研究会・出張報告(2011年度)

   研究会

日時:2011年7月24日(日) 13 :00~18 :00
場所:上智大学四谷キャンパス2号館630-a号室

プログラム:
発表①
増原綾子(亜細亜大学)「政変をどう分析するか―インドネシアの事例から」

発表②
濱中新吾(山形大学)「中東政変の比較政治分析―権威主義体制の持続と崩壊―」

 概要:
発表①-a
 報告内容
 報告は、次の5つの部分から成っていた。政変の経過、政変の性格、与党と民主化勢力、軍と政変、民主化過程における制度改革である。
 経済危機に端を発して1998年3月に起こった民主化運動によって、同年5月にスハルト大統領は辞任に追い込まれた。このスハルト体制崩壊には、穏健な民主化勢力が対話や交渉を通じて与党内のグループにはたらきかけ、彼らと連携し、体制内部のスハルト支持を切り崩すことに成功したという背景があり、この点で「アラブの春」における政変と異なっている。また、インドネシアでは軍は政変過程において政治的主導権を握る機会を得られなかったが、この点においても今回のエジプト政変とは大きく異なる。
 政変過程で形成された民主化勢力と与党グループとの間の連携と改革アジェンダをめぐる合意は、その後の民主的な制度改革を促進させる要因となった。

質疑応答
 報告後の質疑応答では、まず1人目の質問者から、軍の人事や、軍と警察の位置付けといった軍をめぐる質問が出た。次に、2人目の質問者から、政変の際のアメリカの態度について、及び個人支配の変容に関する質問が出された。3人目の質問者からは、政変をめぐって報告者の解釈とは別にどのような解釈が出されているのかといった質問が出された。
 1人目の質問者に対しては、軍出身であったスハルトが軍人の間に不満を引き起こすことなく人事に関与できたこと、そしてインドネシアでは治安維持任務における軍と警察の役割がかなりの部分重なっていたことを説明した。2人目の質問者に対しては、政変の際のアメリカの態度は最初から一貫して「スハルト退陣、民主化支持」であったこと、また個人支配の変容については、個人支配の下、体制安定化のためにパトロネジを広く分配したものの、大統領継承問題などによって分配が偏ったことで体制内部に亀裂をもたらし、こうした変容が政変につながっていったことなどを回答した。3人目の質問者に対しては、インドネシア政変をめぐって、これまで民主化勢力の運動に焦点をあてた解釈、軍の動向が政変の結果を左右したとする解釈があったことなどを説明した。

文責:増原綾子(亜細亜大学国際関係学部・講師)

発表①ーb
 増原報告では、スハルト独裁政権(1968-98年)の変容と崩壊を取り上げ、特に政変に注目して分析が行われた。本報告では、まず政変の経過と性格について、そして政変においてアクターとなった与党ゴルカルと軍について、最後に政変後の制度改革について、順に取り上げられた。
 政変の性格については、2011年の一連の中東政変と比較し、共通する2つの点が指摘された。1点目は、学生・知識人が運動を主導し、穏健な対話路線による民主化を模索した点である。そして2点目は、イスラーム色やイデオロギー色が薄く、むしろ現実的な経済・政治改革を求めるという点である。一方、当時もインターネットや携帯電話は利用されていたが、今回の中東政変のような大規模動員には結びついていなかったことも指摘された。政変において学生らの討論会で議論された改革アジェンダについても分析がなされ、行政府が立法府の優位にある状況からの脱却を目指した「立法府のエンパワーメント」が重要であったと説明された。それによって改革勢力と国会議員との連携が可能となり、体制内勢力との改革の合意形成や連携が可能となったと考えられるのである。この連携が、大統領即時退陣の合意形成がなされ、大統領及びその周辺に受容可能な議会手続・合法性を担保した選択肢の提示につながったと理解できる。
 政変の主要アクターであった与党ゴルカルに関しては、80年代前半から批判勢力の取り込みや懐柔を行い包括化したが、90年代前半にはスハルト後をにらみその長女らの政治基盤としての役割が期待されるようになっていたとの説明がなされた。このような背景のもと、1997年総選挙後にはゴルカル内での大統領親族(+国軍子息会)と社会勢力出身者グループの対立がみられ、後者が周縁化される現象も生じた。HMIやICMIなどのゴルカル・改革勢力の両者に横断的に存在するグループとともに、彼らは後に改革勢力と連携するようになったと指摘された。またもう1つの重要なアクターである軍は、国民支援/体制擁護/自身の権力掌握のいずれに関しても、政変では積極的な役割を果たすことができなかった。これには、スハルトによる軍コントロールの徹底や、国民の軍に対する不信が大きく影響したと考えられる。
 政変後の制度改革については、以下のような3つの特徴が説明された。1点目は、体制内外の勢力の対話・合意に基づく協定型の移行としての政変の在り方である。2点目は、大統領退陣前に改革の内容に関するエリート間での合意があったことである。これにより、旧与党が新勢力と協力のうえでスハルト後の権力を担うことが可能となり、民主化の担い手が明確となっていたことで無政府状態を回避することができた。そして3点目は、対外不安定要因の欠如である。しかし、このような特徴をもった改革も、度重なる調整や大統領・親族の扱い、汚職、紛争の暴力的な解決と文民統制の未確立、法の支配の弱さなど、多くの問題点を抱えていることが指摘された。
 質疑応答においては、軍の性格や役割に関して質問がなされ、軍がスハルトをいわば「身内」ととらえるような密接な関係が説明された。また、スハルトを取り巻く資本家に華人系が多かった点については、90年代から大統領親族とつながりがあるマレー系企業も徐々に台頭してきたと説明された。さらに、アメリカの影響についても質問がなされ、アメリカはむしろインドネシアの民主化に積極的であった点が明らかとなった。
 本報告においては、従来の研究における改革勢力の過大評価を疑問視し、改革勢力に味方した体制内の文民勢力の存在とその重要性が指摘された点に、大きな意義があった。また、軍が民主化勢力を抑圧しなかったことも、指摘された重要な点である。今後は、インドネシアで見られたパトロネージが明確な「個人支配」と中国のような一党支配との区別など、概念の一層の精緻化が求められるが、本報告はインドネシア政治のみならず民主化研究全体に重要な視角を提供するものであるといえるだろう。

文責:岩坂将充(日本学術振興会・特別研究員)


発表②
 浜中氏による報告は、以下の2部構成で行われた。第1部「ハイブリッド型権威主義体制の与党支持構造:エジプト・シリアの比較分析」では、「体制崩壊に至ったエジプトと違い、シリアが体制を維持しているのはなぜか?」という問いがリサーチ・クエスチョンとして設定された。先行研究では、両国はともに個人・党・軍部の三類型を併せ持つハイブリッド型権威主義体制として位置づけられ、体制の頑健性が主張されてきた。しかし、2011年の変動において両国は体制の崩壊と持続という異なる道をたどっており、それを説明する上で、報告者は体制支配政党の支持構造の違いに着目した。まず、支配政党の支持調達手段として、報告者は(1)パトロネージ、(2)社会問題の認識、(3)政治的情報の経路、(4)監視網と恐怖心、(5)イデオロギーの5つを挙げ、それぞれがいかに支配政党の支持調達において機能しうるかを論じた。その上で、与党支持構造の仮説として、(1)パトロネージ・ネットワーク内部の国民は支配政党を支持する、(2)社会問題から目を背ける国民は支配政党を支持する、(3)政治情報を政府に依存している国民は支配政党を支持する、(4)安定志向の強い国民は支配政党を支持する、(5)体制イデオロギーの信奉者は支配政党を支持する、の5つを提示した。これに基づき、報告者は2007年に現地調査を行った「シリア・アラブ共和国での全国世論調査」および2008年にエジプトで実施された「社会成員の志向に関する社会的研究」のデータセットを用いて、各仮説について分析を行った。エジプトにおける国民民主党とシリアにおけるバアス党の支持態度を従属変数とし、5つの仮説に基づく支持要因を独立変数としたロジスティック分析に基づけば、エジプトの場合5%水準で統計的に有意な支持要因は(1)パトロネージ「国営部門への就業」と(3)情報操作「政府への情報依存」だけであった。他方、シリアの場合、(1)パトロネージ「国営部門への就業」「名望家・地域有力者への情報依存」、(2)社会問題の認識「格差解決は必要」、(3)情報操作「政府への情報依存」、(4)安定志向「政治的安定は自由より重要」、(5)イデオロギー「アラブ民族主義」「シリア国民主義」であった。こうした分析から、先のリサーチ・クエスチョンに対する答えとして、報告者は「バアス党への支持は5つの要因によって強固に構造化されているのに対し、国民民主党の支持構造は既に崩壊していたから」と論じた。
 続いて、第2部「合理的選択としての中東政変:権威主義体制はなぜ崩壊したのか」では、「なぜ体制側に居たはずの軍部が大統領に最後通牒を突きつけたのか」という問いがリサーチ・クエスチョンとして設定された。チュニジアとエジプトの権威主義体制の崩壊事例は、「民衆がなぜ確たる指導者もないまま反体制デモに参加し、政権打倒に成功したのか」という問いを提起するものであるが、第1部では与党の支持構造の分析によってこの問いへのアプローチが試みられた。それに対し、第2部はもう一つの側面として軍部の動向に焦点を当てたものであった。先行研究において、エジプトは「個人独裁」「一党支配」「軍部支配」それぞれの特徴を併せ持ち、最も頑健であるとされてきたハイブリッド型権威主義体制として位置づけられており、実際にパトロネージやコオプテーションを通じて体制が維持されてきた。しかし、エジプトの事例はそうした理論の再検討の必要性を提示している。加えて、それまで一定の成功を収めてきた野党勢力との政策協議が今回の政変の中では失敗に終わり、体制側と反対派の「ハト派」同士の「協定」を通じた体制崩壊ではなかった点を報告者は指摘した。そこで、政治的自由化を求める市民と権威主義体制の存続を図る政府与党が相互作用するプロセスにおいて、軍部が政治プレイヤーとして振る舞う明示的なモデルを設定する必要があるとし、独裁者個人、その支持基盤である政府与党、体制を擁護する軍部の三者と、それらを結びつけるものとしてのパトロネージを想定し、モデルを構築した。ここで、市民、政府、軍部をプレイヤーをとし、「政府は軍部にパトロネージを配分する」「ある条件下で市民が決起する{デモ}」「軍部が市民を{抑圧}もしくはデモを{傍観}する」「政府は警察で{抑圧}もしくは{下野}する」としてゲーム理論による分析を行った。パトロネージ・ゲームの洞察として、報告者は(1)政府は軍部に対するパトロネージを減らしたという仮説を提起し、この仮説を裏付けるデータとして、軍人が占める閣僚ポストならびに県知事ポストの減少、中央政府予算に占める軍事費の低下、ムバーラク元大統領の後継候補選出手続きから軍出身者が排除された2007年の憲法改正、などを指摘した。また、ゲームの洞察として得られた(2)政府は体制が崩壊して多くの権益を失ってもなお、権限が残る可能性に賭けたという仮説に対する観察は、今後の課題であるとした。
 最後に、比較政治理論上の本報告の貢献については、今まで明確にされてこなかったハイブリッド型権威主義体制の頑健性の説明に対し、独裁者個人・政府与党・軍部の三者間にパトロネージを置くことで、各プレイヤーの相互作用による体制存続(崩壊)メカニズムを論理的かつ明示的に示したことであるとした。
 フロアからは、世論調査の質問における概念構築が適切であったかどうか、それぞれの体制持続要因が有効であるのに他の要因で崩壊したのか、それとも仮説が間違っていたのか、エジプトの体制が崩壊していないとの議論も可能ではないか、今回のモデルを実際に事態が進行している時に使えるのか否か、今後の動向が不明確な移行の初期段階において分析を行うことが可能であるのか否か、旧体制エリートの選好を詳細に見ていく必要があるのではないか、データを得られないオフ・バジェットが存在する可能性がある状況で軍の予算が減ったと主張することは可能か否か、空洞化が長らく指摘されてきた国民民主党の支持構造にもかかわらずこれまで体制が存続してきたのはなぜか、といった質問や問題提議がなされた。
 報告者による詳細なペーパーに依拠した2部の報告と、フロアからの参加により、非常に活発な議論が行われ、本研究グループにとって極めて意義深い研究会となった。

文責:清水雅子(上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科地域研究専攻博士後期課程)