研究会・出張報告(2007年度)

   研究会

日時:6月23日(土)14時~18時
場所:京都大学本部キャンパス・工学部4号館(総合研究2号館)4階東側、会議室(AA447号室)
参加者:19名
報告:外川昌彦(広島大学)
   「インド世界とイスラーム―聖者チャイタニヤの伝記文学から」

報告①:
 外川昌彦氏による発表は、「ヒンドゥー教」概念の成立に関するものであった。本発表では特に、クリシュナ・バクティ運動の推進者であったチャイタニヤ(チョイトンノ)の伝記文学をもとに、「土着の宗教」としてのヒンドゥーが、イスラームとの関わりの中で自覚されていった様子が明らかにされた。
 外川氏はまず始めに、イスラームのスーフィズムがバクティ運動に影響を与えていたことに言及し、聖者信仰を通してシンクレティズム論を考える重要性について述べた。続いて、現代インド世界を特徴付けるコミュナリズムが、植民地時代よりも古い起源を持つ現象であることを示唆したベイリーの学説を紹介した。そしてこれらの議論をもとに、外川氏は概念としての「ヒンドゥーイズム」が西洋キリスト教世界との接触によって生み出されたとする従来の学説に疑問を呈し、15~16世紀のベンガルにおけるヒンドゥー教徒とムスリムとの関係性の中に、その萌芽がすでに観察される事実を指摘した。
 本発表はこれらの問題群の中でも、最後に提起された中世ベンガルの伝記文学における「ヒンドゥー」の用法と意味に関する考察を中心に進められた。研究にあたって分析対象とされた資料は2点ある。1つはチャイタニヤの没後10数年を経てブリンダボン・ダスによって書かれた『チョイトンノ・バゴボト』、もう1つはその70年後にクリシュノダス・コビラージによってまとめられた『チョイトンノ・チョリタムリト』である。資料の特徴としては、前者がチャイタニヤの日常や交友の記述を中心としており、後者では事跡の記録に加えて真理に関する議論も見られる点が挙げられる。
 資料の比較では、中世ベンガルの人々が宗教としての「ヒンドゥー」という概念を共有していたかどうかが詳細に検討された。先に成立した行伝では宗教としてのヒンドゥーの用法が明確には見られないのに対し、後で書かれた伝記にはそれが顕著に現れてくる。そして、それらの背景では常にイスラームに対抗するヒンドゥーという、宗教的な緊張関係が存在していると結論付けられた。
 質疑応答ではまず、後に書かれた資料の方により哲学的な議論が展開されている理由として、当時その勢力を拡大しつつあったムガル帝国の影響が無視できないとするコメントがあった。また、宗教間対立がチャイタニヤの生きた16世紀から顕在化し始めたのか、それともそれ以前から存在していた問題であったのか、コミュナリズムを本質化することの危険性と絡めて問う発言もあった。それに対して外川氏は、コミュナルな状況が特定の歴史的過程で生じたのか、時代を超えて普遍的に存在し得る問題なのかどうかは、今後さらに慎重に検討していく必要性があると指摘した。
 今回の発表では、これまでのインド研究においてヒンドゥー研究者の内部のみで閉じていた議論に対し、イスラーム地域研究の視座を導入しようという意欲的な試みが示された。またイスラーム地域研究に携わる者にとっても、インド研究における成果からヒンドゥーとムスリム民衆の関係が検証されたことで、複合現象としての「スーフィズムと民衆イスラーム」のより総合的な理解が可能になった。新たな研究手法を取り入れることで、本研究はポストコロニアル時代のヒンドゥー研究およびイスラーム地域研究に一石を投じるものであったといえる。
 報告者:(朝田郁・京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科一貫制博士課程)