研究会・出張報告(2010年度)

   研究会

日時:2010年11月14日(日) 10:00~18:15
場所:上智大学2-630a号室
発表:
久志本裕子(東京外国語大学)
「20世紀初頭のマラヤにおけるイスラームと近代学校教育―雑誌『プンガソ(Pengasuh)』に見る教育観」
コメント:服部美奈(名古屋大学)
②「クランタンとペナンにおけるキターブ収集の報告」

服部美奈(名古屋大学)「声を媒体とする習得―インドネシアのプサントレンにおけるキタブ学習」
コメント:新井和広(慶應義塾大学)

小林寧子(南山大学)「第32回ナフダトゥル・ウラマー全国大会における”伝統”言説」
コメント:青山亨(東京外国語大学)

木下博子(京都大学)「出版界のアズハル・ネットワーク―現代インドネシアの事例から」
コメント:新井和広

概要:
○久志本裕子「20世紀初頭のマラヤにおけるイスラームと近代学校教育―雑誌『プンガソ[Pengasuh]』に見る教育観」
<発表要旨>
 本報告の目的は、クランタン宗教委員会によって現在まで発行されているジャウィ雑誌『プンガソ』(1918~現在)の1920年前後の教育関連記事を分析することを通じ、20世紀初頭のイスラーム指導者たちが近代学校の形式によるイスラーム教育を推進した背景には、どのような教育観があったのかを明らかにすることである。近代学校の形式を持つイスラーム学校の普及について、先行研究では、雑誌『アル=イマーム』(1906~8)に代表される革新派(「カウム・ムダ」)が近代学校の形式を持つイスラーム学校「マドラサ」を設立した、という流れが強調されてきた。しかし、その後実際に各地に普及した「マドラサ」の多くは「カウム・ムダ」とは直接関係のないものが多く、いわゆる改革主義に与さないウラマーがなぜ近代学校の形式でイスラームを教えるのが良い、という発想をもつに至ったのかは説明されていない。これに対し本報告では、ロフの先行研究(Origins of Malay Nationalism)で守旧派(「カウム・トゥア」)と位置づけられてきた雑誌『プンガソ』を分析することにより、伝統的イスラーム知識伝達の担い手が「マドラサ」の設立に積極的に参加するに至った認識の変化を明らかにした。
 まず『プンガソ』の立場について、ロフ以来固定化されてきた、『プンガソ』はカウム・トゥアであるという見解を、クランタン宗教委員会の教育への関与と、『プンガソ』に掲載された宗教委員会のファトワ(教義回答)を材料として再考した。クランタン宗教委員会はモスクでの伝統的イスラーム学習を運営すると同時に、近代的イスラーム学校を設立している。カウム・ムダの特徴はその法的解釈において先人の見解への追従(タクリード)を批判したこととされるが、『プンガソ』のファトワは明らかにタクリード肯定の立場にある。従って、『プンガソ』はタクリード批判を基準とすればカウム・トゥアであり、伝統的イスラーム知識伝達も擁護しているが、同時に近代的教育を肯定する点ではカウム・ムダと近似している。『プンガソ』の投稿者、読者もまた、カウム・ムダ/トゥアの両者が混在しているといえる。
 このような立場の『プンガソ』の記事を見ると、近代学校教育に肯定的な記事が多く見られる。まず、知識、教育の重要性は何よりも民族、国家の発展と結び付けて論じられる。学ぶべきとされる知識は第一に宗教、次に言語、特に母語の重要性が指摘される。現行のイスラーム教育については「ポンドック(イスラーム寄宿塾)」に代表される伝統的イスラーム知識伝達は批判されないものの、マレー人の宗教知識の圧倒的不足が批判され、学校教育におけるイスラーム教育の充実がその解決策と述べられる。当時広まりつつあった近代学校教育については、その有意義性が説明されている。
 以上の記事を総合すると、第一に『プンガソ』には伝統的イスラーム知識伝達の批判は見られないことが分かる。これは、ファトワにおいて伝統的知識体系を重視するタクリード肯定の立場と関連して理解できる。一方で、『プンガソ』は近代学校教育を評価しているばかりでなく、教育あるいは「学ぶ」ということをイスラームの語彙を用いながら近代学校を基準として認識するようになっている。『プンガソ』はこのような見解を表明することで、伝統的イスラーム知識伝達の担い手に対しても、近代学校の導入はイスラーム知識伝達の性質そのものを変化することはないという認識を広め、近代的イスラーム学校の設立に積極的態度を促したと考えられるのである。
(久志本裕子・東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程)

<コメント・討論>
 久志本発表に対するコメント及び質問は、以下の通りであった。1.雑誌タイトルのPengasuhの翻訳は「擁護者」でよいのか。Pengasuhは養育者、教育者という意味に近いのではないか。2.この雑誌の出版元である宗教委員会の位置づけ・政治的立場を説明するべきである。宗教委員会がスルタン付きの機関であり、政府に対しても助言を行うというのであれば、この雑誌は宗教委員会の政治的立場を反映しているのではないか。3.この雑誌は、クランタン人に対して話をしているのか、それともマレー人を対象にしているのか。それとも、両者を同一のものと捉えているのか。4.説明がなされたマドラサとマスジッドは、相互補完関係にあるのか。また、同じ人物がこの2つの学校に行くことはありえるのか。学習内容は異なるということだが、矛盾しないのか。5.この雑誌は教育者及び一般のマレー人の両者を対象にしたのではないか。一般対象には、イスラームに関する知識をより広め、底上げを狙い、上級者に対しても、よりイスラームの専門性を高めようとしたのではないか。6.「近代的学校」の定義とは何か。近代的学校を前提としたものでなくても教育、民族、国家の発展という記述はありうる。雑誌『プンガソ』には「無意識に」近代的学校教育観が埋め込まれていたのではないかというが、それでは説明不足であり、やはり要因を解明すべき。7.教育というタームについても、pengajaran, pendidikan, tarbiyahなど、使われている単語によって意味が異なる可能性がある。詳細な検討の余地があるとされた。その他、コメンテーターからはインドネシア、西スマトラとの細かい類似点・相違点について検討がなされた。他に、フロアから雑誌の財源の問題やエジプト・モデルなどについて検討すべき点が指摘された。また、教育観・教育思想分析をするのであれば、雑誌の編集に関わった人々や投稿者を一つに捉えるのではなく、むしろ個々に見ていく必要があり、この雑誌のみを史料に何かを言うのは難しいのではないかという意見が出た。
(菅原由美・大阪大学)

服部美奈「声を媒体とする習得―インドネシアのプサントレンにおけるキタブ学習」
<発表要旨>
 本報告では、インドネシアの寄宿制イスラーム教育機関として長い歴史をもつポンドック・プサントレン(以下、プサントレン)におけるプンガジアン・キタブ(pengajian kitab、以下、キタブ学習)を歴史的に検討するとともに、現在のプサントレンでキタブ学習がいかに行われているかを、西ジャワ州の事例にもとづき考察した。インドネシアでは、基本的なクルアーン読誦の学習をプンガジアン・クルアーン(pengajian Qur’an)とよぶのに対し、専門書を用いた、より高度なイスラーム諸学の学習はプンガジアン・キタブとよばれ、現在に至るまでプサントレンにおける伝統的な学習として位置づけられている。またその学習形態として、キタブの本文やアラビア語文法を声に出しながら学習する方法が用いられてきた。
 報告前半では、主としてマフムド・ユヌス(Mahmud Yunus, 1957)の考察をもとに、19世紀末から20世紀前半に至るスマトラとジャワのプサントレンにおけるキタブ学習の変遷と特徴を考察した。ここから、主としてアラビア語文法学(Ilmu Sharaf/Nahu)、イスラーム法学(Ilmu Fiqhi)、クルアーン解釈学(Ilmu Tafsir)の3つの学習分野だったキタブ学習が、20世紀初頭以降、神学(Ilmu Tauhid)やハディース学(Ilmu Hadis)、ウスル・フィクフ学(Ilmu Usul Fiqhi)などを含む12分野に広がったこと、使用されるキタブ数が増加し、習得段階別に数種類のキタブが使用されたことなどを明らかにした。また少なくとも19世紀末から、特にアラビア語文法学では、サントリ(学習者)を惹きつける歌を用いながら文法を暗記する方法が用いられていたことなどを明らかにした。
 報告後半では、映像資料を用いながら、西部ジャワのプサントレン、特にポンドック・プサントレン・バイトゥルヒクマ・ハウルクニン(Pondok Pesantren Baitulhikmah Haurkuning)およびプサントレン・スカヒドゥン(Pondok Pesantren Sukahideng Tasikmalaya)を考察した。1964年に設立された前者のプサントレンはアラビア語文法学で名高く、断食月に開かれる30日のインテンシブ学習ではアラビア語文法学のキタブ『アルフィヤー』(Alfiyah)が重視されていた。1922年に設立された後者のプサントレンにおいてもキタブ学習が重視され、学習段階別に習得すべきキタブが示されていた。
 近年の新たな動きとして、宗教省によるキタブ・クニン・コンテストが挙げられる。このコンテストでの受賞者の輩出が前者のプサントレンの名声を高めたことからも、プサントレンにおける声を媒体としたキタブ学習の伝統の維持は今後も継続していくと考えられる。
(服部美奈・名古屋大学)

<コメント・討論>
 服部氏からは、西スマトラで使用されてきたイスラーム諸学の教科書(キタブ)について報告がなされたが、教科書として何が削られ、何が追加されたかを調べ、使用されなくなった教科書の意味を検討すべきではないかというコメントがなされた。また、今回、「声を媒体とする習得」という報告タイトルがつけられているが、声で伝える学習については、イスラーム流入以前の伝統、口承文学との関連・継続性について考えてみるべきではないかというコメントが出された。
(菅原由美)

○小林寧子「ナフダトゥル・ウラマー第32回全国大会における”伝統”言説」
<発表要旨>
 インドネシア最大のイスラーム団体ナフダトゥル・ウラマー(Nahdlatul Ulama:ウラマーの覚醒 NU)は、法学者(ウラマー)を核として緩やかに連携した団体である。他のイスラーム団体と比較すると目立った組織活動を行っていないため、外部者にとっては実態が把握しがたい。しかし、成員は共通の価値観あるいは「伝統」とされるものでつながり、それなりの「帰属意識」を有している。その成員が望むNUのあり方は、通常5年に一度開催される全国大会での執行部選挙で表出する。
 第32回全国大会は2010年3月下旬にスラウェシのマカッサルで開催された。1999年から総裁であるサハル・マフッズと執行部委員長(議長)のハシム・ムザディが、総裁選で争うというかつてない事態が起き、大会は緊迫した雰囲気に包まれた。これはNUが結成以来二重指導体制という特異な組織構造を持っていることに由来する。最高位である総裁はNUのシンボル的な存在で「碩学のウラマー」でなければならず、組織運営に責任を持つ議長は常に総裁を立てなければならない立場であった。議長職を自らの政治的野心に利用してきたハシムがついに総裁をめざすという挙に出たことで、ハシムを批判する側は、「伝統」への回帰を求める言説を展開させた。
 ハシム陣営は現職の強みをいかして大会前に各地方の執行部をほぼ取り込んでいたために余裕を持って大会に臨んだ。しかし、会場敷地内には多くの宣伝幕が意見広告のように掲げられ、NUのアイデンティティが問い直された。マカッサルの地方新聞には若手のNU活動家から「意見表明」が相次ぎ、NUの「伝統」とされるものが論じられ、投票日が近付くに連れてハシム批判が明確になった。
 結局、サハル陣営の猛烈な大会宿舎での説得工作が功を奏し、サハルは再選された。「伝統の勝利」と言われたが、外部勢力(政府)の干渉も噂された。新執行部は、政治と距離を置き、四半世紀前に謳われた「1926年原則」(社会宗教団体としての役割を果たすための戦術)に則った活動を実現できるかが問われることとなる。
(小林寧子・南山大学)

<コメント・討論>
 小林氏の発表に対しては、ナフダトゥル・ウラマ(NU)に対する他称であったはずの「伝統派」という表現が、他称から自称に変わりつつあるのではないかという小林氏の推測について、今回のNU全国大会で使われた「伝統」という言葉がそれほどに強い意味を発しているものかどうかが疑問であり、先例・慣例を伝統と呼んでいるだけではないかという指摘がなされ、全国大会のみを分析材料にすることの限界が議論された。また、選挙の問題、ネット・メディアの情報、リベラリズムの問題などが議論され、NUにとって「トラディシtradisi」の意味は何かということについて様々な意見が出された。
(菅原由美)

○木下博子「出版界のアズハル・ネットワーク―現代インドネシアの事例から」
<発表要旨>
 本報告では、現代インドネシア社会においてアズハル大学出身者の社会的ネットワークが、当国のイスラーム出版産業に与える影響を考察した。具体的には、インドネシアにおけるイスラーム出版産業の歴史的変遷を概観したのち、報告者が行ったフィールド調査によって得られたアズハル大学出身者らによるフリー・ペーパー発行の事例をもとに考察を行った。
 まず、インドネシアにおけるイスラーム出版産業の歴史的変遷にかんして、時代をスハルト政権初期、1980年代からのイスラーム復興運動期からスハルト政権末期、スハルト政権以降から現代、に3区分し、一次資料および二次資料を用いた分析を行った。その結果、以下の点が明らかとなった。第一に、スハルト政権初期のインドネシアでは、スハルト政権による厳重な報道・出版統制が敷かれていたなかで、主にアラブ系移民によってイスラーム出版が支えられていた点である。第二に、1980年代以降はインドネシア社会全体に波及した大学キャンパスでのイスラーム復興運動を契機に、現在まで営業を続けるイスラーム出版社が設立され、イスラーム関連書籍が広く社会に浸透した点。そして第三に、現代においてはイスラーム関連書籍の大半がアラビア語書物からの翻訳書籍であり、同時に書籍ジャンルの幅と読者層の拡大が観察される点である。
 次いで、アズハル大学出身者らが構築するイスラーム出版業界での社会的ネットワークについて考察を行った。当該社会的ネットワークの淵源は、彼らのアズハル大学留学時代の諸活動にたどることができるため、フィールド調査、および関連文献の精査をもとにアズハル大学留学時の生活を再構成した。その結果明らかとなったのは、インドネシア人留学生組織内部で積極的に言論活動を行っていた少数の学生らが組織した学習会が、出身地や背景を異とする学生らが邂逅する場となった点であり、同時に多様な地域的背景をもつ学生らとの知的交流、相互交渉を経験することでインドネシア・イスラームの多様性を実体験した点である。当学習会の構成員は、帰国後イスラーム出版産業に限らずNGO活動家など多様なキャリアパスを歩んでいたが、その他に執筆者・編者全てがアズハル大学出身者で占められるフリー・ペーパーを発行した。その際に彼らが依拠したのが当ネットワークである。彼らは出版物を通じて留学時の体験をもとに、多様性への理解を呼びかけた。 まとめると、アズハル大学出身者は現代インドネシア社会におけるイスラーム関連書籍の需要増大に乗じて、出版物を用いたダッワ活動を展開している。つまりアズハル大学出身者らは社会的ネットワークに基づいて社会のイスラーム化現象の一端を担っていると指摘できる。
(木下博子・京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科一貫制博士課程)
<コメント・討論>
 木下氏の報告に対して、まずコメンテーターの新井和広氏から以下のようなコメントがなされた。 イスラーム復興運動、中でも一般ムスリム向けの出版活動の発展と、その中でのアズハル出身者の役割というテーマについて、非常に興味深い事例報告であったと思うが、いくつかの点についてもう少し詳しく述べて欲しかった。
 まず、タイトルでは「回路」という言葉が使われているが、インドネシアとカイロの間の単純往復である場合は「回路」ではなく別の用語を用いるほうが適切ではないか。
 また内容に関しては、アズハルでの留学生らの経験についてより詳しく述べて欲しかった。現地のエジプト社会や、アズハルに来る他地域のムスリム学生などとの交流はどうだったのか?もしインドネシア人どうしだけの交流しかなかったとしたら、例えばジャカルタの大学などでの学生間交流でも状況は同じことではないか。アズハル出身であることの意味、アズハル出身でなければならない理由はどこにあったのか?
 また、アズハル留学生自体は極めて多い(約5,000人)にも関わらず、本論で事例として登場するのはごく狭い範囲の顔見知りの関係のみである。本来「ネットワーク」とは、たとえ知り合いでなくてもアズハル出身というだけでつながりを作れるような関係を指すのではないか。発行部数1,000部程度のフリー・ペーパーだけを事例として”出版業界におけるアズハル・ネットワーク”を論じるのは、いささか無理がある。
 そのほか、フリー・ペーパーそのものよりも、マフトゥヒンとインドラヤディが帰国後に設立した出版社について、その設立の経緯などを詳しく述べるべきではなかったか。
 コメントに対して報告者からは、アズハル留学経験者ならではの特殊性というのは調査してもなかなか見えてこないこと、出身者のコミュニティが大きすぎるという問題があることが述べられた。また、最近になって世代を超えたアズハル卒業生の組織化・ネットワーク作りの動きが始まりつつあることも指摘された。
 この後参加者から様々な質問・コメントがなされたが、それらは大きく2つの問題に関わるものであった。1つ目はこの事例がどの程度広がりを持つものなのか、またアズハル出身者ということがどのような意味を持つのか、という問題である。①この事例と似たようなケースは他にもたくさんあるのではないか、特に、アズハルにおける同様の学習グループとの相互の交流はなかったのか。②1920-30年代とは違ってこの時期には留学がかなり制度化されているが、それによる変化はどうだったのか。③アズハルにおける学生団体の地方支部の充実について述べられていたが、全体の議論の中での位置づけがはっきりしない。④ダッワ運動自体は様々なイスラーム指導者が行っていることなので、彼らがダッワを展開したということ自体よりもその内容・特徴・他との違いを論じるべきではないか。などの疑問が提起された。
 2つ目の問題は、本論の事例において見られたフリー・ペーパーという発行形態についてである。フリー・ペーパーという発行形態が現在のインドネシアの出版業界でどのような位置づけにあるのか、どの程度メジャーなものなのか、という疑問が出された。これに対し、フロアの森山幹弘氏から、最近、経済の好調を背景にグラメディアなど大手出版社がフリー・ペーパーの発行を始めており、出版における新しい動きを生み出しつつあること、それ自体の独特な流通ルートが形成されつつあることが指摘された。これに関連して、本報告の背景として出版をめぐる状況の大きな変化(特にイスラーム書籍市場の拡大)、およびその資本的背景という問題があり、それを踏まえたうえで、それと中東コネクションとの関係を論じるべきではないか、との問題提起がなされた。これに対し報告者からは、出版・翻訳市場についても調査したいのだが、規模が大きいために調査が難しく、また翻訳者がアズハル出身者かどうかを統計的に処理するのが困難である、との回答がなされた。
 この他にも様々なコメントがなされ、活発に討論が行われた。
(國谷徹・上智大学)