研究会・出張報告(2011年度)

   研究会報告


日程:2011年10月1日(土)~2日(日)
場所:山喜旅館
プログラム:

10月1日(土)
12:30-12:50 開会挨拶
12:50-13:10 自己紹介
【第1部:自由発表】
13:10-14:40  研究発表1
清水雅子(上智大学)「パレスチナの政治変動は執政制度の役割にいかに影響したか:ハマース政権樹立から自治政府の分裂に至る政治過程(2006-2007年)を例に」
コメンテーター:石黒大岳(神戸大学)
14:40-16:10 研究発表2
関佳奈子(上智大学)「スペイン領モロッコにおけるリーフ戦争(1921-26年)再考:指導者アブドゥルカリームの言説を手がかりに」
コメンテーター:中村遥(上智大学)
16:10-17:40 研究発表3
野中葉(慶応義塾大学)「インドネシアの大学ダアワ運動におけるタルビヤの展開」
コメンテーター:見市建(岩手県立大学)

【第2部:特集「中東政変の背景と意義―民主化とイスラーム問題の現状と展望」】
19:00-20:10 研究発表4
金谷美紗(上智大学)「『1月25日革命』発生における労働運動の役割:エジプトにおける抗議運動に与えた影響」
20:10-21:20 研究発表5
加藤恵実(笹川平和財団)「イエメン:サーレハ政権とその後」

10月2日(日)
8:45-9:55 研究発表6
吉川卓郎(立命館アジア太平洋大学)「ヨルダンの政変:ジャスミン革命以降の国家―社会関係の再考」
9:55-11:05 研究発表7
 高岡豊(中東調査会)「シリアの抗議行動とその担い手たち」
11:05-12:30 総合討論
 総合コメント:浜中新吾(山形大学)、清水学(帝京大学)
12:30-12:45 閉会挨拶

[第1部概要]
研究発表1
発表者 清水雅子(上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科地域研究専攻博士後期課程)
パレスチナの政治変動は執政制度の役割にいかに影響したか:ハマース政権樹立から自治政府の分裂に至る政治過程(2006-2007年)を例に


 清水氏の報告の目的は、ハマースが議会選挙に勝利した後のパレスチナで、なぜパレスチナ自治政府の分裂に至るほどハマース・ファタハ間の対立が激化したのかという問いを、PA(パレスチナ自治政府)の執政制度に着目して、1つの説明を提示することであった。
 清水氏の報告では以下の3点が明らかになった。
 第1には、パレスチナにおける半大統領制の形成は、国際社会の介入だけでなく、大統領への権限の集中をバランスさせようというPAの体制内反対派の意図の中で実施された。その制度はファタハ政権の時期においても意図通りの帰結をもたらさなかったが、大統領の振る舞いに影響を与えたということである。
 第2には、ハマースの政治参加と勝利という政治変動は、半大統領制の機能の仕方を変え、大統領と内閣の双方が制度に則った形で自らの正統性を主張し合う政治闘争を繰り広げる基盤を用意し、それぞれが所属する政治党派間の対立の激化を助長したという点である。
 第3には、パレスチナのような不安定で制度など関係ないとみられがちな事例においても、制度は政治アクターの振る舞いをある程度まで規定していたという点である。
 清水氏は政治制度に注目して、ハマースが議会選挙に勝利した後のパレスチナで、なぜパレスチナ自治政府の分裂に至るほどハマース・ファタハ間の対立が激化したのかという問いに答えたが、彼女の報告に対して以下のような質問・コメントが寄せられた。
 第一の質問は北澤氏からの質問であった。同氏は、清水氏の報告から、ハマースとファタハの対立が激化した理由は外圧と制度であったと理解したが、外圧以外の要因に注目した先行研究はないのかと質問した。また彼は、ハマースの軍事部門がどのように対立に関係したのかも調べる必要があるとした。
 次に、浜中氏からコメントがあった。同氏は、半大統領制はフランスや韓国などを事例としよく研究されているが、中東諸国の他の半大統領制との比較を行うとどのような特徴が明らかになるのかと質問した。また、大統領令の位置づけや、治安問題を清水氏はどう位置づけるのかと質問した。これに対して清水氏は、先行研究の不十分な点を指摘し、大統領令の位置づけや治安については今後の課題とすると答えた。
 最後に、横田氏から、もともとゲリラである治安機関がどのように政治家に影響を与えたのかを研究することも重要だとのコメントがあった。また今後、治安機関について研究するのならどのように研究するのかと質問した。これに対して清水氏は、研究するつもりで文献をすでに入手しているので読み進めるとコメントした。

文責:中野礼花(上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科地域研究専攻博士前期課程)・三代川寛子(上智大学アジア文化研究所客員研究所員)

研究発表2
発表者:関佳奈子氏(上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科地域研究専攻博士後期課程)
研究タイトル:「スペイン領モロッコにおけるリーフ戦争(1921-1926年)再考―指導者アブドゥルカリームの言説を手がかりに―」


 第Ⅰ部の自由発表で、関氏は、1921年から1926年にモロッコのリーフ地方で起こったリーフ戦争についての報告をおこなった。当時、モロッコの大部分はフランスの保護領、北部はスペインの保護領となっていた。関氏は、まず先行研究の中で、スペイン領モロッコで起こったこの闘争は、旧来、植民地解放闘争、民族解放闘争の先駆け、あるいはベルベルのアイデンティティに基礎を置いた闘争と示唆されてきたことを指摘した。その上で、この闘争の内面的背景が十分に分析されてこなかったことを指摘した。
このことから、今回の関氏の発表は、指導者アブドゥルカリームの言説を分析することにより、リーフ戦争の新たな側面を検証することを目的とした。検証のポイントとして、関氏は、①植民地解放闘争としてのみならず、リーフ地方としてモロッコから分離した形での「独立闘争」としての側面、②同時期の国際情勢におけるリーフ戦争の位置づけ、③ベルベルとアラブのアイデンティティの台頭などのような現代的問題を考察するための視座の3点を設定した。今回の分析で用いた史料は、アブドゥルカリームによって書かれた書簡や記事、彼へのインタビュー記事等である。
 これらの史料から、具体的に確認できたこととして、関氏は以下の二点に言及した。第一に、アブドゥルカリームは、モロッコと宗主国スペインという複合的な支配構造からの独立を目指したことである。関氏は、彼が、モロッコのスルターンを中心として構成されている「モロッコ」と「リーフ共和国」をそれぞれ独立した主体として捉えていることを明らかにし、モロッコとしてではなく、「リーフ」としてのアイデンティティを基盤とした「独立戦争」の側面があったのではないか、と指摘した。第二に、第一次世界大戦、トルコ革命等という当時の国際情勢との連帯意識を模索していたことである。ここで、アブドゥルカリームは、リーフ共和国が国際的認知を獲得することも視野に入れていたことが明らかにされた。
 今後の課題として、「独立戦争」という点に関して、指導者アブドゥルカリームのなかで、「リーフ共和国」と「モロッコ」を画す基準となったイデオロギーやアイデンティティについてより綿密な検証の必要性を挙げた。その際、北アフリカの先住民族であるベルベル民族としてのアイデンティティに着眼することが手掛かりになる可能性を示した。
 同様に、関氏は、国際情勢との関連について、戦間期に起こったトルコ革命等の影響が認められるため、今後はアブドゥルカリームの思想面について国際情勢とのかかわりを検討することを今後の課題として提示した。
 質疑応答では、「リーフ人」とは何であるのか、といった大きな問題や、またリーフ戦争の再考が今日のモロッコにおけるベルベルとアラブのアイデンティティの問題についての新しい視座を提供することに関し、今日のモロッコがどのようにナショナル・アイデンティティを規定しているのか、といった質問がなされた。またリーフ戦争は、その経緯からも看取できるように、絶対性をうたうモロッコの王権と一線を画す存在である。そのため、モロッコでは近年まで、この分野の研究が十分に掘り下げられてこなかったことなどが、コメントとして挙がった。

文責:中村遥(上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科地域研究専攻博士前期課程)

研究発表3
発表者:野中葉氏(慶應義塾大学SFC研究所・上席所員(訪問))
研究タイトル:「インドネシアの大学ダアワ運動におけるタルビヤの展開」


 野中氏による報告では、近年のインドネシアにおいて社会的、政治的両面において多大な影響力を有するまでに至った大学ダアワ運動において主流となった、イスラーム学習を支柱とするタルビヤの歴史と展開、さらにその学習内容や手法などを中心に議論が行われた。以下が、野中氏による報告の概要である。
 そもそも、タルビヤは1980年代に開始された動きであり、インドネシア全土にイスラーム的精神の復興を促すべく、まずはジャカルタの名門公立高校の学生、さらにインドネシア大学の学生、ジャカルタ、ジャワ島、そしてインドネシア全土というように段階的に展開する戦略を採用した。また、この結果として学生同士のネットワークを通じて全国の大学に拡大し、大学自治会にまで進出するほどの勢いを有するまでになっている。元々インドネシアでは、スハルト体制下における厳しいイスラームへの弾圧政策から、70年代に興ったサルマン運動と呼ばれるダアワ運動が勢いを失うこととなったが、タルビヤによる活動は組織化が進み、さらに大学による組織の公認などもなされるなど、徐々に影響力を拡大していった。また、スハルト退陣後の民主化の際には、タルビヤの組織を支持母体とする正義党が結成され、福祉正義党と名称変更が行われた現在では、2009年の総選挙で第4党となるほどまでに影響力を拡大した。
 タルビヤの手法としては、元々アラビア語で「サークル」を意味する語である、ハラコと呼ばれるグループが学習単位として存在し、そのグループを基盤に学習が展開する。さらに、習熟度に応じた階層分けが存在し、上層に属する学生たちが一段階習熟度の低い階層の学生たちに対する教授を行う形態となっている。この階層は、最上級のプルナを頂点として以下、アフリ、デワサ、マディヤという四段階から構成される中核メンバーが上層に位置し、そのさらに下にムダ、プムラと呼ばれる習熟度に劣る下級階層二つから成っている。また、当時の大学の授業形態が専ら暗記中心の学習であったのに対し、タルビヤにおいては討論が自由に行うことができたため、学生たちの向学心を刺激する効果を生み、タルビヤへの学生たちの参加を促すこととなった。
 このようなタルビヤの極めて体系的かつ組織的な学習形態は、ムスリム同胞団から多大な影響を受けている。これは1980年代以降には実際にエジプトに渡り同胞団に所属する人々から直接教えを請うという動きからも確認できる。このような同胞団からの影響を受けることによって、タルビヤはさらに学生たちへの影響力を増し、インドネシアのイスラーム化や社会変化をもたらす原動力となっていった。
 タルビヤの学習内容は元来、教える者から教わる者への口述での指導のみであり、口述内容のノートなどを他人と共有することすらも禁じられていた。しかし、近年ではタルビヤの教授内容の一部の教材化が進められ、統一的で体系的な学習が実施されている。これらの教材や聞き取り調査による具体的な学習内容としては、イスラームの基礎理解をはじめとして、さらにはイスラームに沿った形での個人形成の必要性とそのプロセスの提示といった踏み込んだ内容まで含まれている。以上が野中氏による報告の概要である。
 この発表を受けて、コメンテーターである見市建氏のコメントとして、タルビヤの影響を多大に受ける形で成立した政党である福祉正義党の状況や、タルビヤの展開によって広がったイスラームの社会への浸透状況についてスライドなどを用いて具体的に解説が行われた。質疑応答においては、合宿参加者の大半が詳細な知見を有していない東南アジアのイスラームに関する報告であったということもあり、現代インドネシアにおけるイスラームに関する基本的事項の確認や、報告内容に関する基礎的質疑が交わされた。それに加えて、野中氏の現地調査の手法である関係者からのヒアリングやアンケート調査に対する改善点の指摘や議論が行われた。

文責:登利谷 正人(上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科地域研究専攻博士後期課程)

[第2部概要]
研究発表6
発表者:吉川卓郎氏(立命館アジア太平洋大学アジア太平洋学部・助教)
研究タイトル:「ヨルダンの政変:ジャスミン革命以降の国家―社会関係の再考」


 比較政治学、ヨルダン政治などを専門とされる吉川卓郎氏(立命館アジア・太平洋大学)による、2011年「ジャスミン革命」後のヨルダンの政治変容に関する研究発表が、研究合宿2日目の幕開けとなった。
 吉川氏の発表は、「ジャスミン革命」によって生じたヨルダンの変化の報告と、国家・社会関係の分析を通じてヨルダンでは「革命」が起こらなかった要因を説明する考察部分の2点に絞られた。まず、「ジャスミン革命」前のヨルダンの国家目標とアブドゥッラー現国王による統治の特徴を述べたうえで、「ジャスミン革命」後のヨルダン国内民主化運動やそれによる政治的な変化を概観した。さらに、なぜ政府打倒がされなかったのかという問いに対して、主に政権による反体制派の取り込みの成功と反体制派側の動員失敗という観点から説明がされた。
 「ジャスミン革命」以前のヨルダンは、国際システムのレベルでは緩衝国家として、またパレスチナ問題の調停者として存在意義を確保すること、国家レベルでは経済的自立を果たすことと「弱い国家」と「強い社会」の調整、個人(国王)レベルでは王室がヨルダンという国を形象化することを国家目標としていた。1999年に即位したアブドゥッラー国王による治世は基本的にフセイン前国王の方向を継承したものだが、3点新たな特徴があるという。1点目は、2005年11月9日のアンマン同時多発テロ事件を契機として「テロとの戦い」に着手したことである。これによってPKOや国境警備、カウンター・テロリズムへの細分化など、軍部が特定の領域ごとに特化するようになり、その役割も変容してきた。2点目は、イスラエルとの融和政策の継続である。その一方で、1950年から1988年までヨルダンの領土の一部であったヨルダン川西岸との距離は拡大した。そして、パレスチナ人が居住する西岸と距離を置くことで、一国ナショナリズムの推進が盛んになった。3点目として、新自由主義経済が導入、推進され、QIZ、FTA、WTOなどに参加し公共セクターの民営化が進められたことが言及された。この経済政策は、40代前後の年齢で政府の経済委員会に登用されるような新世代エリートの台頭、インフレ圧力、社会秩序維持を優先する法案の可決と民主化の遅れなどを引き起こした。
 革命後は他のアラブ諸国同様、ヨルダン国内でも広範な勢力による抗議デモが発生した。その布石となったのは、2010年に行われた総選挙とリファーイー改造内閣だという。リファーイー内閣は下院において圧倒的な支持を集め始動したが、一方で不支持を表明する団体は街頭で総選挙ボイコットデモを行った。そして、2011年1月14日に革命後初めてヨルダンでデモが実施されたことを皮切りに、ムスリム同胞団やムスリム同胞団の政治部門であるイスラーム行動戦線党(IAF)、その他野党、職能組合を主体としたデモが拡大、継続した。それまで不介入主義を採っていた政府は2月1日に対応に本腰を入れ始め、リファーイー首相の更迭と第二次バヒート内閣の誕生、同胞団、野党、職能組合と首相との対話が進められた。そして、国王によって形成された国民対話委員会での審議を基軸として、集会法や選挙法の改正、教員組合の認可、憲法改正の国民議会での審議などの政治的な変化が見られた。
 しかし、これらの動きにも関わらずヨルダン政権が倒れることはなかった。要因として、まずアブドゥッラー国王とバヒート内閣が反体制勢力の取り込みに長けていたということ挙げられる。ヨルダン政権は、対話と調整を行うことによりそれらの分断化に成功した。そして現在、ヨルダン政治に最も大きな影響を及ぼす下院と職能組合が、政権主導の改革に吸収されつつあると指摘された。
 また、抗議運動を行う側の要因としては、SNSによる呼びかけがヨルダンでは動員力を持たなかったことが挙げられる。ヨルダンでは早い段階からインターネットが解放されており、ネット上での政権批判が珍しくないことがその原因だった。また、国内最大の反体制勢力であり大きな動員力を誇る同胞団も、景気の改善や失業問題に不満を持つ多数派の層を取り込むことに失敗したため、抗議運動は政治変容において高い効果を発揮しなかった。さらに、国民が多元的社会において唯一の中心性を持つ王室に対して消極的な支持を表明し始めハーシム王家の価値が再確認されたことも、抗議運動が王政打倒に向かわなかった理由といえる。
 最後に、ポスト・バヒート体制と同胞団の役割の検証、モロッコなど他の事例との王政延命を基軸にした比較研究の試みがこれからの課題として提示され、ヨルダンやモロッコの加盟からGCCが君主制産油国連合から広域君主制連合へ移行するなどのシステム変動の可能性も明らかになった。
 質疑応答では、シリアにおける状況との差異についての質問に対して、ヨルダンでは対話のパイプがもともと存在しており、また国民からの要求を先回りして民主化、自由化の措置を行うなど政権側の取り込みの技術が卓越していることが指摘された。また今年行われている憲法改正案の審議はパフォーマンスの域を超えた熱の入ったものであり、反体制派勢力は政権に吸収されつつも発言権を強めているのでは、という予測もされた。

文責:堀内彩(上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科地域研究専攻博士前期課程)

研究発表7
発表者:高岡豊氏(財団法人中東調査会・研究員)
研究タイトル:「シリアの抗議行動とその担い手たち」

 現在、シリアで進行中の反政府抗議行動について、高岡氏は、キッチェルトの説明モデルに基づく東欧諸国の民主化運動の研究を援用して、比較分析を試みた。キッチェルトは、戦前の政治動員(対等な水平型動員とパトロン・クライアント関係を通した垂直型動員)の様態に基づいて、1950年代の非スターリン化以降の共産主義体制を(1)官僚制権威主義体制(チェコスロバキア、東ドイツ)、(2)国民妥協型(ポーランド、ハンガリー)、(3) 家産制型(ブルガリア、旧ソ連邦諸国)に類型し、こうした政治制度の相違が体制変換後の移行様式に影響を与えると主張している。体制移行期において、戦前に水平型動員を経験した国は、反体制派への支持基盤が広く、比較的スムーズに体制変換がなされるのに対し、「家産制型権威主義体制」国家は、体制内改革派が生まれにくく、反対派の支持基盤が脆弱で、体制側が生き残りのために先取りする形で政治改革を実施し、旧体制派が体制移行後も実権を保持する傾向にあるとされる。
 高岡氏の分析によれば、シリアは「家産制型権威主義体制」に近く、支配政党のバアス党は、地縁・血縁に基づくパトロン・クライアント関係で党勢を拡大し、都市の名望家層や地方の地主・部族指導者層、諸宗派の指導者層を政権に取り込んできた。そのため現在では、一部で考えられているような「特定宗派が制御する暴力装置」以上に広い政権支持基盤を持つ。他方、ムスリム同胞団等の反体制派は、1970年代から80年代に政府が行った徹底的な弾圧で、国内の組織はほぼ壊滅したため、現在の抗議行動の中核を担っているとは考えられない。2000年や2005年に一部知識人や左翼政党などによってアサド政権に対して「民主化要求」がなされたが、国内に強固な支持基盤や動員力を保持していなかったために広範な体制変換運動には至らなかった。
 2011年になってシリアで抗議行動を展開しているアクターは、(1)街頭デモ参加者、(2)調整家(数千人。大半が海外在住)、(3)扇動家(地下活動)に分類でき、各主体の統一組織は存在せず、最近の抗議行動においては「体制打倒」「大統領処刑」といった急進的なフレーズが多用され、対話可能な政治要求や目的を欠いているため、シリア社会で支持基盤は広がらず、当局の徹底弾圧を招いている。アサド政権は、体制変換を促す先取り改革は実施しておらず、バアス党の支配は強固で体制内「改革派」も存在しない。そのため、高岡氏は、現在進行形のシリアの抗議行動が「体制移行期」をもたらすかどうか予測不能と結論付けている。
 質疑応答では、まず、キッチェルトのモデルに関し、環境上の変数と動員方法のタイポロジーのみで体制変換後の帰結を説明できるのかという理論的な枠組みについての質問がなされた。これに対し、高岡氏は、同モデルは体制移行期のアクターや条件のみしか説明できないとし、モデルの限界に言及した。また、反体制派は、基盤が脆弱で動員力に欠けているにもかかわらず、強固な権力をもつ現体制になぜ抗議活動を継続しているのかという質問に対し、経済的要因やグローバル化による衛星放送やインターネットを通した海外在住者の影響について議論がなされた。また、経済制裁によって新興企業家層とアサド政権の亀裂が生じる可能性が論じられた。最後に、体制の方向性や民主化の移行期に入っているかどうかわからない状況で東欧諸国の民主化移行モデルを使うのは早急ではないか、との指摘もなされた。高岡氏による東欧とアラブの民主化運動の比較の可能性を示した本発表は、非常に示唆的であり、活発な議論が展開された

文責:貫井万里(早稲田大学イスラーム地域研究機構・研究助手) 

第2部の研究発表全体に関する報告

 第1の報告者である金谷美紗氏(上智大学アジア文化研究所)は「『1月25日革命』発生における労働運動の役割:エジプトにおける抗議行動に与えた影響」と題した報告を行い、エジプトの「1月25日革命」に関して、労働運動の分析を中心としながら考察を加えた。金谷氏はまず、近年のエジプトのマクロ経済指標を概観しながら、労働運動の性質や彼らを取り巻く環境要因、そして抗議活動自体の増加傾向を指摘した。次いで、労働運動が民主化運動に対して与えた影響について説明を行った。そこでは、とりわけ(1)先行運動体としての労働運動の増加が、後発運動としての民主化運動の抗議機会を拡大した、(2)労働運動の掲げたスローガンが民主化運動の動員を促進した、という2点が重要であるとされた。さらに、エジプトの新たに出現した(ヴァーチャルなものも含む)自由な情報・言論空間の存在が、今次の民主化運動を発生させた大きな要因であったとの指摘もなされた。最後に、労働運動の増加がエジプトの「1月25日革命」を引き起こしたのではないかと結論付けられた。こうした金谷氏の発表に対しては、労働運動の増加と景気状況は負の相関関係にあるのではないか、主観的貧困や相対的剥奪感をいかに測定するのか、「要求」を行う労働運動と「抗議」を行う抗議運動は根本的に異質な運動なのではないか、いつの時点で経済的要求が政治的抗議に転化したのかという点は重要ではないか、労働運動と抗議運動の「同盟」という視点もあるのではないか、といった質問やコメントがなされた。
 第2の報告者である加藤恵実氏(笹川平和財団)は、「イエメン:サーレハ政権とその後」と題して、現下のイエメン情勢についての詳しい解説と今後の展望についての報告を行った。加藤氏はまず、2011年にイエメンで起きた政変を理解するためには、イエメン近現代史を改めて振り返る必要があると指摘し、それについての簡単な概観を行った。また、その際に、アブドゥッラー・サーレハ大統領個人の経歴についても簡単に説明がなされた。次いで、イエメン国内の権力闘争における主要なアクターである北部二大部族(ハーシド部族、バキール部族)、アルホーシー派、アラビア半島のアルカーイダ、南イエメンの分離独立派などについての解説がなされた。最後に、2011年に入ってから本格化したイエメンでの反体制運動について、その実態や今後の展望、内戦のリスクなどについて、詳細な検討がなされた。こうした加藤氏の発表に対しては、イエメンの地方政治の構造、GCC諸国との比較などの点に関して質問やコメントがなされた。
 第3の報告者である吉川卓郎(立命館アジア太平洋大学)は「ヨルダンの政変:ジャスミン革命以降の国家-社会関係の再考」と題した報告を行い、2011年初頭から起こったアラブ政変のヨルダンに対する影響を検討する共に、なぜヨルダンに「革命」は起こらなかったのかという問題についての分析を行った。吉川氏は最初に、2011年以前のヨルダン政治・社会の基本的な特徴と近年の政治状況について、簡単な概観を行った。次いで、2011年に入って以降のヨルダンの政治過程を詳細に検討し、「革命」以降、アブドゥッラー=バヒート体制の主導によって「国民対話委員会」を軸にした改革の実行や憲法改正の動きが見られたとの指摘を行った。そして最後に、ヨルダン情勢の今後の展望やGCC加盟問題などについて示唆に富む指摘がなされた。こうした吉川氏の発表に対して、ヨルダンとシリアの「政変」の差異や共通性、ヨルダン王室による反体制派の取り込み戦略、ヨルダン・ムスリム同胞団の政治戦略などの点について質問やコメントがなされた。
 第4の報告者である髙岡豊氏(中東調査会)は「シリアの抗議行動とその担い手たち」と題して、シリアの反体制運動における主な当事者について、それを他地域の事例と比較可能な形で整理・分析することを主な目的とする報告を行った。髙岡氏はまず、今般の政変が発生する以前の段階における、シリアの権威主義的支配体制を概観した。次いで、現下のシリア情勢と反体制勢力の組織・主張について言及するも、現在の状況下では十分なデータを揃えることができず、確定的な結論を出すことは困難であるため、今後の継続した調査が必要となる点が強調された。そして最後に、分析のためのモデルとして東欧の旧共産圏との比較が有効であろうとの指摘を行い、シリア情勢が今後いかなる方向に向かう可能性があるのか、という点に関して検討がなされた。こうした髙岡氏の報告に対しては、シリアの事例と他の政変が起こったアラブ諸国との異同、シリアが民主化という方向に向かう可能性、シリアの反体制運動の掲げる理念について、体制変動理論の有効性などについて、活発な議論が交わされた。
 以上4名の報告を受けて、浜中新吾氏(山形大学)と清水学氏(帝京大学)による総合コメントがなされた。浜中氏は主として、地域研究の方法論について、社会科学の方法論を参照しながら問題提起を行った。そして、地域研究者は単なる現地通や事情通、あるいはジャーナリストであってはならないのではないか、と指摘した。他方で清水氏は、今次のアラブ政変を経済的側面から捉えることも重要なのではないかと指摘した。とりわけ、マクロ経済指標や経済自由化政策と政変との相関関係をいかに考えるのか、といった問題も今後考えていく必要があるだろうと指摘した。その後、これらの論点をめぐって、報告者やフロアを交えて活発な議論が行われた。

文責:溝渕 正季(上智大学アジア文化研究所・共同研究所員)