研究会・出張報告(2009年度)

   研究会

*東京大学東洋文化研究所主催、早稲田大学拠点、京都大学拠点との共催
日時:2009年9月22日(火)~23日(水)
場所:東京大学東洋文化研究所

プログラム:
SEPTEMBER 22
 WELCOME ADDRESSES 10:20-10:30: HANEDA Masashi (Director, Institute of Oriental Culture, University of Tokyo; YUKAWA Takeshi (NIHU Program IAS Center General Office at Waseda University).
 KEYNOTE ADDRESS 10:30-11:00: MORIMOTO Kazuo (University of Tokyo; Japan).
 PANEL 1: DISCOURCES AND INSTITUTIONS 11:00-12:00, 12:15-13:15
 Chair: TONAGA Yasushi (Kyoto University; Japan).
 MORIMOTO Kazuo (University of Tokyo; Japan), Edifying Anecdotes in Sunni Fada’il Literature on the Kinsfolk of the Prophet: Contours and Messages of a Lasting Tradition.
 YAMAGUCHI Motoki (Keio University; Japan), Umma-wide Debate on Status of Sayyid/Sharif in the Modern Era: Conflict among Arabs in Southeast Asia and Reconciliatory Attempts.
 Roy P. MOTTAHEDEH (Harvard University; USA), Sahm al-Sadah in Shi‘i Jurisprudence.
 Arthur F. BUEHLER (Victoria University; New Zealand), Trends of Ashrafization in India.
 PANEL 2: EMERGENCE AND EARLY SPREAD 14:30-15:30
 Chair: SATO Kentaro (Waseda University; Japan).
 Biancamaria SCARCIA AMORETTI (University of Rome; Italy), Historical and Geographical Mapping of Alids Diaspora: The Project and Sample Data from the Sources.
 Teresa BERNHEIMER (University of Oxford/Institute of Ismaili Studies; UK), Genealogy, Money, and the Drawing of Boundaries among the Alids (9th-11th Centuries).
 PANEL 3: ROLES AND POSITIONS IN VARYING CONTEXTS I 16:00-17:30
 Chair: HAMADA Masami (Kyoto University; Japan).
 Mercedes GARCIA-ARENAL (Institute of Philology, CSIC; Spain), Shurafa during the Last Times of al-Andalus and in Morisco Times.
 Ruya KILIメェ (Hacettepe University; Turkey), The Reflection of Islamic Tradition on Ottoman Social Structure: Sayyids and Sharifs.
 Devin DEWEESE (Indiana University; USA), Sacred Descent and Sufi Legitimation in Genealogical Texts from 18th-Century Central Asia: The Sharaf Atト¬シトォ Tradition in Khwト〉azm.
SEPTEMBER 23
 PANEL 4: ROLES AND POSITIONS IN VARYING CONTEXTS II 10:30-12:00
 Chair: KISAICHI Masatoshi (Sophia University; Japan).
 Michael WINTER (Tel Aviv University; Israel), The Ashrト’ and their Naqトォb in Ottoman Egypt and Syria: A Comparative Analysis.
 Valerie J. HOFFMAN (University of Illinois at Urbana-Champaign; USA), The Role of Ashrト’ in Nineteenth- and Twentieth-Century Swahili Society.
 Jillali EL ADNANI (Mohammed V University; Morocco), “Natives” and “Infidels” of a Different Race: Al-Shourafa and al-Awliya in the Era of French Colonialism.
 PANEL 5: SAILING THROUGH THE CONTEMPORARY WORLD 13:30-15:00
 Chair: AKAHORI Masayuki (Sophia University; Japan).
 KOMAKI Sachiyo (Takasaki City University of Economics; Japan), The Name of the Gift: Sacred Exchange, Social Practice and Sayyad Category in North India.
 Ashirbek MUMINOV (R. B. Suleimenov Institute of Oriental Studies; Kazakhstan), “Historical” and “Symbolical” in the Culture of Central Asia: Comparative Study of the Khwajas’ Modern Genealogies and Medieval Written Sources.
 ARAI Kazuhiro (Keio University; Japan), Positioning the Sト‥a in a “Proper” Historical Context: An Islamic Periodical Alkisah in Indonesia.
 CONCLUDING PANEL 15:30-16:45
 Chair: MORIMOTO Kazuo (University of Tokyo; Japan).
 General Responce: A. SEBTI (Mohammed V University; Morocco).
 General discussion.
 Concluding address: MORIMOTO K.

概要:
 PANEL 1: DISCOURCES AND INSTITUTIONS
 このパネルは会議全体の基調を成すことを目的としており、サイイド/シャリーフの定義や特権についての理論・議論に関する、幅広い時代地域の事例が扱われた。最初の発表は、サイイド/シャリーフの美点を称揚するファダーイル作品に見られる逸話から、モチーフとしての夢の重要性、サイイド/シャリーフ崇敬の動機付けとして来世での救済が挙げられること、崇敬の具体的な形は金品の贈与であったことなどが指摘され、その後、逸話の引用関係や作者の経歴を基に、ファダーイル文学の伝統が、13世紀以来、スンナ派、シーア派に共通して存在していたことが明らかにされた。質疑応答では、法学派の別の重要性、また、スンナ派-シーア派の区別に替わるものとして提唱された一神教的-多神教的という対立軸について、用語の検討の必要性が指摘された。続く発表の題材は、20世紀初頭に東南アジアで起こったサイイド/シャリーフを巡る議論と、それに対する調停の内容である。東南アジアに居住する、ハドラマウト出身のアラブ系サイイド/シャリーフの血統と、彼らの手への接吻といった慣習の正統性という論点を巡って、東南アジア内部のサイイド/シャリーフ支持派と反対派に加え、調停に乗り出したラシード・リダーやシャキーブ・アルスラーン等の見解が、それぞれの思想的・社会的立場にも言及しながら整理された。質疑応答においては、ムスリム社会の地域差を明確にする必要性が強調された。第三発表では、ガニーマ(戦利品)の分配について述べたクルアーン8章41節に関する、スンナ派やシーア派の法学者による解釈が扱われた。この唱句はサイイド/シャリーフの経済的特権を裏付けるとされるが、「預言者の子孫」の範囲やガニーマの定義を巡って、それぞれの解釈には多様性が見られる。質疑応答においては、理論が適用される際の実態についての質問が寄せられた。最後の発表では、インドのムスリム社会に見られるアシュラーフ-アジュラーフという社会層区分がサイイド/シャリーフを特化するイスラーム側の理論に起因する可能性が指摘され、その後、近代以降に見られる「アシュラーフ化」という現象が紹介された。しかし、アシュラーフに含まれるのはサイイド/シャリーフのみではなく、ムガルやパタンといった集団の地位の高さはインドの社会歴史的文脈を鑑みて初めて説明できるものである。質疑応答で挙げられた、アシュラーフとサイイド/シャリーフの区別が曖昧であるという問題点は的確なものだと言えよう。
 (二宮文子・京都大学文学部研究科附属ユーラシア文化研究センター)

 PANEL 2: EMERGENCE AND EARLY SPREAD
 最初の発表では、GIS(Geographical Information System)と、その一機能であるDBMS(Data Base Management System)という地図製作技術を用いて、アリー家の歴史的な拡散を分析する試みが紹介された。まずは技術的な説明が行われ、次に、20世紀に著されたシーア派系譜文献や歴史書から抽出されたデータに基づいて作成された10枚余りの地図を基に、ハサン家やイスマーイール家の人々の、アラビア半島からイスラーム圏各地への拡散、イランを中心とした地域における都市間移動の特徴などが分析された。質疑応答においては、異なる史料から抽出されたデータを地図上に統合する際の処理について質問がなされた。次の発表は、アリー家の人々の拡散に伴って、9-11世紀にかけて広い地域に見られるようになった、アリー家の系譜上の範囲を巡る議論、彼らに経済的援助を行うための法理論や諸制度を追う。結論においては、これらの理論や制度の定着の結果、アリー家の出身を主張することによって特権を得ようとする人々が増加したこと、これらの特権を管理するナキーブの重要性が指摘された。質疑応答においては、個別具体の地域においての理論の適用や、預言者の子孫の範囲の拡大についての情報が寄せられた。
 (二宮文子)

 PANEL 3: ROLES AND POSITIONS IN VARYING CONTEXTS I
 第3パネル最初のMercedes GARCIA-ARENAL氏による報告では、ナスル朝期からモリスコ期イベリア半島のムスリム社会におけるシャリーフ(Shurafa)崇敬やマウリド、スーフィズム、聖者崇敬との関係といった、これまであまり検討されてこなかった問題が、同時代の北アフリカ、特にモロッコの状況と比較しながら論じられた。そしてモリスコによってaljamia(アラビア文字で書かれたスペイン語)で書かれた、預言者とその子孫を称える文献の紹介や、その「シーア派的」傾向に関する指摘がなされた。
 次いでRuya KILIC氏の報告では、オスマン朝期のイスラーム社会におけるサイイド・シャリーフのアイデンティティについて、彼らを統制するナキーブの台帳やシャリーア法廷文書をもとに、その統制の制度化の過程、サイイドとシャリーフという呼称の区別、彼らの享受した物質的、精神的特権など、様々な面から検討がなされた。彼らはオスマン朝支配体制においても、イスラーム的伝統である「御家の人々」という概念に基づいた権威ある地位を保持し、社会、経済的特権を認められていたが、その地位を国政に利用することは認められていなかった。そして彼らは社会の様々な職業集団に属していたため、彼らを一つの社会階層とみなすことはできないが、その特権の享受に関してはしばしば他の社会集団と対立することもあった。
 最後にDevin DEWEESE氏は、18世紀中央アジアで成立した5点の系譜文献を紹介し、特にシャラフ・アタと呼ばれる聖者の子孫とされる、ホラズム地方の名家の系譜をたどった文献の分析をおこなった。そして宗教、社会、政治、経済的な権威の行使を正当化する根拠として、聖なる家系への帰属に関する伝承が広く流通していたこと、この系譜的なカリスマの源は多様であり、4人の正統カリフやヤサヴィー教団のスーフィー、高名な法学者との系譜上の結びつきは、預言者に対するそれと同様の重要性を持っていたことが示された。
 (篠田知暁・京都大学大学院文学研究科博士後期課程)

 PANEL 4: ROLES AND POSITIONS IN VARYING CONTEXTS II
 翌日第4パネルでは、まずMichael WINTER氏から、オスマン朝期の特にエジプトとシリアにおけるシャリーフ(aナ。rト’)の状況が報告された。これらの地域では、マムルーク朝期と比較して彼らの社会的地位の上昇が見られ、彼らは統治者の暴政やイェニチェリの暴力に対して抵抗するという役割を持っていた。そしてKILIC報告と同様、シャリーフたちは様々な階層の人々によって構成されていたが、その一方で彼らのナキーブは都市反乱の主導者になることもあり、またエジプトではこの役職が現地の有力なスーフィー・シャイフ家系によって担われるようになる一方、シリアでこの変化は見られないなど、地域ごとの多様性も示された。
 次いでValerie J. HOFFMAN氏は、プロジェクターを利用して多数の写真や図を提示しながら、東アフリカ沿岸スワヒリ地方におけるmasharifu(スワヒリ語で預言者の子孫のこと)の社会的地位の変遷を論じた。19世紀以前この地方ではハドラマウト系のアラブ人が大多数のウラマーを輩出し、特にmasharifuには特権的な地位が認められてきたが、この世紀の末から20世紀半ばイスラーム覚醒運動によって、更に60年代以降はアフリカ民族主義によって攻撃を受け、その支配的地位を喪失していった。当報告ではこの過程が具体的に示され、またイラン革命以降のシーア派イスラームの影響増大という近年の動向も紹介された。
 最後にJilali EL ADNANI氏の報告では、20世紀初頭、フランスによるモロッコ植民地に抵抗してモロッコ南部のスース地方でジハード運動を指導したマー・アルアイナイン、アフマド・ヒバと、その支持基盤だったイリーグのダルカーウィーヤ教団の関係を中心に、聖性と預言者の家系の連携が論じられ、聖者の宗教的権威は、部族的な組織であれ植民地当局であれ、それを庇護する何らかの政治権力を必要としていたと主張された。そしてこの結果生まれた聖者と植民地権力の連携が聖者の宗教的権威を喪失させ、アラウィー朝スルターン=シャリーフ=聖者による政治的権威と宗教的権威の両面での優越性確保をもたらしたとの議論がなされた。
 (篠田知暁)

 PANEL 5: SAILING THROUGH THE CONTEMPORARY WORLD
 小牧幸代氏の発表では、北インドのムスリム社会におけるサイヤド(サイイド)の地位と役割が、サイヤド・非サイヤド間の贈与慣行の分析を通じて考察された。氏は、当該地のサイヤドが、預言者の血統を通じてバラカを継承するその特権性ゆえに、非サイヤドに対して一方的に与える存在であるとのセルフイメージを持っていること、一方、非サイヤドからサイヤドへの「贈与」は、サイヤドから非サイヤドへの贈与とは異なる名前で呼ばれ、サイヤドへの贈与・返礼ではなく、普段こうむっている神のバラカへの感謝としての善行、と観念されていること、さらにこうしたことから、サイヤドと非サイヤドの間に、預言者由来のバラカの有無、ひいては預言者との「近さ」、に基づくヒエラルキーの存在が認められること、を指摘した。そして、北インドのムスリム社会のヒエラルキーの頂点にサイヤドが位置する理由も、彼らの預言者との「近さ」に求められるのであり、北インドのムスリム社会におけるサイイドへの敬慕は、そのような社会的ヒエラルキーにおいて具体的表現を得ていたと言える、と結論づけた。
 Muminov Ashirbek氏の発表では、中央アジアの聖なる家系に関して、碑文や系譜史料から得られた近年の知見が披露された。モンゴル期以前には、サーマーン朝やカラハン朝のイラン的伝統による王権の正統化と平行するように、ウラマーたちも社会的地位の上昇を企図して、古の地方貴族の出を示すdihqan号を強調していたこと、一方、モンゴル期以降、それ以前には一般のムスリムでしかなかった家系が、新たに聖なる家系として認識されるようになっていく(ムハンマド・パールサーの子孫やジュイバルのシャイフたち)中で、とりわけ中央アジア北東部に、ヤサウィーヤのクサム・アタなど、ムハンマド・ハナフィーヤの末裔を称する者が現れるようになることが紹介された。
 新井和広氏の発表では、インドネシア語の週刊誌Alkisahを通して見える、インドネシアのサイイドの現況が論じられた。氏によれば、Alkisahは、その第19号を境に、読者市場の反響に応じて、純営利的な動機から、サイイドに関する記事や写真を主な内容とするようになったが、以来そうした内容がとりわけ若年層の支持を集め、結果としてインドネシアにおけるサイイドの人気の上昇をもたらしているという。また、サイイドの一部には、Alkisahにおけるサイイドのプロモーションの仕方に批判的な者もいるが、彼らとて、Alkisah自体は、サイイドの思想の普及にとって有益であることを認めているという。氏は、インドネシアにおいて成長しつつある「イスラームの商品化」の潮流に、サイイドたちも棹差しており、インドネシアの「イスラーム商品の市場」には、サイイドのための隙間市場が存在している、と結論づけた。
 (中西竜也・日本学術振興会特別研究員/京都大学)