研究会・出張報告(2009年度)

   研究会

国際ワークショップ「東南アジアのキターブ比較研究に向けて」
上智大学アジア文化研究所イスラーム地域研究拠点(SIAS)グループ2「東南アジア・イスラームの展開」・イスラーム地域研究東洋文庫拠点(TBIAS)共催

日時:2009年11月8日(日)10時~18時
場所:上智大学四ツ谷キャンパス図書館L-911
英語(通訳なし)
出席人数:約20名

<午前の部 10:00~12:30>
司会:青山享(東京外国語大学)
 1.オマン・ファトラフマン(インドネシア国立イスラーム大学ジャカルタ校)「東南アジアのイスラーム研究強化にとって東南アジア・キターブ・カタログが持つ意義」
 2.新井和広(慶応大学)・柳谷あゆみ(東洋文庫)「上智大学東南アジア・キターブ・コレクション・カタログ作成に関する中間報告」
<午後の部 13:30~18:00>
司会: 小林寧子(南山大学)
 3.エルファン・ヌルタワブ(インドネシア国立イスラーム大学ジャカルタ校)「上智大学収集東南アジア・キターブに関する文献学的検討」
 4.菅原由美(天理大学)「東南アジアにおけるキターブの出版状況」
 5.川島緑(上智大学)「1920-70年代フィリピン・イスラーム地域における出版活動の展開」

討論者:東長靖(京都大学)・服部美奈(名古屋大学)

報告要旨
第1報告:オマン・ファトゥラフマン
 オマーン・ファトゥラフマン氏からは、インドネシアを中心に、キターブ執筆・出版の歴史的変遷に関する報告がなされた。当地域における初期のキターブは、著名なウラマーによって執筆され、ジャワやミナンカバウをはじめとする各地のスラウ(礼拝所)やプサントレン(寄宿制のイスラーム学校)で重要な教材として用いられた。当時は手書きによる写本として広まっていった。このような初期のキターブは、中東地域における印刷技術の発達により、その後同地において活字として出版されるようになる。特にナワウィ・バンタニとサレー・ダラットによる著作は多くが出版された。オマーン氏は、19世紀後半からの中東と東南アジアの両地域におけるこのような出版活動の功績と、ウラマー同士によるネットワークの相乗効果により、キターブは東南アジア域内に幅広く流通した、と指摘した。他方、キターブを収集する上での大きな問題点にも言及がなされた。具体的には、現在キターブは東南アジア域内に散在していることに加え、その量や内容が不均一であるために収集・分類作業が困難であるという点である。これまでオランダ人学者らの手によってキターブの収集・分別が行われたこともあったが、本プロジェクトのように大規模な収集はこれが初めてである。最後にオマーン氏は、収集したキターブ集が、東南アジアのイスラーム研究を志す者にとって貴重な一次資料となることを期待すると述べた。(木下博子)

第2報告:新井和広・柳谷あゆみ
 新井和広、柳谷あゆみ両氏の報告では、収集されたキターブを具体的にどのようにカタログ化しているか、その作業過程に関する紹介がなされた。まず新井氏からは、書名の入力、整形作業、タイトル検索作成の状況が詳細に解説された。次に柳谷氏は図書館司書としての観点から、書名を記述する際の問題点を述べた。特に、図書名表記の際に用いられる翻字規則(ローマナイズの仕方)ではALA-LC方式と、研究者が一般に共有している方式に大きな差異があることが指摘された。その他、ジャウィ表記(アラビア文字表記のマレー語)を翻字するときに、該当語がアラビア語からの借用語であるのか、アラビア語そのものであるのか、判別する必要があるものの、この判別が困難であることが、述べられた。アラビア語、マレー語の双方に明るい作業者が限られているという問題に加えて、図書館司書の「常識」と研究者の「常識」との間に介在する齟齬が、作業をより困難にしている事実が浮上した。これらの点を踏まえて両氏は、限られた時間内で作業を円滑似進めるためには、相互の密な連携が不可欠であると指摘した。(木下博子)

第3報告:エルファン・ヌルタワブ
 エルファン・ヌルタワブ氏からは、東南アジアにおけるキターブ出版に関する報告と、実際に上智大学においてキターブ・カタログ作成を担当している視点から、上智大学のキターブ・コレクションに関する考察がなされた。エルファン氏は、まず東南アジアにおけるキターブ出版は、次の5つに分類することが可能だと指摘した。①国家・政府の機関を通じた出版、②民間の大手出版社による出版、③地域の書店や個人による出版、④プサントレンをはじめとする教育機関による出版、⑤人々の手による書き写し、口頭言説の書き取りによる出版、以上である。次にエルファン氏は、自身が行っているキターブのカテゴリー分類に関して言及した。現在上智大学が収集した約2,600冊のキターブのうち、約55%はフィクフ、アキーダ、アラビア語、ハディース、スーフィズム、タリーカに大別することができ、残りの45%に関しては、その他の分野として分別可能だという。しかし、こうした分類はあくまでも暫定的なものであり、今後精査する必要性がある点が付言された。(木下博子)

第4報告:菅原由美
 菅原由美氏による報告では、インドネシアにおけるキターブ・ビジネスが拡充する過程において、そのキターブの内容と、東南アジア社会においてキターブ出版がもつ意味に関する考察が行われた。1920年代頃からジャワ島を発端に、スマトラ島や、その他各地に居住するアラブ人らが書店を開いたことにより、地域社会にキターブが受容されるようになった。これらの書店は、中東地域から版権を購入することによって、アラビア語のキターブを出版していただけではなく、ジャウィや、同じくペゴン(アラビア文字表記のジャワ語)での出版も行っていたという。家族ビジネスとしての書店は、その後経営破綻に陥った場合もあったが、現在でも継続して経営を続けている書店も存在するという。続く内容分析では、19世紀後半にボンベイで出版されていたジャウィとペゴンのキターブが考察対象とされた。内容の断定が困難ではあるが、ジャウィのキターブ22冊では、タウヒードやフィクフなどが多く確認された。他方、ペゴンのキターブは、20冊のうちの多くが、フィクフやスーフィズムに関する内容を含んでいた。その他、現代のペゴンのキターブ出版状況に関しても言及がなされた。最後に菅原氏は、書店の展開とともに地域社会に浸透したキターブは、主として地域のイスラーム学校でされていただけではなく、地域の人々からウラマーまで、イスラームを学ぶ人々に、学習の扉を開いたと結論づけた。(木下博子)

第5報告:川島緑
 フィリピン・ムスリム研究において、アラビア語で書かれた資料は長らく等閑視されており、研究者は英語を中心とする欧語資料に頼ってきた。これに対して川島氏は、イスラームの知識の伝達に非常に重要な役割を果たしてきたと思われるアラビア文字表記アラビア語や現地語のキターブに焦点を当てた。川島氏は南部フィリピンの南・北ラナオ州で収集した一次史料に基づいてアラビア語、マラナオ語のキターブ出版の展開を以下の4つの時代に分けて分析した。第1期(1930年代以前)にはイスラームの知識の伝達は家族・親族やグルの家、モスクで行なわれていた。キターブの数は非常に少なく、少数の特定家族が先祖伝来の家宝として他人の目に触れないように保管していたため、一般の人がクルアーンや他のキターブを目にする機会は非常に少なかった。識字率は20世紀初頭5%程度であった。
 第2期(1930-41年)にはプロテスタント宣教師フランク・ローバックによる識字教育運動とそれに対抗するウラマーの動きが見られた。ローバックはマラナオ語のラテン文字表記方法を開発し、学校を設立し、ラナオ州に初めて印刷機を導入して地方新聞の刊行とマラナオ語ラテン文字表記出版物(新約聖書、宗教物語、民謡、実用書)の発行を手がけた。これに脅威を覚えたウラマーの一部はイスラーム教育改革に取り組み、マドラサを開設したり、アラビア文字表記キターブを出版した。
 第3期(1946-50年代)は、謄写版印刷などの単純な技術を用いたイスラーム出版活動の萌芽期であった。マッカで教育を受けたマラナオ人ウラマーのアフマド・バシルがアラビア語を授業言語とし、図書室や印刷所を備えたマドラサを開設し、イスラーム学やアラビア語の教科書を出版した。
 第4期(1960-70年代)にはウラマーによる出版活動が全面的に展開された。漫画やポルノグラフィー等の流入に危機感を抱いたマドラサ教師たちが多数のイスラーム物語を発行したり、マニラにアラビア語活版印刷所を設立して出版活動に乗り出した。これらは後のイスラーム運動の基盤を形成した。
 最後に以下の3点が指摘された。(1)キリスト教宣教師の識字運動と出版活動がイスラーム出版を促進する結果をもたらした。(2)イスラーム組織の設立とイスラーム教育の制度化がウラマーの出版活動を可能にした。(3)近年は中東諸国からの支援によりイスラーム書出版活動が拡大し、マニラやフィリピンの他の都市のムスリム・コミュニティにもイスラーム書の供給網が広がっている。
 討論ではフィリピンとマレー世界とのコネクション、キターブの翻訳者やそのアラビア語能力、民間の口承とマドラサでのイスラーム教育との関係などについて活発に質疑応答が行なわれた。(渡邉暁子)

総合討論
 以上の発表を踏まえて、東長靖氏と服部美奈氏両名をディスカッサントとして交え、議論が行われた。両氏に共通する指摘として、キターブを受容する側が一体誰であったのか、そしてどのように使用されたのかという点があがった。その他東長氏からは、エルファン氏が行っているカテゴリー分別の妥当性とその意味づけと、収集したキターブがアラビア語、ジャウィ、ペゴンなど、どの言語で記述されているのか、という2点が問題として提起された。続く服部氏からは、キターブの内容を精査することの必要性と、東南アジアのキターブの比較と銘打っている通り、域内のキターブを比較するための分析枠組みの構築が課題である、との指摘がなされた。
 時間の都合上フロアを交えた総合討論は行われなかったが、2名の図書館関係者の方から所属図書館のキターブ収集状況などについて貴重な意見が提示された。
 最後に、限られた期間・予算内でのキターブ収集とカタログ作成に関して、川島氏からは、現時点では正確で信頼性の高いカタログ作成が喫緊である、とのコメントがなされた。東南アジアのイスラーム研究において、イスラームの知的交流や知の伝達という観点からキターブ研究は必要不可欠の要素であることは想像に難くない。キターブ・カタログが今後の東南アジアのイスラーム研究のさらなる拡充に貢献することは間違いない。その意味で、本ワークショップは、プロジェクトの中間報告として大きな成果発表の場であったと同時に、今後解決すべき課題が明らかとなった貴重な機会であった。(木下博子)