研究会・出張報告(2009年度)

   出張報告

期間:2009年8月29日(土)~9月7日(月)
国名:中国
参加者
(上智大学拠点派遣):
 赤堀雅幸(上智大学・教授)
 小牧幸代(高崎経済大学・准教授)
 中西竜也(京都学園大学・非常勤講師)
 茂木明石(上智大学・リサーチアシスタント)
(京都大学拠点派遣):
 青木隆(日本大学・准教授)
 安田慎(京都大学・博士課程)

概要:
 中国におけるスーフィズム・聖者信仰の実態把握を目的として、蘭州(甘粛省)、西寧(青海省)、循化(青海省)、臨夏(甘粛省)の聖者廟(ペルシア語gunbadを写した拱北gongbeiの名で呼ばれる)を訪問し、聞き取りや観察を行った。
 日程と具体的な訪問地は次の通りである。

 8月29日:日本→蘭州。
 8月30日:在蘭州。蓮花池寧静堂拱北、五星坪霊明堂拱北、蘭州西坪拱北、海太拱北、也曼拱北、五星坪宝堂拱北、白雲観(道観)、蘭州西関清真大寺。
 8月31日:蘭州→西寧。西寧東関清真大寺。
 9月1日:在西寧。后子河中和堂拱北。
 9月2日:西寧→循化。積石鎮城関清真大寺。
 9月3日:在循化。街子太爺拱北、駱駝泉(サラール族の循化定住の縁起にまつわる地)、街子清真大寺(サラール族の中央アジアから循化への移住を率いた蟆戊モ莽、阿哈莽の墓が向かいにある)。
 9月4日:循化→臨夏。臨夏河沿頭拱北。
 9月5日:在臨夏。華寺拱北、太辷ク辷ク拱北、畢家場拱北、大拱北、台子拱北、国拱北。
 9月6日:臨夏→蘭州。
 9月7日:在蘭州。

 今回の調査の主な成果としては、第一に、中国のスーフィズム・聖者信仰と、南アジアのそれとのあいだに、ある程度の連続性を認めえたことが挙げられる。具体的には、たとえば、循化の街子太爺拱北で、聖者の棺の造りが南アジアのそれと似通っていることや、聖者墓で使用されている経書やお香が南アジアからの輸入品であることなどを確認した。また、臨夏の太辷ク辷ク拱北では、ムンバイのハーッジ・アリー廟のポスターやインドの聖遺物のポスターが貼ってあるのを目撃した。ただし一方で、聖者の墓に触れてバラカを得るという、南アジアでは普通に見られる参詣方法が、中国ではあまり浸透しているようには見えない(后子河中和堂拱北は、聖者墓のある部屋の扉が記念祭のときにしか開かない)など、スーフィズム・聖者信仰をめぐる両地域の状況には差異も認められた。いずれにせよ、今後、中国のスーフィズム・聖者信仰を考えるさいには、中国一国のみならず南アジアや両者の中間に位置する中央アジアの状況をも考慮に入れる必要があることを再認識した。
 主な成果の第二は、中国のスーフィズム・聖者信仰実践の実地に触れられたことである。とくに、臨夏の華寺拱北において、偶然にも、ある家族による病気平癒の祈願成就にともなう「お礼参り」の儀礼に遭遇し、その模様をビデオ撮影しえたのは、幸運であった。墓廟内で、十人くらいの経書読み(アホンか?)が経書を読誦し、傍らではお礼参りに来た家族がそれを聴いていた。儀礼のあいだ、とくに家長は、苫単と呼ばれる布を何枚か聖者墓にかけたり、経書読みたちにお金を渡したりしていた。途中からは、華寺拱北の現教主も経書の読誦に加わり、儀礼はなかなかに壮観であった。
 その他、聞き取り調査により、各聖者廟の縁起や歴史、政府との関係、祭日の模様、廟を管理する人やその一族の経歴などにかんする知見を得た。あるところでは、聖者の奇跡譚として、文革時、墓廟後背の目隠し壁を引き倒そうとその上によじ登った紅衛兵が、突然の竜巻にあおられて落ちそうになり、以来怖気づいて壁の破壊をあきらめた、という話を聞いた。偶然の現象の背後に聖者の霊験を感得する意識が中国にもやはり息づいていることを確認し、大変興味深かった。
 (中西竜也)