研究会・出張報告(2007年度)

   研究会

日時:2007年6月30日(土)11:00-20:00
場所:上智大学四ツ谷キャンパス2号館6階630A
出席者:11人

概要:

1. 私市正年氏(上智大学拠点代表)より挨拶があった。

2. 川島緑氏(上智大学)よりkitab収集の現状と今後の方向性について報告があった。現在収集済みのkitabは約1400点で、上智大学に保管してある。今後の方針としては、紙媒体による目録を作成する。ただし、将来のデジタル化を視野に入れて、それに対応できるような形でデータを整理する。

3. 以下の三氏より2006年度のkitab収集活動の報告があった。

(1)菅原由美氏(天理大学)
 出張期間:2007年2月17日‐3月4日 訪問国:インドネシア(ジャカルタ、スマラン、プカロンガン、スラバヤ、バンダ・アチェのイスラーム書籍を扱う書店・出版社。
 これらの書店・出版社の全体的特徴には次の諸点がある。①アラブ人が経営し、アラブ人街の大きなモスクの近辺に所在する。②古いものでは1920年代に出版業を企業している。③ジャワでは北海岸の都市に発展している。④書店によってkitab syarah, kitab kertas kuning, kitab Jawa, kitab Melayuといった分類をしている。
 主な書店・出版社と所在地、購入冊数に関する報告もあった。ジャカルタ、スマラン、プカロンガン、スラバヤ、アチェ、チレボン、クドゥスで合計1423点を購入した。その他、ジャワのスカブミ、ジョグジャカルタ、ソロ、スマトラのパダン、メダン、パレンバン、スラウェシのマカッサル、カリマンタンのバンジャルマシンなどにもkitabを出版・販売する書店があるとみられる。
 質疑応答から次の諸点が明らかになった。①各書店・出版社が特定のウラマーや地域と関係性の深いkitabを扱っているという傾向は弱い。②書店・出版社間で在庫がないkitabを融通しあうという意味のネットワークは見られる。③kitabの主な購買者はプサントレンである。④発行部数などは不明である。⑤売れ残った書籍が蓄積された結果、蔵書の種類が多くなっているケースもありうる。

(2)西尾寛治氏(東洋文庫)
 訪問先:マレーシア(クアラ・ルンプール(KL)、ペナン)。
 マレーシアの書店・出版社においては、全般的にkitab kuningは稀少で、kitab Jawiは子供向けのものが多い。本報告では、kitabを扱っているKL、ペナン、クダー、クランタンの書店・出版社の紹介があった。
 西尾氏からは、今回購入した出版物の書店、ジャンル、タイトルの詳細なリストの提示もあり、合計398点を購入したことが報告された。また、今回現地でkitabの在処を教示してくれたり、今後のマレーシアでのkitab収集においてアクセスするとよい人物や機関の紹介もあった。それによると、1.Hj.Wan Mohd.Shaghir Abdullah(Syeikh Ahmad al-Fathaniyahの孫で、東南アジア各地のkitab Jawiの収集家、著述家、2007年に死去)の収集した文献の一部は、故人の自宅、PNM(マレーシア国立図書館)などに所蔵されており、また一般的なものはKhazanah Fathaniyahで出版・販売されている。2.Universiti Sains Malaysia教職員。3.ISTAC(International Institute Islamic Thought and Civilization、KL)教員、4.マレーシア大学教員、5.マレーシア国立図書館スタッフの各位などである。
 今後のKitab収集においては、1.これらの人物や機関に直接アクセスして入手する方法の他に、2.現地を歩きながら「足」で探す方法がある。1.の方法では比較的短時間に集約的な収集が可能になるのに対して、2.の方法では今日のマレー社会におけるジャウィのあり方の考察ができるという利点があるとの指摘があった。

(3)川島緑氏(上智大学)
 フィリピンにおけるkitab収集活動の報告があった。ここでいうkitabは、アラビア文字を用いたあらゆるイスラーム関係の書籍、冊子類の総称で、使用言語はアラビア語、マレー語、マラナオ語、マギンダナオ語、タウスグ語、サマ語などである。フィリピンにおいては、kitabに関する収集、保存、研究などすべての面でインドネシア、マレーシアから大きく遅れをとっている。
 こうした状況下で川島氏はこれまで以下の三段階にわたってkitab収集・整理活動をおこなってきた。A. 1990年代半ば以降は個人的に収集。B.ダンサラン学院ピーター・ガウィン記念研究センター図書室所蔵アラビア文字表記マラナオ語資料の整理・解題付き目録作成(文部科学省科学研究費基盤研究C(一般)「マラナオ語イスラーム出版物と口承文学から見るフィリピンのイスラーム思想と運動」2005-2007年度、代表:川島緑)。C.本研究グループの活動の一環としての収集活動(2007年3月10日―21日、フィリピン出張など)。
 収集地、収集方法は以下のとおりである。1.ミンダナオ島南ラナオ州:①ミンダナオ国立大学マミトゥア・サベル研究センター図書室(2000年に全焼し、現在復興中)、②ダンサラン学院ピーター・ガウィン記念研究センター図書館、③イスラーム学校教員/ 元教員、ウラマーやその家族との交渉にもとづく収集、複写、④公設市場の店舗での購入。2.マニラ首都圏:①マニラ市キアポのムスリム・コミュニティ、特にイスラミック・センター、ゴールデン・モスク周辺の店舗で購入、②古書店(Old Manila Bookshopなど)、③フィリピン国立図書館。
 成果として、1.からは69冊、2.からは23冊、さらに上記B.の活動からはマラナオ語キッサ213点、手書きの古いイスラーム書の複製(アラビア語、マレー語)数点を収集した。
 以上の活動から、1.マレー語kitabは、20世紀前半は流通していた可能性が高いが、現在ではマラウィ市やマニラでは流通していない。2.複数言語表記のものが多い。とくに多いのはアラビア語・マラナオ語表記のものである。3.マラウィ市は多数のマドラサがあり、また敬虔なムスリムの層が厚いなどの理由から、アラビア文字出版と流通の一つの中心地となっている。などの諸傾向が看取された。
 問題点や今後の課題としては、以下の諸点が挙げられる。1.遠隔地での収集が困難であるなど、収集上の問題点。2.マラナオ語ローマ字表記には複数の正書法があり、表記ゆれがあるため、どの表記法を採用するか。アラビア文字の母音記号をパソコンで入力できるか、といった資料の整理段階での表記や入力に関わる問題。3.現地の大学や研究機関のkitabへの関心が低い。したがって今後の資料整理・研究の人材育成が課題となる。

4.これまでにインドネシアとマレーシアで入手したkitabを、保管場所である上智大学の一室で参加者が自由に閲覧した。

5.柳谷あゆみ氏(東洋文庫)より、東洋文庫におけるアラビア文字資料目録作成の方法についての発表があった。それによると、アラビア文字資料についても、目録は基本的には他の洋書と変わりなく、『英米目録規則第二版』(AACR2)に則って作成されている。本発表では、目録の構成(書誌情報+所在情報=配架番号)を概説した後、実際に一冊のアラビア文字資料から『英米目録規則第二版』に基づき、第二水準(標準)の精粗レベルでの書誌を作成し、その過程で情報源や、書誌の構成・記述方法、著者名標目の概念など、目録の基礎的な知識・技術について説明が行われた。そのうえで、目録作成において、ルール及びマニュアルの整備、(作成者間の)情報の共有、点検の3点が不可欠の要素であることが指摘された。
 アラビア文字資料の言語・文字の特性が目録作成法に影響することはほとんどなく、目録作成上特に留意すべき問題は、むしろ「版」と「刷」の区別があいまい等の出版文化の違いによるものである。
 しかし検索機能やソート機能を持つ目録データベースを構築する場合は、データ処理の段階で、アラビア語特有の問題(定冠詞が独立していない、コロンやカンマなどの記号が左右逆に表記されるなど)が影響することがあり、より細心の配慮と精度の高さが要求される。加えて、同一の文字に見える文字に、実際には複数の文字コードがあてられているケースもあるため(=実際には別の文字なので、対応しないと検索・ソートに支障が生じる)、データベース構築に際してはこれらの問題に対応しておく必要がある。
 したがって①冊子体の目録→②目録データベース→③NACSIS-CAT(国立情報学研究所のオンライン共同分担目録方式総合目録DB形成システム)への参加、と段階が進むにつれて作業の難易度は格段に上がる。
 以上を報告した後、ジャウィ文書の目録作成についてのルール試案(AACR2及び米国議会図書館典拠を採用)を紹介し、報告に関する質疑応答を行った。

6.茂木明石氏(上智大学)より、KITLV「kitab kuning」コレクションの目録入力作業、および上智kitabコレクション目録試作品作成作業の中間報告がなされた。
 KITLV(オランダ王立言語地理民族学研究所)の「kitab kuning」コレクションの目録入力作業は、以下の手順で行なわれた。Bruinessenによって作成された目録の総数は、1124点である。それらの文献に番号(No.1からNo.1124)をつけて、番号順にエクセルに入力した。文献情報は、番号(No.)、Author、Author(Ar.)、Short Title、S.Tilte(Ar.)、Complete Title、C.Title(Ar.)Subject、Language、Library(KITLV)、Call No.、Remarkの順に入力した。現段階でアラビア文字(Author (Ar.), S. Tilte(Ar.), C. Title (Ar.)以外は入力は完了している。アラビア文字に関しては、No. 1-108, 736-1124まで入力済みである。ローマ字転写に関しては、Bruinessenのリストに基づいて入力した。アラビア文字転写表記を加えるかどうか議論となったが、転写表記は採用せず、Bruinessenのリストを踏襲することに決定した。アラビア文字に関しては、アリフ・マクスーラとヤーの区別を明確に入力すること、ワーウのあとはスペースを空けずにアラビア文字入力を続けることなどが方針として決定された。
 上智kitabコレクション目録試作品作成作業に関しては、試作品10点をBox. No., Temp. No., Author, Author(Ar.), Short Title, S. Title (Ar.), Complete Title, C. Title (Ar.), Subject, Place of publication, Publisher, Date of publication, Language, Script, Size (mm), Page, Color of paper, Place of purchase, Purchased by, Date of purchase, Remark, Questionの順にエクセルに入力し、今後の入力方針についての議論・検討がなされた。試作品に関しては、kitab kuningとは異なりアラビア文字転写表記を採用したため、表記に関していくつかの問題が指摘された。まず、ターマルブータの表記方法であるが、その後にアラビア文字が続く場合はtと表記(例えば、Durrat al-Nasihin)すること、接続詞に関してはwa'l-とはせずにwa-al-と表記することが決定された。また、アラビア文字表記の際にはMiddle East Timesは使用せず、Unicodeを使用すること(XPの場合はArial Unicode MS)が決定された。また、サイズに関しては立ての長さのみセンチ(18.2cmは19cmなど)で表記すること、色に関しては、OrangeではなくYellowで記入することなどが決定された。

7.山本博之氏(京都大学)より、「「ヌサンタラの光」としてのジャウィ――インドネシアにおけるジャウィ・タブロイド紙刊行の意味――」と題して、2006年度上智拠点グループ2出張報告がなされた。『チャハヤ・ヌサンタラ(Cahaya Nusantara=ヌサンタラの光)』紙は、2006年12月に創刊された、ジャウィ綴りインドネシア語のタブロイド紙である。ほぼ隔週で刊行され、発行部数は2万部、イスラーム系書店での販売とプサントレンでの購読がある。本紙は自らを「ジャウィ綴りによるインドネシア語の最初のメディア」と定位している。そこから、山本氏はジャウィの「多様な人々を包摂する人間集団を作り出す試み」としての側面に着目し、マラヤ/ マレーシアにおけるジャウィの意義との比較をしながら『チャハヤ・ヌサンタラ』紙刊行の意味を考察した。
 それによると、「ジャウィ」は、中東のムスリムが東南アジア島嶼部の人々を指して「ジャウィの人々」、その言語を「ジャウィの言葉」と称したように、人やその使用言語をカテゴライズするときにも使われた。人としての「ジャウィ」は、東南アジアのムスリムの集合性と(複雑に)結びついていた。例えばムスリムになることを「ジャウィに入る」といい、東南アジアにいる「外来のムスリム」を「ジャウィ・プカン」と呼んだことがあった。さらにジャウィ・プカンの後の世代は、「現地生まれのムスリム」という意味をこめて「ジャウィ・プラナカン」を自称として用い、国家や民族を超えた「東南アジアの現地生まれムスリムとしての同胞性」を強調した。これに対して土着系ムスリムは、ジャウィ・プラナカンが混血、外来起源であることによって自らと区別し、自らの「純粋なマレー(ムラユ)人」性を強調した。このように、東南アジアのムスリムは「ジャウィ」あるいは「ムラユ」などのくくりを提唱することを通じて自分たちを世界にどう位置づけようとするかを表明してきた。
 オランダ植民地時代の東インドにおいて人々が選択したのは、ジャウィでもムラユでもなく、多様な人々が文化的(宗教的・記録者補)多様性を維持しつつ形成した「バンサ・インドネシア」(インドネシア民族)としての自己認識だった。その言語はマレー語をもとにしているがインドネシア語と呼ばれ、ローマ字で表記された。これに対しジャウィはあくまで「マレー語のアラビア文字表記(huruf Arab Melayu)」と呼ばれており、このことはバンサ・インドネシアの一部であるマレー人の文字として認識されていたことを示している。つまり、東インドにおいては、ジャウィはマレー人と非マレー人、ムスリムと非ムスリムを分ける働きをもっていた。
 これに対し植民地期のマラヤにおいては、王国ごとにスルタンを頂点とするマレー人意識としてのバンサ・ムラユ(マレー民族)があった。そこではジャウィは、一方では混成バンサ・ムラユやそこに包摂される混成の人々を結びつける文字としての意味合いが、他方では(他のバンサに対する)バンサとしてのマレー人の固有の文字としての二つの意味合いがあった。
 国民国家の時代以降のマラヤ/ マレーシアにおいては、国語はマレー語(表記はローマ字)とされた。1950年代から60年代にかけて、新聞や雑誌用表記も、読者層の拡大や国内の民族間の交流・連絡促進、および国外(インドネシア、フィリピンなど)のマレー語読者との交流・連絡促進のためにローマ字が採用された。つまり独立期にはジャウィを「国民の文字」とすることは達成されなかった。
 その後、1980年代以降はローマ字表記法の改正(「ザアバ綴り」→「補完綴り」)を進める中で、1984年には公立学校で宗教科目の教授言語にジャウィを認めるなど、ジャウィはイスラーム教を一つの基礎とするマレー人の「民族の文字」という性格付けがなされ、マレーシア社会の中に新たに位置づけられた。
 2006年の『チャハヤ・ヌサンタラ』紙がジャウィで創刊された意図を考えると、そのヒントは(おそらく編集者側の意図が大いに反映されていると思われる)同紙の「通信欄」に見て取れる。そこでは、「アラブ・ジャウィは我々の民族(bangsa)の文化である」「ジャウィは我々の民族の文化遺産」というように、「ジャウィ」は「マレー語のアラビア文字表記」ではなく、「インドネシア民族のジャウィ」であることが明示されている。また、「マレーシアに取り残されないように/ マレーシアを見習うべき」というように、インドネシア国内のみならず国境をこえたマレーシアとの繋がりも強調される。このように、『チャハヤ・ヌサンタラ』紙がジャウィを用いて創刊された背景には、それが(インドネシア国内にとどまらない)多様な人々を包摂する人間集団として想定される「ヌサンタラ」を「照らす光=チャハヤ・ヌサンタラ」たらんという意図があったのだ。
 以上の発表に対して次のような質疑応答、議論がなされた。「“多様な人々を包摂する人間集団”の形成や、国民国家を超えた広がりを志向する背景には何があるか(西尾)」―「近年の民主化、地方分権化の流れをうけ、地方社会に大幅に権限が委譲になる中(インドネシアの)統合のために、ナショナリズムに代わるものとしてイスラームの重要性が増大していることが背景の1つとして考えられる(山本)」「“チャハヤ(光)”がいきわたる範囲として想定されているのはどこか?(黒田)」「“多様な人々を包摂する”ような動向は具体的にみられるか(川島)」――「とくに9.11同時多発テロ以降、ムスリム社会に対する外部からの視線を意識する中で、インドネシアや東南アジアのムスリムの間で、イスラームのあり方を自問したり、ジャウィ=ムスリム、というイスラーム性を強調しすぎることを抑制する傾向は見られる。(西)」

8.今後の海外出張、英文学術書出版、kitabの整理・目録作成作業の予定、来年度の海外研究者招聘、その他研究活動に関する打ち合わせを行った。

(文責:5:柳谷あゆみ、6:茂木明石、その他:山口裕子)