研究会・出張報告(2010年度)

   研究会

日時:2010年7月10日(土) 13:30~17:30
場所:上智大学2-510号室
発表:
登利谷正人(上智大学)
「1920~30年代のアフガニスタン政治史におけるパシュトゥーンの活動とその影響」
 コメンテーター:清水学(帝京大学)
概要:
 登利谷正人(上智大学大学院)氏の報告「1920年代のアフガニスタンにおけるパシュトゥーンの政治活動とその影響~ワズィーリスターンの事例より~」を受け議論を行った。氏の報告はイスラーム運動研究の視点からも極めて時宜を得たものであった。なぜならば、アフガニスタンの反テロ戦争がオバマ政権以降、ターリバーンやアル・カーイダがパキスタンの連邦直轄部族地域(FATA)を「聖域」として利用しているとして、パキスタンを含めた対応が必要であるとする、いわゆるAFPAK戦略が打ち出されてきたからである。この米・NATO戦略を構築する上で重要な役割を果たしたのは、ニューヨーク大学のアフガニスタン問題専門家バーネット R. ルービン氏であるといわれる。ルービンはその著書The Fragmentation of Afghanistanで知られているが、AFPAK戦略の成否はアフガニスタン研究者としての資格が問われる意味を持っている。
 そのなかでFATAを歴史的に理解することは不可欠な課題である。今回の登利谷氏の報告は、アフガニスタン史における極めて重要な時期である1920年代のパシュトゥーンの問題を扱ったものである。アフガニスタンの独立、英国の政策と革命ロシアとの関係、近代化政策とその挫折、一時的であれタージク人政権の樹立など今日のアフガニスタン・パキスタンとFATAの枠組みを理解するうえで不可欠な時期である。報告の骨子は2点である。第1は、19世紀末までに中央集権化を進めたアブドゥル・ラフマーンの治世以後、アマーヌッラーとナーデル・ハーンの活躍した1920年代を通じて、以前にも増してパシュトゥーンの諸部族、特に英領インドとの国境地帯(アフガニスタン側・インド側の区別なく、そこには当然FATA該当地域も含まれる)の諸部族の影響力が無視できないほどに拡大した事実である。第2に、1920年代までに構築されていたモッラーたちによるネットワークがさらに拡大し、影響力を増し、中央集権化と矛盾する地方の独自権力を残存させるとともにカーブル宮廷への直接的な影響力も保持するという構造を生んできたことである。いずれにしても本報告は、シュトゥーンのネットワーク、さらにパキスタンを含む枠組みのなかでのAFPAK戦略の成否、あるいはターリバーン問題の解決を歴史的視点から目を向けたものであり、今後の発展が期待される研究分野となっている。
(清水学・帝京大学)