研究会・出張報告(2011年度)

   研究会

日時:2011年11月25日(金)17:15~19:15
会場:上智大学四谷キャンパス2号館6階630a会議室
講演者:Dr. Mohammad Sabri(ヘルワン大学教授、エジプト)
講演タイトル:“Between Silly and Subtle: Sufism's Heritage in Dealing with the Governors Egypt- 16th century”
言語:英語

概要:
 アラブ世界は現在、激動の渦中にある。政治・社会が混乱し、未来への確たる展望が描けない時、アラブ世界では決まってイスラームを掲げる宗教勢力が台頭する。しかし、イスラームは本当に最終的かつ根本的な解決への道なのだろうか。本来、イスラームにおいて、政治と宗教の関係はいかにあるべきなのだろうか。ムハンマド・サブリー氏は、彼自身もその激動の渦中にあるエジプト社会の現状を注意深く見据えながら、以上のような現在的な問いでもってエジプトの過去に目を向ける。ムハンマド・サブリー氏は、歴史学者としてオスマン朝期(1517-1798)エジプトにおけるスーフィズム・聖者信仰と社会の関係について、歴史学の観点から多角的な研究を進めている。ムハンマド・サブリー氏が本講演で試みたのは、現在のエジプト社会において混迷を深めつつある政治と宗教の関係についての氏の見方をオスマン朝支配初期のエジプト社会における支配者とスーフィーの関係に投げ入れ、現在エジプトにおける政治と宗教のあるべき関係を模索せんとするものであった。
 シャアラーニー(1565没)が今まさに激動の時代を迎えているエジプトに生を受けていたら、いかにその身を処したであろうか。本講演におけるサブリー氏の問いの核心はそこにあった。マムルーク朝末期からオスマン朝支配の確立期、オスマン帝国の最盛期に相当する彼の生涯は、エジプトのスーフィズムが新たなる支配者の下でいかに生き延びるか、いかに政治的・社会的影響力を維持していくか、その格闘に費やされたといっても過言ではない。サブリー氏は、シャアラーニーの著作“Irshād al-Mughafalīn men-l-Fuqahā’wa-l-Fuqarā’ilāSherūtṢoḥbat-l-Omarā”の記述の分析を通じて、シャアラーニーが新しい支配者といかに関係を築こうとしたかを読み解いていく。それは、自身がスーフィーであるシャアラーニーを含めて、エジプトのスーフィズムがオスマン帝国支配下でいかに生き延びていくか、その政治的・社会的影響力を保持していくかを模索したものであった。時代の転換期、とりわけ政治体制の移行期には、人々はその身を守るために様々な行動をとるものである。とりわけ、わが身かわいさに新たなる支配者にすりよる者達が必ず現れる。当時のエジプトでも、スーフィーやウラマーの中にも、思慮分別を忘れ、新たなる支配者に迎合しようとする者達が少なからずいた。シャアラーニーは、そのような者達への警告の書として“Irshād al-Mughafalīn”を現した。彼がその書の中で説いていることは、スーフィズムが新しい支配者の下で生き延びるための弁証法的戦略とでもいうべきものであった。それは、一言でいうならば、新しい支配者に対しては付かず離れず、よくよく政情を見極めて時には親しく接し、時には遠ざかり、エジプトのスーフィズムの影響力をしたたかに浸透させ、エジプトの民衆の利益を擁護し、もってシャアラーニーを初めとするエジプトのスーフィーたちの道徳的・倫理的・政治的・社会的影響力を保持せんとするものであった。サブリー氏はこのようなシャアラーニーの手法には矛盾があることを何度か指摘したが、それはむしろシャアラーニーのしたたかさの反映と見なすべきであろう。
 質疑応答では、オスマン朝初期のスーフィーシャイフとウラマーの関係、スーフィーと支配者の関係について活発な議論がなされた。サブリー氏は議論の最中に、シャアラーニーが現在のエジプトに生きていたら、オスマン朝支配初期のようにしたたかに生き延びたであろうことを何度も強調した。サブリー氏の講演によって報告者自身も強く認識させられたことは、時代の転換期を生き延びたシャアラーニーのしたたかさであった。そして、それはシャアラーニーを含む当時のエジプトのスーフィーたちのしたたかさでもあり、またエジプトの人々のしたたかさでもあった。そして、それは、サブリー氏を含め、現在、激動期を生きているエジプト人のしたたかさでもあるのであろう。必ずしも最初の問いかけの答えにはなっていないが、本講演でサブリー氏が伝えたかったことは、要するにそういうことであろう。 
(茂木明石・上智大学)