研究会・出張報告(2006年度)

   出張報告

期間:2007年3月14日 ~ 2007年3月25日(12日間)
国名:トルコ
出張者:今松泰(同志社大学非常勤講師)、森山央朗(日本学術振興会特別研究員・東洋文庫)、高橋圭(人間文化研究機構PD研究員/上智大学客員研究員)、加藤瑞絵(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)

概要:
 3月15日(木)
 イスタンブールにて、スレイマニエ図書館及びISAM見学。スレイマニエでは、図書の電子データ化作業や古文書修復作業の様子を見学することができた。古文書修復作業は日本から技術を学び、和紙が活用されているという興味深い話も聞くことができた。その後、スレイマニエ・ジャーミィ、リュステム・パシャ・ジャーミィを途中に見学しつつISAMへ移動。短い時間ではあったが、蔵書の充実した館内を見学することができた。同日夜にコンヤへ移動。
 3月16日(金)
 コンヤにて、メヴラーナ博物館、インジェ・ミナレ博物館、シャムセ・ティブリズィ・ジャーミィ、クーナヴィー廟見学。メブラーナ博物館では、多くの信徒が祈願をしたり、写真撮影をしたり、また、ムハンマドの聖遺物(顎鬚)を収めたケースに手を触れる様子が見られた。入り口を入るとすぐ脇に小さな泉があり、その水を飲んだり持ち帰る人の姿もあった。博物館員にその水について尋ねると、由来は教えてもらえなかったが、効力がないはずがない、何事も心持ちが大切だとのことであった。移動中、大通りから路地を入ったところで、偶然ザーウィヤを復元したという建物を見付ける。そこには壷などの工芸品や香辛料を扱う小さな店舗が入っており、一人の店主が話をしてくれ、内部も見学させてくれた。香辛料は治療に用いるのだとの話も聞く。インジェ・ミナレ博物館では、セルジューク朝時代の彫刻を中心とした展示を見学。その後、シャムセ・ティブリズィ・ジャーミィへ。こちらは弟子のメブラーナ廟に比べると至って質素であった。外装は修繕作業中であったが、内装も含めよく手入れされてきれいな様子であった。観光客はおらず、数人の近隣住民と思われる人が礼拝する姿があるだけであった。最後に訪れたクーナヴィー廟は、警官や地域住民に道を尋ねながらようやく行き着いた。小さく簡素な建築ではあるが、よく手入れされ、現在修復中のようであった。すぐ側にあった古びた廟とは対照的であり、今も人々の間で「生きている」聖者であることを実感した。近くで声を掛けて案内してくれた男性も、廟の前で祈りを捧げて帰っていったが、通りから廟の前で足を止めて祈る人の姿が見られた。夜、イスタンブールへ移動。
 3月17日(土)休養日
 3月18日(日)
 ベイコズ方面の聖者廟及び対岸のテッリ・ババ見学。ベイコズでは、5つの聖者廟をタクシーにて回った。道中、タクシー運転手からも様々な興味深い話を聞くことができ、充実した調査となった。まず訪れたユーシャー廟では、前回調査のときよりも露店や人出が増え、賑やかな様子であった。景観を楽しむ人々の姿も多く見られた。運転手の話によると、この地がTV番組で紹介されたことで、参詣者が増加したらしい。また、ユーシャーにまつわる話として、ユーシャーがこの地でキリスト教徒と戦った話を聞かせてくれた。ユーシャーの時代は日没が戦闘終了の合図であったが、ユーシャーは沈みかけた太陽にあと2時間待つよう命じて、果敢に戦いを続けたのだそうだ。次のアク・ババ廟は、前回調査時と変わらぬ閑散とした様子であった。ただ、廟に関する説明プレート設置など、環境整備は進められているようである。クルクラル・スルタン廟では、表で農作物などを売る女性たちがおり、彼女らの話によると「40人と戦った聖者」であることのこと。説明のプレートには、サイイドで、深奥の知識(ilm al-laduni)を持ち、枢軸(qutb)であった人物と紹介されていた。丁度内部を見学し終わった頃に昼の礼拝の時刻となり、人々が同廟に集まってきた。ここで礼拝を行なうようか。ウズン・アヴリヤー廟は、すぐ脇にジャーミィが建ち、人々が集まっているようであった。見学中、祈願に立ち寄る人もあった。当初この地域で予定していた廟は以上の4つであったが、タクシー運転手に教えてもらい、テズ・ベレン・ババ(「すぐに与える聖者」の意)廟に案内してもらった。彼は日々この廟に祈願に来るという。路傍の、建築物や標識すらない小さな墓であった(別にもう1つ、彼が教えてくれた廟は、駐車スペースがないということで通過)。船で対岸へ渡り、テッリ・ババ廟見学。結婚の報告にやってきたカップル2組、また、割礼の衣装を纏った男児の姿があった。入り口近くの売店の男性は、テッリ・ババは戦士で、アブドゥッラー・エフェンディという名だったと説明してくれた。銀の糸を伝って海を渡った聖者という逸話とは別ものであるのか、謎である。
 3月19日(月)
 まず、コンスタンティノープル世界総主教座見学。続いてエユップ・スルタン・ジャーミィ見学。狭い廟の中では、座って祈願をしている女性の姿が多く見られた。夜、ジェッラーヒーのセマー見学。イラーヒーを唱えている間、ビデオ撮影は禁止された。外国人席から手前の広間でセマー、奥の部屋で教団員がズィクル及びドゥアーを行なっていた。セマーとズィクル及びドゥアーとの関連性はあまり感じられなかった。セマーの実施は、文化保護協会としての立場からか、ジェッラーヒーの儀礼をカモフラージュするためであるのかもしれない。ドゥアーの内容は、病気の治癒、試験合格など具体的なものがあった。外国人席には、ヨーロッパ系と思われる人が多かった。感極まり涙する女性の姿もあった。儀礼の参加者には少年の姿も見られたが、このように関心を寄せるヨーロッパ系の人々もまた、教団拡大の標的となっているのであろうか。
 3月20日(火)
 夜まで休養。夜、カーディリーのズィクル見学。前回調査時とは異なり、女性は立ち入り禁止となっていた。撮影も禁止になり、教団の方針が外部に対して厳しくなっているのかと推測したが、儀礼に参加した今松・高橋両氏の話によると、儀礼自体の雰囲気は前回同様穏やかであったという。同教団も、若者の参加が増加しているようであった。
 3月21日(水)
 ナクシュバンディー系のシャイフ廟見学。イスケンデル・パシャ・ジャーミィ見学。2階女性席にも入れてもらう。ジャーミィのすぐ脇に、ワクフの資金で建てられたという私立学校があった。次にアフメト・エミール・ブハーリー廟へ。丁度昼の礼拝となり、近隣の人々がジャーミィへ集まってきた。アザーン中は写真撮影をしないよう、注意を受けた。ファーティフ・ジャーミィは沢山の人出で、建物の中では礼拝中の男性が数名いた。1階の衝立の陰や2階席では、礼拝をする女性の姿が多く見られた。この日同行してくれた澤江さんの話によると、トルコでは女性がモスクで礼拝をするのは珍しいようだ。アフメト・イッゼト・エフェンディ廟を通過し、イスマーイール・アー・ジャーミィへ向かう。通りから建物を撮影しようとしたところを警官に止められたり、中に入るとすぐに子供が金銭を求めてきたりと、居心地の悪い思いがした。前回調査時には中に立ち入ることができなかったが、今回入り口を入ることはでき、歴代の師の墓などを観察した。奥にサダカ受付窓口があり、学校や宿舎も備わっているとのことである。帰りがけに、セイイド・アリー・エフェンディ廟を通過。説明のプレートによると、元々ハルヴェティー系の施設があり、後にジェッラーヒーが使用していたという。現在は墓のみ。このような墓を管理する役所ができたそうで、それ以来看板やプレートなどの整備が進められているようか。今回調査中に感じた居心地の悪さは、訪れたジャーミィがその地域に密着し、ある意味で、他者へと開かれていないためであったのかもしれない。
 3月22日(木)
 アレヴィーのセンターめぐり。シャー・クル・スルタンでは、集会に使う部屋を見学したり、アレヴィーに関する話や同センターの由来を聞く。話を聞いている間に、昼食のために人々が集まってきていた。アレヴィーのメンバー以外にも、近隣住民が無料の食事を求めて多く集まってきているようであった。カラジャ・アフメト・スルタンへ移動。こちらで昼食を頂いてから、集会に参加した。男女別に着席するが、中央での踊りや儀礼は男女混ざって行なわれた。神や預言者、アリーらへの呼び掛け、水を汲むような動作やメヴラーナー教団のセマーのような仕草を含む踊り、トルコ語の詩歌など、多様な要素が混在し、一度見学しただけでは捉えられないと感じた。陶酔した様子の男性もいれば、ただ集会を楽しんでいるという風の穏やかな老婆がおり、ここに集う人々の動機にも様々相違があるのかもしれない。より多くの聞き取り調査が必要であろう。
 3月23日(金)
 動物の犠牲を捧げている様子を見学。マフムード・ヒュダーイー・エフェンディ・ジャーミィでは、前回調査時にあったお礼参りの品(adak)受付場が、今はなくなっていた。男性が集団礼拝をする間も、廟には多くの女性が訪れていた。前回調査で動物の犠牲を捧げていたセラーミー・アリー廟では、現在鶏の犠牲が規制されたこともあり(鳥インフルエンザの影響か)、犠牲の奉納は行なっていないとのことを同廟の管理関係の男性から聞く。ヒュダーイーでは現在も行なっているとの情報を得て再びヒュダーイーへ戻り、羊を屠る場所を見学。この羊を捧げた弁護士が、丁度我々が滞在するカドキョイに事務所を持つとのことで、親切にも車で送ってくれ、昼食もご厄介となった。彼は旅の安全祈願のお礼として、羊を捧げたらしい。羊は鶏よりも高価であり、庶民にはなかなか手がでないであろう。セラーミー・アリーで犠牲の奉納を中止した背景には、そのような事情もあるのかもしれない。事務所に勤務する女性弁護士からも、礼拝や廟の参詣に関する見解や彼女が知っている聖者廟について話を聞くことができた。(加藤瑞絵)