研究会・出張報告(2007年度)

   研究会

日程:2007年7月26日(木)~7月27日(金)
場所:上智軽井沢セミナーハウス

報告⑤:
○二宮文子(京都大学)A. F. Buhler, "Charismatic Versus Scriptual Authority: Naqshbandi Response to Deniers of Mediational Sufism in British India," in F. de Jong and B. Radtke (eds.) Islamic Mysticism Contested : Thirteen Centuries of Controversies and Polemics, Leiden: Brill, 1999.
 本論文は19世紀初頭以降のインドにおけるスーフィズムをめぐる議論を対象としたものである。Buehlerによれば、アフレ・ハディースが出現した19世紀以降のインド・イスラームの特徴は二極化にある。二つの極とは、(1)師を神との仲介者とする伝統的スーフィズム(インド的イスラーム)に代表されるcharismaticな極と、(2)ハディースやクルアーンの文言を使って直接、神の真意に到達することを是とし、神と人間のあいだに仲介者を認めないscripturalな極である。後者がアフレ・ハディースにあたる。この二極化を前提に論文の前半部で三つのムスリム革新派(バレールヴィー、アフレ・ハディース、デーオバンディー)によるスーフィズムに対する見解が紹介され、後半部では、墓参詣と仲介、霊的位階、宗教権威のあり方についての、スーフィーとスーフィー批判者の主張の相違が詳述されている。
 二つの極と三つの革新派の関係はこの論文の骨子であるにもかかわらず、わかりづらいので説明を加えておく。バレールヴィーの革新はクルアーンとハディースを多用してスーフィー的な要素と見なされている廟参詣などを説明することにある。いわばインド的イスラームの革新的な補強である。さしあたり(1)の極に属すが、(ハディースやクルアーンの文言を使用するという意味で)(2)の要素を含み持つところに革新性がある。アフレ・ハディースは(2)を代表することはすでに述べたとおりであり、彼らは神と人間を仲介するいかなるカリスマも認めない。1876年にデオバンドにダール・アル=ウルームを設立したデーオバンディーと呼ばれるウラマーたちはインド的イスラームを否定し、「正しい」イスラームを人々に教えようとする。しかし彼らはアフレ・ハディースと違い、教育者たるウラマー自身がスーフィズムにおける師に相当すると考える。バレールヴィーのカリスマが仲介型師匠であるとすれば、デーオバンディーのカリスマは教師型師匠である。この意味でデーオバンディーは(伝統的スーフィズムを否定する点で)(2)の極に属しながら、(1)の極に寄ったものと考えられる。
 質疑応答では、「スーフィズムとサラフィズム」という合宿のテーマとの関連で、アフレ・ハディースによるスーフィズム批判に注目が集まった。アフレ・ハディースは、イスラームの最初の3世紀にスーフィズムが存在しなかったのを理由にスーフィズムを批判する。しかし、その批判対象は、スーフィズムに関わると「考えられている」民衆の慣行が大半である。そうした慣行批判をもって、分析する側が「(慣行批判をしているグループは)スーフィズム全体に批判的である」と捉えることはどこまで正当性があるか。その是非について今後も議論する必要があると思われる。
(丸山大介・京都大学大学院 アジア・アフリカ地域研究研究科一貫制博士課程)