、ジッカという宗教的実践を核に、ひとつのグループとしてまとまっている点を示した。さらに、グラストンベリーにおけるムスリム人口の少なさも、グループ活動に影響している点も指摘した。
発表後、グラストンベリーにおけるナクシュバンディ・ハッカニーヤ教団の状況についての質問が相次いだ。他にも、欧米社会がニューエイジやスピリチュアリティを通じて、スーフィズやイスラームとの関わりを構築していく点に、両者の関わりの大きな特徴があるのではないか、という点も議論として提示された。
(安田慎・京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科一貫制博士課程)
②西山愛実(京都大学大学院)「現代トルコにおけるナクシュバンディー教団の発展に関する一考察―アルトゥノルク・グループの機関紙『金の樋(Altnoluk)』の分析を通して」
本報告は、ナクシュバンディー教団の一派であるアルトゥノルク・グループの機関紙を分析することにより、現代トルコにおけるイスラーム復興の展開を考察するものであった。
1925年以降、トルコではタリーカ活動が法律で禁止されている。そのため、現代トルコにおけるタリーカの研究は少なかった。しかし、1990年代以降、宗教規制緩和の潮流に伴って現状分析が行われるようになってきた。本報告は、アルトゥノルク・グループが定期的に発行する機関誌を分析することにより、同グループの現状のみならず、長期にわたる通時的な変化を明らかにした。アルトゥノルク・グループを取り上げた理由として、1990年の先行研究では「影響力は大きいとは言えない」と評されていた同グループが、2003年には「現在もっとも活発」と評されるまでに変化したことが挙げられた。分析は、アルトゥノルク・グループの月刊機関紙『金の樋』25年分(1986年3月号第1号~2011年12月第310号)の読解に基づき行われた。
報告者は、『金の樋』の記事が、1990年代末までとそれ以降で内容を大きく変えている点に着目した。前期に当たる1986年から90年代末までは、①政治、②ライクリキ、③教育制度改革が多く取り上げられていることを、記事の一覧表を作成することにより明示した。後期に当たる1990年代末から2011年の傾向としては、①社会奉仕と貧困問題、②女性のあり方、③身体、精神、家族の問題が主に取り上げられていることを示した。記事の分析により、民主主義などの欧米的概念に基づく政治批判から、日常的イスラーム実践へと関心が移っていることが指摘された。報告者によれば、このような記事内容の変化は、対象読者層に女性も含まれるようになったことと、イスラーム復興がある程度社会的に達成されたことに起因している。記事の内容が変化した時期と、アルトゥノルク・グループが発展した時期は重なっている。つまり、教育や慈善活動を重視したことにより、女性や青年層というイスラーム潮流の担い手を取り込むことに成功し、同グループは発展を遂げたと結論付けられた。
質疑応答においては、トルコにおけるイスラーム復興の流れと軌を一にするアルトゥノルク・グループを取り上げる理由づけの弱さが指摘されたものの、典型例であるからこそ他グループとの比較研究を行う際に、基礎資料として有益であるとの期待が高まった。雑誌記事を扱う上での研究手法が確認されたほか、同グループとトルコの政策との関係以外にも着目すべき視点が提案されるなど、本報告の今後の発展のため、活発な議論が行われた。
(石田友梨・京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科一貫制博士課程)