研究会・出張報告(2010年度)

   研究会

日時:2010年5月30日(日) 15:00-18:45
場所:上智大学四ツ谷キャンパス2号館630a号室
発表:
高尾賢一郎(同志社大学)
 「スーフィズムを巡る主張と評価の諸展望―シャイフ・アフマド・ クフターローの事例から」
高橋圭(上智大学)
 「近代エジプトにおけるタリーカ再評価―タリーカ改革(1895-1905)の目指したもの」
新井和広(慶應義塾大学)
 「インドネシアにおけるイスラーム定期刊行物とアラブ・コミュニティー―アル=キッサ(alKisah)の事例から」
三沢伸生(東洋大学)
 「戦前期の日本におけるイスラーム受容―神道とイスラームの習合の模索」(仮題)
コメント:東長靖(京都大学)

概要:
 本研究会は、2010年7月にバルセロナで開催されるWOCMESにおけるパネル報告"Sufis and Saints Facing the Government and the Public"へ向けた研究発表の場であった。
 まず高尾氏からは、シリアのナクシュバンディー教団指導者であり、最高ムフティーでもあったシャイフ・アフマド・クフターローの教団ネットワークに関する報告が行われた。高尾氏は、同教団がダマスカスで構築してきたネットワークをクフターローの父祖の代にまで遡り検証を行った。資料の精査を通じて、クフターローは父祖の後継として引き継いだ教団において中心的人物であり続け、同時に最高ムフティーの職位にもあったことから、クフターローと彼を取り巻く教団関係者らのネットワークが、現代の宗教発エスタブリッシュメントに貢献したことが明らかにされた。
 次に高橋氏からは、近代エジプトにおけるタリーカのあり方にかんして、タリーカの制度化を通じた政府と民衆の反応にかんする報告がなされた。報告では、第1に、1895年以降のタリーカ改革によって、タリーカが行政機構の一部として再編成されると同時に、タリーカ自身の組織化が達成されたこと、第2に、タリーカのシャイフらは改革後教育者としてエジプト社会における指導的役割を全うし、近代社会への自発的な関与がみられた点が指摘された。
 後半は新井氏と三沢氏による報告が行われた。新井氏からは、インドネシアのサイイドを取り上げた定期刊行物である『アル=キッサ(al-Kisah)』と同雑誌の出版を取り巻くサイイドらの営為にかんする報告が行われた。新井氏は、同雑誌が昨今のイスラームの商品化の潮流に上手く乗じており、他の競合雑誌のなかで発行部数が最多、かつ若年層の読者を多く獲得している点を指摘した。またこのことから、インドネシア・イスラームにおけるサイイドの重要性が読み取れることが指摘された。他方、同雑誌におけるサイイドの表象方法や、大成していない若手知識人らを取り上げることなど、雑誌の方向性をめぐり同じサイイドらの間でのコンフリクトが生じている事例が紹介された。
 最後の三沢氏による報告では、戦前期日本におけるイスラーム受容にかんする報告がなされた。三沢氏は軍属の日本人ムスリムではない田中逸平と有賀文八郎に着目し、神道とイスラームの習合についての言説を分析した。具体的には、田中が神道に親近感をもち、イスラームと神道の習合を達成した上での大アジア主義を主張したのに対して、有賀は、仏教、儒教を含む神道への懐疑的志向を持ち合わせてはいたものの、キリスト教への理解を示し、白色人種に対抗するための大アジア主義を主張したという両者の相違点が指摘された。
 会場を交えた質疑応答では、パネルでのそれぞれの持ち時間を考慮し、発表内容を精査する必要性が提言がされ、次回研究会に向けた修正点などの指摘もあった。
 (木下博子・京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科一貫制博士課程)