研究会・出張報告(2006年度)

   研究会

日時:2007年1月6日(土)13:00~17:00
場所:上智大学2-630a室
参加者:20名

報告③:
○新井和広(東京外国語大学)「ハドラミー・サイイド―家系氏再構築の問題点」
 イスラーム地域研究プロジェクトに属するグループ3(スーフィズム・聖者信仰・タリーカをめぐる研究)の第1回目の研究会が、上智大学アジア文化研究所イスラーム地域研究拠点(SIAS)で2007年1月6日に開催された。本研究会では、サイイド・シャリーフ(預言者ムハンマドの一族)と、そのネットワークに関する二つの研究発表が行われた。本報告書は、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の新井和広氏による「ハドラマウトのサイイド―家系史再構築をめぐる諸問題」に関するものである。
 ハドラミー・サイイドは、イエメンのハドラマウト地方からインド洋周辺地域に移住した、預言者一族の子孫である。ハドラミー・サイイドは、東アフリカ、インド、東南アジア、紅海沿岸地域、エジプト、オーストラリア、ヨーロッパなどに広がっており、そのネットワークの規模の大きさからも研究上重要な意味をもつ。新井氏の発表は、その家系の一つであるアッタース家の移住の歴史と移住の経路、家系の成立と系図の発展、さらに同家の移住先の社会における位置付けと役割などによって構成されていた。
 発表はハドラミー・サイイドの起源と祖先から開始される。新井氏によれば、ハドラミー・サイイドたちのついては、イラクのバスラからハドラマウトに移住したアフマド・イブン・イーサー・ムハージル(Ahmad b. 'Isa al-Muhajir 956年没)に遡ることができるとされる。ハドラマウト移住後、彼らは当該社会において、部族間の調停、イスラーム諸学の教育、精神的指導(スーフィー聖者)の役割を担った。
 次にハドラミー・サイイドのハドラマウトから他の地域への移住、特に東南アジアに拡がったアッタース家に焦点をあて、その歴史が明らかにされる。18世紀に書かれた伝記によれば、東南アジアに移住した最初のアッタース家の構成員は、ウマル・イブン・アブドゥッラフマーン('Umar b. 'Abd al-Rahman 1661年没)であるとされ、同家の東南アジアへの拡大が17世紀であると推測される。また発表者は、同家からインドネシアにおいては外務大臣や歌手、マレーシアにおいては大学の学長を輩出していることから、同家が東南アジアにおける有力な家系の一つであると考えた。このように東南アジアの有力家系となった同家の系図に関して、発表は展開される。
 系図について論じた新井氏は、出版されている系図以外に、公開されず保護されている系図の存在に注目し、両系図には異なる目的があると指摘する。同氏は、前者が外部向けであり、預言者の子孫であるという事実と祖先の偉業を宣伝することを目的する一方、後者は、内部向けであり、オリジナルの文書を外部の目に触れさせないことで、家系メンバー内の結束を強化するためであると考えた。またアッタース家の構成員を結束させる要素を五点あげる。畢竟、第1に共通の祖先をもつという意識、第2にハドラマウトが家系の中心地であること、第3に同族婚や女性を介して他の家系との婚姻、第4にイスラーム学者ネットワーク、第5に祖先の偉業の記録である。さらに新井氏はアッタース家の成功の理由を、構成員の職業的な多様性、異なる社会環境に対する適応力、家庭環境であるとし、発表を締めくくった。
 発表後は、研究協力者と参加者たちによるコメント・質問に対して発表者の応答で活発な討論が行われた。
 (ダニシマズ・イディリス・京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程)