研究会・出張報告(2010年度)
研究会- グループ1第1回研究会(2010年5月23日上智大学)
日時:2010年5月23日(日) 14:30~17:30
場所:上智大学2-630a号室
発表:
荒井康一(上智大学)
「トルコ出張報告―南東部の開発と社会変容に関する資料収集」
白谷望(上智大学)
「現代モロッコにおける政治体制とイスラーム―国王の戦略と『公正開発党』のジレンマ」
コメンテーター:浜中新吾(山形大学)
概要:
荒井康一「トルコ出張報告:南東部の開発と社会変容に関する資料収集」
荒井氏の報告は、2009年11月17日から27日までのトルコ出張の成果、シャンルウルファ県の投票動向と南東アナトリア開発計画と社会変容についてであった。
トルコ出張の目的は、トルコの民衆レベルにおけるイスラームおよび民族主義の運動・意識の実態について、計量的な分析からのアプローチを試みる研究の一環として、計量分析に必要な、南アナトリア地方の詳細な社会経済データ、開発関係資料および2007年の国会議員選挙データの収集を行うことであった。出張の主な成果は、トルコ首相府統計局で2007年国会議員選挙の統計と県別の社会経済統計を3種類入手したこと、トルコ首相府南東アナトリア地域開発局アンカラ駐在員事務所で水資源管理・社会経済変容・人口移動・社会開発計画についての報告書を購入し、アンカラ事務局長のトルガ・エルドアン氏と会談しアドバイスを得たことである。
シャンルウルファ県の投票動向に関しては、1. 「2007年選挙における無所属候補のその後とクルド政党」、 2. 「シャンウルファ県における無所属議員の投票動向とエスニシティ、都市」、3. 「シャンウルファ県におけるブロック投票の動向」についての報告があった。1. では、2007年選挙で無所属候補として当選した26名のうち20名が平和民主党(BDP)に加わったこと、新たな政党が設立されたこと、祖国党(ANAP)と民主党(DP)が合流したことなどが指摘された。2. では、ブロック投票が多いこと、クルド語住民が多くアラビア語・トルコ語住民が少ない県では親クルド政党の投票率がやや高めになること、2007年の親クルド候補の票はやや都市型であることが指摘された。3. では、2007年のシャンルウルファ県でのブロック投票が減少傾向にあるとは言えない状況にあることが指摘された。
「南東アナトリア開発計画と社会経済変容」では、『社会変容の傾向』、『社会行動計画』、『南東アナトリアにおける人口移動』の3つの資料をもとに、南東アナトリア地方の開発計画と社会経済変容についての報告があった。南東アナトリア地方は、依然として人口増加・都市化・雇用が大きな問題であり、都市部での社会サービスが求められ、また農村部では部族長や宗教指導者の影響が残っていることが指摘された。例えば、物質的必要・借金・安全・問題解決に部族長、シェイフ、アガを必要とすることなどである(『社会変容の傾向』より)。
荒井氏は、トルコ出張で入手したデータ・資料をもとに、南東アナトリア地方の社会経済変容と、それが投票行動にもたらした影響についての分析を進めること、シャンルウルファ県以外の投票統計も分析し、民主社会/民主市民党(DTP)系候補の得票傾向およびブロック投票の与党志向性および社会経済特性との関係などを中心に考察を深めることを今後の課題として提示した。
トルコ出張で入手したデータ・資料が大きな関心をよび、『社会変容の傾向』『社会行動計画』『南東アナトリアにおける人口移動』についての質問が多く、活発な議論が交わされた。
(中野礼花・上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士前期課程)
白谷望「現代モロッコにおける政治体制とイスラーム:国王の戦略と『公正開発党』のジレンマ」
白谷望氏からは、現代モロッコにおける政治体制とイスラームに関する報告がおこなわれた。モロッコは現在「マフザン体制」と呼ばれる王政、権威主義体制である。国王は神格化され、その支配の正統性はイスラームにあり、イスラーム主義組織に対して厳しい対応をとっている。
対する公正開発党は、モロッコにおいて初めて法的認可を受けたイスラーム主義政党であり、近年議席数は伸び悩んでいるものの最大野党である。また前述の王政下において、イスラーム主義を掲げて政治参加を行う政治領域内の反体制政党であるといえる。
まず、モロッコにおける体制・反体制に関する先行研究に言及がなされ、そこから、白谷氏は時代ごとに変化する政治勢力の均衡状態を動態的に理解する必要性があること、また、イスラーム主義運動を客体として捉える立場が不足しているとして、ひとつの政治勢力として他の政治主体との相関関係から公正開発党の分析を行う必要性を指摘した。
次に、体制側の支配戦略の事例を示した。国王の支配戦略とは、政治アクターを対立させる分断型統治である。モロッコは独立後、国王と共に独立運動を牽引した勢力が台頭し、複数政党制が導入された。国王は、これら政治アクターの上に存在し、いずれの勢力も体制を揺るがすほどの力を持ち得ないよう取り込む政治アクターを変えていく。
国王は、1970年代はイスラーム主義運動へ弾圧策をとっていたが、1990年代以降、国民の意見をくみ上げる公的なシステムを構築、また政治領域の分断化を狙い、取り込み政策へと転換した。ただし、国王に対する批判はできないよう制限されている。
公正開発党は、目的を達成するための手段として政治領域を利用することを決意する。合法化には①暴力放棄、②憲法・政治体制の承認、③国王の権威と正統性の承認という条件がかされていた。公正開発党は、合法政党として、体制の宗教的制限の範囲内で、宗教的主張を抑制した活動を行い、宗教問題は倫理・道徳問題に転換するなどの対応策をとる。2002年の選挙では第3党まで躍進するが、2003年テロ事件以降、穏健路線に転じて以降、他党との差異化が図れず議席数は伸び悩む。また、公正開発党の母体である非合法のイスラーム主義組織MURと保ってきた親密な関係も、2003年以降、イスラーム主義組織に対するマイナスイメージ払拭のため距離を置くようになっている。
上記の事柄から、白谷氏は、公正開発党の政治参加は、政治領域のみでなく、イスラーム主義組織間にも亀裂をもたらし、国王が行う政治アクターの分断型統治という支配構造の機能に貢献していることを論じた。
コメンテーターの浜中新吾氏からは、研究の意義(リサーチ・デザインの問題)、モロッコをケーススタディーにした比較政治研究の検討(Review)、分析手続きについてコメントがなされ、フロアからの質問も含めて、活発な議論が行われた。
(中村遥・上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士前期課程)