研究会・出張報告(2006年度)

   研究会

日時:2007年2月27日(火)~2月28日(水)
会場:KKR宮ノ下
参加者:18名

報告②:
○高尾賢一郎(同志社大学)「現代シリアの聖者、アフマド・クフターロー研究 - そのスーフィズム理解を中心に」
 発表は、その生涯において宣教活動を続け、今なお多くの弟子に聖者として慕われている現代シリアのアフマド・クフターロー(1912/15-2004)について、そのスーフィーとしての側面を考察するものであった。彼に関する先行研究はその功績を讃える内部資料と、彼をシリア政権に擦り寄った策略家と見る外部資料の二つに大別できる。発表では、前者を通して見る彼のライフ・ヒストリーに注目して、彼のスーフィズム理解や彼を擁したナクシュバンディー支教団(カフターリーヤ)について述べた。
 クフターローはグランド・ムフティーや宗教間対話に従事する国際的宗教家というような政治的な公人のイメージが強い。しかし彼のスーフィーの側面が目立たない背景には、彼が生まれ育った歴史背景と教育環境を通して構築された、党派主義に対する姿勢がある。彼はその幼少期に父や多くの同胞による対仏抵抗運動を目の当たりにし、学派や宗派に拘らないイスラームの統一をその強い教育理念とした。結果として彼はナクシュバンディー教団のスーフィーであったが、スーフィーと法学者や法学派間の連帯を強く呼びかけ、自身のスーフィー的資質を周辺化することに努めた。
 スーフィズムに関するクフターローの言及を見てみると、イスラーム諸学の中でスーフィズムに特別な地位を与え、そこに不可欠な性質を見出しているのは明らかである。しかし一方で彼はスーフィズムを一般的で、特別な儀礼や方法を伴うものとはしなかった。自身のタリーカにおいても彼は儀礼性を伴ったバイアやズィクルを忌避し、またスーフィズムに特化した専門用語の使用も避けた。またサラフィー主義者との対話において、自身を「サラフィー・スーフィー」と称し、その調和を計った。
 コメントおよび質疑応答では、情報整理と方法論に関する議論を行なった他、サラフィー主義や他の改革主義的スーフィーとの比較を通した意見を拝受した。
 (高尾賢一郎・同志社大学大学院神学研究科博士後期課程)