研究会・出張報告(2006年度)

   研究会

日時:2007年2月27日(火)~2月28日(水)
会場:KKR宮ノ下
参加者:18名

報告③:
○二宮文子(京都大学)「中世北インドにおける14のハーンワーダー」
 二宮氏の発表は、14-15世紀にかけて、インドのスーフィーたちによる文献に頻出する「14ハーンワーダ」という語について、その内容や概念を文献史料に依って考察する、というものであった。
 発表に際しては、レジュメ、史料リストの他、文献を基に各ハーンワーダの内容やそれらの相互関係等をまとめた表が四つ配布された。
 発表内容は以下の通りである。まず、「ハーンワーダ」という語は、原則として、「タリーカ」と同じくスーフィー教団のグループ分けの一種である。その上で、この「14ハーンワーダ」について書かれた様々な文献に引用されている “Risala dar dikr-i cahar pir wa cahardah khanwada” という史料について見てみる。この史料は20程写本が現存するが、作者不明(明らかに虚偽の作者を挙げるものもあるが)で、成立年代については、扱われているスーフィー教団の成立年代等から14世紀後半と推測される。但し、扱われる教団にはいくつかバリエーションがあるため、「14ハーンワーダ」という存在がまず想定され、その上で内容が成立していったと考えられる。また、内容としてはチシュティーヤの伝承が入っており、文献伝播の担い手は、原著者についてのアナクロニズムがあることから、教養が低い層と思われる。後世の利用状況としては、写本分布から北インドを中心に16・17世紀以降も参照されていた可能性が高い、とする。
 次に、「ハーンワーダ」とは如何なる概念か、考察する。文献中の用法では、各教団の修行方法を指す際には「タリーカ」の語が使われており、一方「ハーンワーダ」の方はバラカを指すのに用いられている。よって、「ハーンワーダ」はバラカを重視した概念である。そしてそのことからすると、ハーンワーダへの帰属にはバラカの所有が実践よりもウェートを占めたと考えられ、故にハーンワーダへ入るハードルは低くなり、このことが教団の大衆化を促すことになった、と考えられる。更に、この語の原義は「族」という意味であり、教団同士は師弟関係という形でスィルスィラの連なりとして表象されることから、「14ハーンワーダ」全体が「一つの族」・個別化しない連なった諸スーフィー教団という形を持っている。これは多数のバラカ所持をよしとする風潮の反映と考えられる。
 最後に、「偽作」である文献が早い段階で流布していたインドの現実にあって、今の目からすると「怪しい」それらの文献を如何に歴史学の枠の中で扱うか、といった将来的かつ根本的課題を提示する形にて、発表は締めくくられた。
 質疑応答の際には、以下のような指摘がなされた。「14」や「4」といった数字の象徴性がありうる、ということや、アナクロニズムの存在から伝播主体の教養が低いと決め付けることはできない、ということである。
 (角尾宣信・東京大学文学部)