研究会・出張報告(2009年度)
研究会- “Diversity in the Traditions and Reforms of Islam”(2010年2月13日上智大学)
日時:2010年2月13日(土)10:00~18:30
場所:上智大学市谷キャンパス6階会議室
プログラム:
10:00-10:20 Opening
10:20-12:20 Part One: Islamic Traditions Revisited →報告①
WAKAMATSU Hiroki (Sophia Univ.), “A Study on Social Structure in Eastern Turkey: Through the Analysis of Ocak of Kurdish Alevi People”
ISHIDA Yuri (Kyoto Univ.), “The Types of Lat?'if in Sufi Psychology”
NOHECHI Akane (Sophi Univ.), “Islam and Consumer Goods: Production and Use of Lucky Charms in Iran”
TOCHIBORI Yuko (Kyoto Univ.), “al-Am?r ‘Abd al-Q?dir al-Jaz?’ir?’s View of Religious Practice: With Special Reference to Jih?d in ‘Kit?b al-Maw?qif’”
13:30-15:30 Part Two: Reinterpreting Islam for Modern Societies
SHIMIZU Masako (Sophia Univ.), “Dynamics of Palestinian Politics and Hamas’s Changing Participation: Mechanisms and Processes of Concluding Cairo Declaration”
FUKUNAGA Koichi (Sophia Univ.), “Hasan al-Banna's Historical Perspective and Its Meaning for the Revival of Islam: A Brief Examination of his Tract ‘Between Yesterday and Today’”
SHIRATANI Nozomi (Sophia Univ.), “Political System and Islam in Morocco: Coexistence and Opposition between the King and the ‘Party of Justice and Development’”
FUJII Chiaki (Kyoto Univ.), “‘The Medicine of the Sunna’ on the East African Coast: In the Tide of Islamic Revival”
15:45-17:15 Part Three: Islam across Borders →報告③
Adam Acmad (Sophia Univ.), “Contemporary Muslim Filipino Historiography: Muslim Views of Mindanao History as Seen in Selected Works of Abdulmajeed Ansano”
YASUDA Shin (Kyoto Univ.), “The Result of 'Tourization' of Religious Visit: A Case Study of Syrian Shi’ite Ziy?ra”
KINOSHITA Hiroko (Kyoto Univ.), “Discovering the Diversities of Indonesian Islam in Contemporary Cairo: The Case of Indonesian al-Azharites Community”
17:20-17:50 Comment: Harun Anay (Marmara Univ.)
17:50-18:30 General Discussion
→全体報告
報告②:
ワークショップの第2部においては、4名の発表者が “Reinterpreting Islam for Modern Societies” というテーマに基づいて、発表を行なった。
清水雅子氏(上智大学)は “Dynamics of Palestinian Politics and Hamas’s Changing Participation: Mechanisms and Processes of Concluding Cairo Declaration” と題して、ハマース(イスラーム抵抗運動)のパレスチナ自治政府に対する政治参加のプロセスと指導者の政治戦略を考察した。発表者は考察の対象を、ハマースやPIJ(Palestinian Islamic Jihad)の政権参加に同意したカイロ声明(2005年)に据えた。まず、ハマースの政治的立場を理解するために、その形成の経緯としてハサン・バンナー(?asan al-Bann?)によるムスリム同胞団の成立過程が考察された。その目的は大英帝国などの外国の脅威に対抗し、さらにイスラーム復興を実現することにあり、「国内」の政治に携わることは必ずしも不可欠なものではなかった。それに対して、ハマースはに明らか「国内」の事業に携わっていることを目的としていた。その後、発表者はハマースの政変参加に関する指導者たちの発言やハマース側の思惑の違いなどの政治的背景を踏まえたうえで、2000年9月のアクサー・インティファーダを契機に進められたカイロ対話へと考察を進めた。2002年から2006年に4回にわたって行なわれた対話はカイロ声明としての成果を生んだ。この声明はパレスチナ人がイスラエルに抵抗する権利や祖国へ戻る権利や、比例制の導入やハマースやPIJを含む派閥の参加を認めるPLOの選挙法の改正など6項目から成っている。発表者の論じるところによれば、この声明の意義は「抵抗の権利」に言及したことにある。さらに、PLOの改革によってハマースやPIJがPLOの地位を容認したように、このカイロ声明はハマースとPLOの妥協の産物であった。このことに関して、PLOのアッバースは選挙法の改正を非難され、イスラエルやアメリカはその声明を快く思わなかった。このような一連の経緯を詳細に記述した後に、結論において発表者は、カイロ声明がハマース側に多くの実りをもたらし、ハマースを少数派から主流派へ引き入れたこと、さらにハマースのイスラーム組織としての活動やイスラーム主義者の登場が多くの有権者を獲得することになったことを指摘した。討議においては、ハマースとエジプトの関係性、さらにハマースとファタハ(パレスチナ解放運動)の関わりについての質疑応答があった。
福永浩一氏(上智大学)の “Hasan al-Banna’s Historical Perspective and Its Meaning for the Revival of Islam: A Brief Examination of his Tract ‘Between Yesterday and Today’” では、ハサン・バンナーの著した小冊子である “Between Yesterday and Today” における彼の歴史的パースペクティヴとその意義が考察された。発表者は小冊子の全体の構成が示したのち、各章で論じられている内容を中心に、彼の歴史的パースペクティヴを説明した。冒頭において、バンナーはクルアーンを取り上げ、クルアーンが「それ以前の暗黒の過去と東洋の輝かしい未来」のあいだを決定的に分かつものであることを論じた。発表者の指摘によれば、彼はイスラーム以前には何ら関心を向けていないという。その小冊子の第4章において、バンナーは初期のイスラームを取り上げ、その成功が教義への専心と自らの宗教への理解にあることを論じている。さらに、彼は初期イスラームのムスリムたちがユダヤ教やキリスト教などの他宗教と接触していたにもかかわらず改宗せず、逆に多くの人々をイスラームへ改宗させることに成功したことに言及する。第6章では、イスラーム的状況の衰退が十字軍やモンゴル民族の侵入、そしてヨーロッパの支配によって生じていることが述べられ、ヨーロッパの戦争はムスリムに独立と統一の機会を与えるものであることが示される。発表者が指摘するように、バンナーの視点は歴史のダイナミクスを政治的な要因というよりも、人々の道徳的特徴に置かれている。したがって、イスラームの内的衰退はクルアーンのメッセージの無視や、自己に内属するさまざまな要因など、内部に起因していることがバンナーによって論じられる。バンナーはイスラーム的状況を回復するためにも外的勢力から独立し、自由になることが不可欠であると考えた。西洋文明に対するイスラーム的状況の回復のために、映画やダンスホールばかりでなく、西洋の物質主義もまたムスリムの宗教的信仰や固有性を破壊するという疑念を抱き、彼はシャリーアを固守することを強調した。結論において、発表者はバンナーの視点が歴史に関する著書としての価値はないが、イスラーム世界と西洋文明の状況に関する洞察を提示していること、さらにイスラームの歴史と西洋文明について論じている他の思想家との比較が有用であることに言及した。討議においては、バンナーの考えが次世代に受け継がれたのかどうかに関する質問や、彼の使用する “watan” の語と “umma” の語についての質問があった。それに対して、発表者より彼の考えが彼の信奉者たちに継承されたこと、バンナーの文脈においては両者がほぼ同義で使用されていることが補足された。
白谷望氏(上智大学)の “Political System and Islam in Morocco: Coexistence and Opposition between the King and the ‘Party of Justice and Development’” は、モロッコ王政の抱える政治的状況のジレンマを、最大政党のイスラーム主義政党PJD(Party of Justice and Development)が次第に影響力を強めていく過程を中心に考察するものであった。モロッコはオスマン帝国の支配下を逃れ、スルターンの統治体制を維持していたが、都市部以外は家父長制による諸部族の統治が行なわれていた。発表者は、この統治の状況は諸部族がスルターンを信仰的指導者として認めているのであり、彼らはスーフィーの指導者と結びついてスルターンから独立していたことを指摘した。フランスによる支配の際にスルターンは政治的道具となったが、王は自らを預言者ムハンマドの系譜を継承する信仰的指導者であること、モロッコにおけるイスラームの庇護者であることを主張することで、フランスからの独立のシンボルとして大衆の支持を集めた。この状況において、王政はあくまでイスラームを基盤としており、イスラーム主義グループがその状況を下支えしていた。1980年代終盤のモロッコ軍と隣国アルジェリアのイスラーム主義者たちとの軍事衝突は、モロッコ王政は2つの脅威、すなわち国内で急速に拡大していた左翼主義者と、王政を脅かすであろう自国のイスラーム主義者に対する対応に迫られていることを気づかせた出来事であった。発表者は1997年にPIJの発足と政界へ参入がこの延長線上にある出来事であることを示唆し、PIJの政治的勝利の過程へ考察を進める。PIJは1997年の発足当初は9議席であったが、2007年では46議席と議席数を急激に伸ばした。発足当初、王との会合のなかで、PIJが王の政治的権威とその政治体制に同意するという基本方針が定められた。しかしながら、その後、PIJとMUR(Movement of Unity and Reform)との政治的対立を深めるなかで起きた2003年のテロ以降、PIJの宗教問題に対する主張は変化する。結論において、発表者はPIJのイスラームに関する非言及や、政党のイメージを変えるためのイスラーム政党というアイデンティティーの放棄が、政治関係者ばかりでなく、イスラーム主義者の分裂も引き起こしていることを論じた。討議では、PIJとMURが発足するまでの経緯やそれらの主な支持層、さらにはテロ後のPIJの指導者がいかに対応したのかについての質疑や補足説明が行なわれた。
藤井千晶氏(京都大学)の “‘The Medicine of the Sunna’ on the East African Coast: In the Tide of Islamic Revival” は、東アフリカ沿岸における「伝承(Sunna)の医学」の実践状況について明らかにするものであった。まず、発表者のフィールドワークの拠点であるタンザニアのザンジバルについて説明された。続いて、伝承の医学とスワヒリ語で治療を意味するウガンガ(uganga)についての比較がなされた。「ウガンガ」はズィクル、占い、さらには歌などの「預言者の医学」によって病を治療する。歌を除き、そうした治療法はイスラーム的な要素に基づいている。それに対して、伝承の医学はイスラーム的ではないものや預言者ムハンマドの時代以降に付加されたものを排除するという点でウガンガよりもイスラームに制限されている。発表者によれば、両者には多くの共通点があるものの、伝承の医学はウガンガよりもクルアーンを強調しているという。続いて、実際に治療中の動画を交えながら伝承の医学の治療が考察された。治療において、患者は足をマッカの方角へ向け、大音量のクルアーンのテープやCDをスピーカーやヘッドフォン越しに聴く。そのあいだ、患者はクルアーンの朗誦に集中するために目隠しをする。こうした治療によって、ジニ(jini:アラビア語のジン(jinn)から派生)を体内から追い出すことができると考えられている。発表者によれば、伝承の医学の治療者の多くはザンジバルで生まれ、多くはモスクやクルアーン学校の教師であるという。また、彼らはサリムという男性の診療所で学んだり、彼の著書を読んだりして伝承の医学の治療法を修得している。彼らの治療法はクルアーンやハディースに基づいており、ジニが病気の原因とみなす点や、クルアーンを朗誦し、ハーブを使用することによってジニに対処する点は共通している。次に、発表者はフィールドにおける伝承の医学とウガンガの関わりについて、“Ansar Sunna” と呼ばれる人々に焦点をあてる。サウディアラビアなどの国々から招聘された彼らは、ウガンガを改革し、それから預言者の時代以降に付加された要素を排除した。発表者はこの一連の過程から、結論において、伝承の医学とは様々な要素を含むウガンガを再形成であると述べ、ウガンガに見られるように、世界中で見られるイスラーム復興の潮流は「伝統」の再形成を含んでいることを示唆した。討議においては、伝統の医学と近代的な医療体系の関係性や、伝承の医学の治療費などに関する質問があった。それらに対して、発表者はタンザニアが社会主義国であるために病院の治療費は無料であることを述べたうえ、それが近代的医療体系とは矛盾しないこと、さらに伝承の医学の治療費は流動的であることを説明した。
(澤井真・東北大学大学院文学研究科博士後期課程)