研究会・出張報告(2006年度)

   研究会

日時:2007年2月27日(火)~2月28日(水)
会場:KKR宮ノ下
参加者:18名

報告①:
○藤井千晶(京都大学)「タリーカ像の再検討 - ザンジバル北部の事例から」
 藤井氏の発表は、ザンジバル北部のマウリディ(マウリド)におけるズィクリ(ズィクル)グループの活動状況の分析を通して、タリーカ像の再検討を行なうものであった。はじめに氏は、19世紀オマーンの首都が遷都されると、ザンジバルはインド洋海域世界や東アフリカでの中心地になり、東アフリカの内陸部へ向かう玄関口ともなったことを述べ、ザンジバルが東アフリカのイスラーム化にとって最も重要な拠点となった歴史的・地理的な概要を説明した。特に19世紀以降のこの地域のイスラーム化はタリーカによる布教活動が中心となっており、ザンジバルにおけるタリーカの展開を検討することは東アフリカのイスラームを理解するうえでも欠かせないことを指摘した。この地域のタリーカ研究については、研究者によってそれに関する評価が分かれること、その報告数が少ないこと、現在のタリーカの実態は不明であること、タリーカの日常的実践について体系的な研究がなされていないことなどが指摘された。まず氏は、5つのタリーカ(すなわち、〈1〉カーディリー教団、〈2〉シャーズィリー系ヤシュルティー教団、〈3〉リファーイー教団、〈4〉アラウィー教団、〈5〉アフマディー・イドリスィー・ダンダラーウィー教団)に関する文献資料のなかの記述を整理し、先行研究による既存のタリーカのイメージに対して、マウリディへの参与観察と指導者へのインタビューから「ズィクリグループ」という暫定的な集団概念を設定することで本発表の出発点とした。氏の現地調査から抽出されるタリーカの実態としては、全てのグループにズィクリ実践が観察されたという共通点と、グループ名の由来が名祖名かズィクリ名かという相違点が見出された。例えば、カーディリーやシャーズィリーなどはスィルスィラを持ち名祖名をグループ名としているが、一方でその他殆どのグループはスィルスィラを持たず、名祖名ではなくズィクリ名をグループ名の由来としている実態が明らかにされた。また、例えばエジプトのマウリドは預言者生誕祭と聖者祭を指すが、ザンジバルのマウリディは犠牲祭、断食明けの祭、結婚式や出産(通過儀礼)をも含む拡張した意味で捉えられており、このような儀礼においてズィクリは欠かせない要素となっている実態が指摘された。総括として氏は、スィルスィラが存在するシャーズィリーやカーディリーといった従来のタリーカ像とは異なり、ザンジバルにおけるタリーカとはズィクリを行なう集団であること。ザンジバルにおけるマウリディは単に生誕祭のみではなく祭一般や通過儀礼をも含むこと。頻繁に行なわれるマウリディに関わっているものこそがタリーカであり、ザンジバルにおける日常生活の中で、タリーカは重要な役割を担っていることを結論とした。質疑応答では、ズィクリグループ(=タリーカ)の指導者と教団員とで交わされる入門儀礼とイジャーザが実践者たちの間でどのように解釈され実践されているのかという問題関心にそって、ザンジバル革命前後のズィクリグループの連続性、儀礼の継承はいかになされるのかなどの議論が進められた。藤井氏の発表は、儀礼を行なう集団をひとつのキーワードとして現地の人々が認識し実践する「組織」の在り方という実態から、従来の研究によるタリーカのイメージを反省的に再検討するものであり、今後のタリーカ研究を行なう上で重要な手がかりとなるであろう。
 (水野裕子・広島大学大学院国際協力研究科博士後期課程)