研究会・出張報告(2007年度)
研究会- スーフィー・聖者研究会(KIASユニット4/SIASグループ3連携研究会)国際ワークショップ(2007年10月12日~10月13日京都大学)
国際ワークショップ “Rethinking Tariqa: What Makes Something Tariqa?”
日時:2007年10月12日(金)~13日(土)
場所:京都大学AA447号
報告②:
2nd Session
○Ninomiya Ayako (Kyoto University) “To Whom You Belong?: Pir-Murid Relationship and Silsilah in Medieval India”
発表者は、中世インドにおけるチシュティー教団関係者の手による『聖者伝』などの史資料の分析から、スィルスィラおよびその基礎となるピール-ムリード関係の特質を明らかにすることによって、本国際ワークショップの共通テーマ(Rethinking Tariqa: What Makes Something Tariqa ?)に取り組んだ。全5章からなる本発表の具体的構成は以下の通りである。
1. ‘Order’ and silsila
2. Development of silsila names in Medieval India
3. Understanding of silsila structure seen in Siyar al-awliya
4. Gaps between ‘Order’ and silsila
5. Meaning and importance of silsila for Medieval Indian people
第1章は問題提起に当てられ、先行研究の特徴として、スィルスィラが「教団(order)」の同義語としてしばしば用いられてきたこと、中世インドにおける「教団」形成の重要な要因のひとつとしてスィルスィラが捉えられてきたことが挙げられるという指摘がなされた。これを踏まえて、本発表はスィルスィラとピール-ムリード関係の重要性、およびスィルスィラの構造をめぐるスーフィーおよび教団員の理解をめぐって展開するものである。
第2章では、ピールとムリードの直接的かつ個人的な関係を基盤とし、スィルスィラという師弟関係の累積によって表現される当事者たちの関係が、14世紀半ば以降、集合的な表現へと根本的な変容を遂げていることが、シハーブッディーン・スフラワルディーの手になる文書史料の事例などを通じて明らかにされた。
第3章では、ニザームッディーン・アウリヤーによる聖者伝『スィヤール・アウリヤー』の章構成が分析に付され、預言者ムハンマドを頂点とし下降線を辿る「樹形図」としてスィルスィラを認識する「研究者的視点」に対して、自己を起点とし、師匠を媒介して預言者へと向かう遡及的な流れとしてこれを認識する「教団員的視点」の重要性を強調した。
第4章では、スィルスィラを「教団」の同義語として把握することの問題点が指摘された。その根拠は、第一に、スィルスィラが教団に加入した成員によって共有されている側面がある一方で、ムリードや教団に近しい人々はしばしばこのスィルスィラには含まれないことがある点、第二にスィルスィラやその同義語として捉えられてきたkhwandan / khwanwadahなる用語が中世インドにおいて多様な意味合いを有しており、特定個人が保持するスィルスィラの範囲をめぐっても一定の見解が存在しないことなどが挙げられた。
最後に、第5章では、教団に加入する一般の人々の視点から見た場合のピールとの関係の有する意味と重要性に議論が向けられる。発表者は、ニザームッディーン・アウリヤーが書き記した預言者たちをめぐる逸話などを手掛かりとして、「スーフィー・ピール」に期待されているのは、弟子たちの罪を自らの罪として引き受け、最後の審判の日にとりなしを行うことであるという点を重視する。この点から、従来の聖者信仰研究においてしばしば重視されてきた現世利益に対して、現世のみならず来世における安寧、罪の許しもまた聖者との関係を有する一般民衆にとって重要であることを強調する。
以上のように、中世インドを対象とした二宮氏の発表は、先行研究が抱えている問題点を克服しようとする意識に強く裏打ちされた、多岐に渡る内容を含みこんだものとなっている。
コメント:
コメンテーター:Takahashi Kei(Sophia University)
エジプトにおけるタリーカについての研究を進めている高橋氏は、オスマン朝下エジプトにおけるタリーカの事例を参照しつつ、二宮氏の発表について大きく2つの疑問を提示した。第一点目は、タリーカをorderと同義に捉えることが可能か、第二点目は、ピール-ムリード関係の重要性を強調する二宮氏に対して、組織論的観点から見るならばピールとムリードのみならず、直接的にはタリーカに帰属してはいなくともタリーカに近しい一般民の存在が重要なのではないかという点をめぐるものである。また高橋氏は、第二点目の問いに関連して、オスマン朝下のエジプトにおける知識人スーフィーの手になる文書の中に、スーフィー的教義への理解が不十分なままズィクルにふける一般民のタリーカ参加を批判した記述が見出されることに言及して、知識人の活動に焦点が当てられがちな史資料も扱いによっては一般民の活動実態、一般民と知識人の相互関係、一般民とタリーカの関係などの諸相を解明する上での、有益な情報源となる可能性を指摘した。
討論:
スィルスィラとピール-ムリード関係を比較・対照させた二宮氏に対し、討論では、概念規定をめぐる問題点、両概念の関係をめぐる疑問、高橋氏のコメントを受け一般民をも視野におさめた視点によるスィルスィラおよびピール-ムリード関係の再検討、などといった諸点をはじめ、数多くの質問が出され、活発な議論が行われた。
たとえば、スィルスィラをタリーカの重要な構成要素として二宮氏が捉えているのに対して、果たしてスィルスィラはタリーカにとって必要不可欠であるのかという疑問が提示された。
このほか、スィルスィラを「リネージ」として把握した発表者に対して疑問が提示されてもいる。その根拠は、スィルスィラは世代間の連鎖によって構成されるものであるのに対して、リネージの概念的特徴は、必ずしも世代間の連続的な関係の集積によって成り立っている必要はなく、祖先と子孫の直接的な関係によっても成立可能である、という点にある。
さらに、スィルスィラとピール・ムリード関係を巡っては、周辺的な立場にある弟子の視点に立つならば、ピールとの関係があれば、それが教団への帰属、アイデンティティーの問題を解決する指標となり得るのであって、ピールの精神的祖を世代ごとに辿るスィルスィラは必ずしも必要ないのではないかという見解、翻ってスィルスィラは預言者とピールの関係づけやその正当化、タリーカの集合的アイデンティティー構築などにとって不可欠な要素と言えるのではないか、などの意見をはじめとした多様なコメント/質問が提示された。
ワークショップ共通テーマとの関連では、何がタリーカを構成するのかという点を検討するにあたって、現代のタリーカに残っている要素を検討することによって、タリーカを構成するもっとも重要な要素が明らかになる可能性があるのではないかという指摘もなされている。
スィルスィラ、ピール-ムリード関係を主題とした二宮氏の発表は、このように様々な質疑応答を得ただけでなく、総合討論においても引き続き、活発な議論を生み出す土台となった。
○Thierry Zarcone (CNRS, Paris) “Anthropology of Tariqa Rituals: The Initiatic Belt (shadd, kamar) in the Reception Ceremony”
ザルコン氏によれば、スーフィズムにおける儀礼をめぐる研究は、アフド(Ahd)、タルキーン・ズィクル(talqin dhikr)、ヒルカ(hirka)という3つの儀礼への着目、およびアラブ圏でのスーフィズムへの関心の集中という特徴が一般に見られる。これに対し、トルコ語/ペルシャ語圏におけるスーフィーの儀礼はこれまで度外視されてきたものの、同言語圏における儀礼は剃髪およびベルトの着用とも結びついて複雑な歴史的展開を遂げてきた。
以上のような理解の下、ザルコン氏は、トルコ/ペルシャ語圏におけるハクサリー教団(Khaksariyya)、ベクタシー教団(Bektasiye)、メヴレヴィー教団(Mevleviye)、およびオスマン朝における職人ギルドの事例をもとに、シャッド(ベルトの着用)が果たす役割の検討を行った。また発表の後半では、これらトルコ語/ペルシャ語系のタリーカの特殊性やギルド、フトゥーワのタリーカへの影響に対する理解を深める一助として、カーディリー教団、リファーイー教団など「アラブ系」のタリーカの事例も提示された。発表は、文書史料に記された「帯」の作成/着用方法や、豊富かつ貴重な多数の写真提示も含めた詳細なものであり、大変興味深いものであった。
発表は以下の4章から構成されている。
1. The initiatic belt in the Futuvva and in the guilds of craftsmen
2. The belt of the Sufis
3. Anatolian syncretism: the initiatic belt in the Rifa'iye and in the Kadiriye
4. Conclusion
第1章では、フトゥーワと職人ギルドにおけるシャッドが取り扱われ、その使用の歴史的変遷の概要が明らかにされた。
ザルコン氏によれば、シャッドの普及は、直接的には10世紀から11世紀におけるフトゥーワ運動に由来するが、その起源は、ゾロアスター教における神聖なベルトの着用、あるいはムスリム達が10世紀以前に実践していたズボンやストラップなどの儀礼的着用にまで遡りうるという。
シャッドをめぐる慣行は、その後14世紀から15世紀にかけてアナトリア地方で広がったアヒー運動を通してトルコ系スーフィーの家系にも広がり、17世紀中葉にはシャッドの儀礼内容に関する最古の記述がなされ、19世紀にはシャッドに関するさらに多くの記述がなされるに至っている。
以上のようにフトゥーワ運動において儀礼として広く用いられるようになったシャッドは、トルコ語/ペルシャ語圏において、職人ギルドのみならずタリーカとも結びついているほか、イスラーム化したシャーマニズムとも結びつくなど、多様な展開を見せている。
第2章では、スーフィズムにおけるシャッドが取り上げられた。ザルコン氏は、中央アジアにおけるカランダリー教団の教本を元に、シャッドが具体的にどのようにして実践されていたのかを、ベルトの作成方法、その巻き方、ベルトに付け加えられる結び目の数に見出される宗教的意味や関連する逸話などを交えつつ明らかにした。
第3章では、リファーイー教団、カーディリー教団などの「アラブ系」教団におけるシャッド儀礼の歴史的起源やその特質の解明を目的として、カーディリー教団については皮なめし職人ギルドとの関連、リファーイー教団についてはフトゥーワ運動との関連を史資料の分析から検討し、スーフィー教団とは直接関係のない職人ギルドやフトゥーワからシャッド儀礼が導入された可能性があることが明らかにされた。
結論では、第一に、ハクサーリー教団(Khaksariyya)、ベクタシー教団(Bektasiye)、メヴレヴィー教団(Mevleviye)などトルコ語/ペルシャ語系の教団がフトゥーワ運動などの影響下にシャッドをはじめとする儀礼の導入を図ったことが一般的に広く知られていることを踏まえたうえで、第4章における議論の独自性が再び確認・強調された。第二に、発表の総括として、ザルコーン氏は「何があるものをタリーカにするのか」を理解する上で儀礼分析は有効であるが、少なくとも二つの点で注意が必要であることが指摘された。それは、(1)シャッドをはじめとするスーフィーの儀礼が、スーフィー的な人々のみならず、非スーフィー的な人々によって実践されていること、およびスーフィズムの出現以前からシャーマニズムなどにおいて同種の儀礼が実践されてきたことに視野を拡大して儀礼研究を展開する必要があること、(2)タリーカへの入会儀礼にはシャッドのみならず多様な儀礼があるという点にも注意を払う必要があること、である。
コメント:
コメンテーター:Morimoto Kazuo (Tokyo University)
10世紀から20世紀にわたるアナトリア/トルコ、中央アジアなど広範な地域・時代を対象とした本発表について、森本氏は、とくに、霊的・神秘的な運動、フトゥーワ運動、アヒー運動などとの関係においてタリーカの境界を検討することが重要な研究課題であることが明らかにされたこと、これらの集団が神秘的な趣好を共有するという連続性を有しつつも、同時に異なる集団として差異化されていることを詳細な事例から明示した点を独創的な貢献として高く評価した。
質問は、ギルドが果たした重要な役割についてどのように考えるかという点、タリーカが形成された後もギルドはシャッドの普及に重要な意義を担ったが、こうした場合にどのような基準がギルドとタリーカを区別しうるものとして設定され得るのか、という2点についてなされた。
討論:
森本氏によるコメント/質問を受け、まずザルコン氏から、ギルドの商業的活動に留まらず極めてスーフィーに近い活動を行っていた事例があることが最新の研究から明らかにされつつあるものの、テッケなどに関する古文書資料そのものが少ないため、今後更なる古文書の調査・研究および現地調査が必要とされるという回答がなされた。これとあわせて同氏は、「何があるものをタリーカにするのか」という本ワークショップの主題について考察を深めてゆく上で最も重要な点として、ズィクルなどに偏重してきた研究姿勢を修正し、シャッドをはじめとする多様な儀礼に関する研究を進展させること、同時に儀礼の存在のみがタリーカを成立させる不可欠な要素とは限らない点に注意を払う必要性、儀礼がタリーカ間で伝達される際に生じる変化に対する理解を深めること、などを指摘した。
さらに討論では、加入儀礼に注目しつつタリーカとギルドの強い関連性を明らかにしたザルコン氏の発表に対して、かりに加入時ではなく、修行が進んだ段階における儀礼の比較検討を実施したのならば、タリーカとフトゥーワの関連性を巡って今回とは異なる側面が明らかになる可能性もあるのではないかというコメントも提示された。
(斎藤剛・日本学術振興会特別研究員)