研究会・出張報告(2007年度)
出張報告- 中央アジアのイスラーム運動の現状に関する現地調査(2007年8月27日~9月15日)
期間:2007年8月27日~9月15日(20日間)
国名:ウズベキスタン、キルギス
出張者:清水学(上智大学大学院グローバルスタディーズ研究科非常勤講師)
概要:
対象国はウズベキスタンとキルギス共和国(クルグズスタン)であるが、国民国家形成における統合イデオロギーに関する予備的調査を行った。訪問地はウズベキスタンのタシケント、キルギス共和国のビシケク、タラス、ナリンである。「共産主義」を放棄し「市場経済」を理念的に導入しようとしてきたのが独立後の中央アジアであるが、そのプロセスが民族的アイデンティティーの問題と深層心理的にどう関わっているかも関心の対象であった。キルギス共和国(カザフスタンも同様である)の指導的官僚層の見事なまでの新古典派的経済学の信奉的受容と現実の経済的現実とのギャップに対する鈍感さに強い違和感を持っているが、イデオロギーとの接しかたではソ連時代との形を変えた連続性を感じており、それを解明するには民族的アイデンティティーの歴史と変遷の評価が必要であると考えている。
ウズベキスタンの場合はソ連時代の否定的評価を肯定的評価に逆転させたが、キルギスの場合は伝承的英雄マナスの「民主主義」的解釈を強調している。マナスチといわれる語り部が独立キスギス共和国の銀行券の絵柄に採用されており、またマナスチが政治家に対して顧問役として果たすことがあったことは興味深いことである。タラスのマナス廟などを訪問したが、今後ともマナスの解釈は政治的シンボルとして利用されると見られる。また具体的内容はどうであれ、イスラーム的価値の復興とも関連させている。このようななかで、キルギス共和国の理想的な政治家像を国民にどのように提示しているかも重要な意味を持つ。歴史的な問題としては、ロシアの進出に対してどのように対応したかは政治家像の構築と判断に重要な意味を持つ。Zhantai Karabek-Uulu(Zhantai Khan)(1794-1868)、Ormon Niyazbek-Uulu(Ormon Khan)(1791-1854)(コーカンドと進入カザフ人との戦い)のほか、クルマンジャン・ダトカKurmanjan-Dathka(1811-1907)に見る理想的指導者像としての評価は興味深い。彼女は50ソムの肖像として採用されているが、ロシアと戦ったと同時に妥協することでキルギス民族の存続を確保しようとしたとされる。この「柔軟な」政治的感覚が評価されているとみられるが、またShabdan Zhantal-Uulu(1840-1912)の穏健な改革主義も評価されている。
今回の現地調査ではマナス英雄叙事詩の再解釈とマナスチ(語り部)の政治的役割、ロシア・ソ連文化と民族的アイデンティティーとどう接合させるのかが、市場化という激変の過程でどのようにそれが揺れ動いてきたか、また現在も揺れ動いているかが、大衆の政治動員の問題としても重要であると認識することができた。現在のキルギス共和国の経済政策に危惧を持つものとして、自主的思考をどう構築していくか、国民統合イデオロギーの視点から注目していきたい。(清水学)