研究会・出張報告(2007年度)
研究会- スーフィー・聖者研究会(KIASユニット4/SIASグループ3連携研究会)合宿研究会(2007年7月26日~7月27日)
日程:2007年7月26日(木)~7月27日(金)
場所:上智軽井沢セミナーハウス
報告④:
○赤堀雅幸(上智大学)Muhammad S. Umar, "Sufism and its Oponents in Nigeria: The Doctrinal and Intellectual Aspects," F. de Jong & B. Radtke (eds.), Islamic Mysticism Contested: Thirteen Centuries of Controversies and Polemics, Leiden: Brill, 1999, pp. 357-385.
西アフリカ(特にナイジェリア)のスーフィズムの政治的経済的な側面は従来の研究で扱われてはいるものの思想的な側面はあまり注目されてこなかった。本論文は19世紀初頭から現代までの文献を紐解くことでスーフィーの思想的側面に光を当てようとする。当該地域のスーフィズムをめぐる歴史は大きく2つの時代に分けられる。(1)19世紀初頭から20世紀前半までのタリーカ同士が覇を競う時期と(2)20世前半から現代まで続く反スーフィズムを掲げるウラマーとスーフィズム勢力が対抗する時期である。
(1)の時代は以下のようにまとめることができる。ソコト・カリフ国の創設者Usman dan Fodio (d.1817)が排他的にカーディリーヤを称揚して以来、当該地域はカーディリーヤ教団の独占状態だった。しかし19世紀前半から次第にティジャーニーヤ教団が浸透しはじめ、1920年代から1960年代にいたるまでの間にはティジャーニーヤ教団がカーディリーヤ教団を駆逐するほどまでに勢力を拡大し、かつてのカーディリーヤ教団と同様の主張、つまりティジャーニーヤが他の教団よりも優れていると主張しはじめた。だがこの少し前(1900-1920)にUsman dan Fodioの系統とは異なるカーディリーヤ教団が出現し、このカーディリーヤ教団とティジャーニー教団はその後対立関係に入ることとなった。この対立関係のなかで互いに相手を批判する論駁書が数多く著されたのである。
(2)の時第は、20世紀の前半にスーフィズム全体を批判するウラマー勢力が生まれたことに始まる。この反スーフィズム勢力に対抗するため、カーディリーヤ教団とティジャーニー教団は次第に協力するようになり、反スーフィズム対スーフィズムの対立図式のなかでも互いに批判する論駁書が書かれた。
問題は(1)と(2)の時期が重なっていることであり、20世紀前半には複雑な対立関係が生まれている。この時期に書かれた論駁書およびその後の反スーフィズム対スーフィズムの文脈でなされる言説の分析がこの論文のメインテーマとなっている。
発表後の質疑応答・ディスカッションでは、本論文の内容そのものよりも、ティジャーニーヤ教団の現状に関する質問が出た。アルジェリアにある同教団の本拠地と世界各地に広がる同教団は関係があるのか、エジプトの同教団は同本拠地と関係があるのかとの質問に対して、世界各地のティジャーニーヤ教団は指導者レベルでも構成員レベルでもネットワークが形成されており、エジプトのスーフィー教団も、アルジェリアの同本拠地を意識して活動を行っていることが調査によって判明しているとの情報が示された。
(新井一寛・大阪市立大学大学院文学研究科都市文化研究センター)