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上智大学イスラーム地域研究機構

 活動報告

拠点強化事業「イスラームをめぐる諸宗教間の関係の歴史と現状」
2012年度第2回研究会 報告 (2012年11月24日/上智大学)


 日時:2012年11月24日(土) 15 :00‐17 :00
 場所:上智大学市ヶ谷キャンパス研究棟6階 601号室
 参加者:6名

発表(1):藤田康仁(東京工業大学) 「カフカースにおける教会堂建築の概要」
発表(2):辻 明日香(早稲田大学) 「出張報告:7月にマルタで開催されたキリスト教アラビア語学会について」
<藤田氏報告レポート>
 カフカース地方(アルメニア・グルジア)の中世アルメニア教会の教会堂の遺構、もしくは修復されて現在も使用されている教会堂について現地調査に基づく報告が行なわれた。ヴァン湖を中心とする大アルメニア王国が形成されたこの地域では1世紀まではゾロアスター教、ミトラ教などが信仰されていたが、その後キリスト教がシリア、カッパドキアから入り、301年には国教とされた。アルメニア使徒教会は、451年のカルケドン公会議でしりぞけられた非カルケドン派に属する。カフカース地方は山がちで修道院建築に適した地形であり、5-6世紀から12-13世紀までに教会堂が建築されたが、当初は上述のようなキリスト教以外の宗教の神殿跡に建てられることもあった。
 調査時の写真により建築様式の提示および説明があった。当初は「単廊式教会堂」、「三廊式教会堂」(中央に天井が高く幅が広い身廊をもつ)などのバシリカ形式のものが建てられたが、7世紀頃からドームが用いられるようになり「十字形教会堂」(十字の中央上部にあるドームは八角形のドラムの上につけられている)、「ドーム・ホール型教会堂」(アルメニアに独特)、「マスタラ型教会堂」(ドームをかけるためにリブに工夫がある)、「ズヴァルトノツ型教会堂」(シリアのボスラ(6世紀)と類似)、「多葉型教会堂」(十字形の変形で6~8の葉型でドームを囲む)、「ドーム・バシリカ型」(エチミアジンに見られる。バシリカ形式教会堂の中にドームが独立柱により建築)、さらにこれらの様式を進化させたものとして「リュプシメ型教会堂」が挙げられる。アルメニア人の伝統住居は独立柱をもつ木造建築で、井桁の上にドーム様の屋根がおかれているが、教会堂との建築様式の関連は不明である。
 これまでのアルメニア教会建築の研究は以下の2つの点で限界があった。一つにはビザンツの教会堂建築との関連が前提とされていたことであるが、発表者はアルメニアの建築として独立して捉えるべきであると指摘した。また平面形式に偏向した比較研究であったためドームの検討は出来ておらず、立体的な構造物としての特質を見逃している点も問題であった。写真や測量のみに基づくのではなく、石材と石材の間につめるモルタルの成分分析や、シュミットハンマーを用いた非破壊検査法により石材の強度を測ることなどで構造の分析を行なっていくことが肝要であると発表者は指摘した。
 参考文献:木村崇、鈴木董、篠野志郎、早坂眞理編『カフカース:2つの文明が交差する境界』彩流社, 2006.




<辻氏報告レポート>
 「第11回 シリア学学会」(2012.7.16-18)と「第9回 キリスト教アラビア語学会」(2012.7.19-21)が連続して、地中海の島、マルタ共和国バレッタ市にあるマルタ大学で行なわれ、辻氏は後者において、14世紀のコプト聖人についての報告を行なった。両学会の開催に先立ち、シリア=カトリック教会でミサが行なわれた。参加者は世界各地から集まったが、それは国際化というよりも移住を余儀なくされている中東出身のキリスト教徒の存在も意味している。例えば、それまで「歴史的シリア」として大きな括りのなかにあった地域は、第一次世界大戦後、大国による人為的な国境画定により分断された。この分断された北部にあたる地域が現在のトルコ共和国南東部であり、同じく分断された北東部が現在のイラク北部にあたる。両地域ともに政治的紛争の中で移民となることを決意した人々がいるのである。学会ではキリスト教同士の交流の進展も窺え、ムスリムとの相互関係をテーマとした発表もみられた。なお、余談ではあるが、学会開催中にバレッタ市ではキリスト教の祝祭が行なわれ、パレードが見られた。台座に乗った聖母マリアの像がねり歩く写真を見て、本研究会参加者一同は、マリア信仰の強いマルタらしさを感じつつも、日本の神輿を連想して、宗教と風習との関係にきわめて感覚的な親しみを覚えたのであった。



文責:中村妙子 (早稲田大学イスラーム地域研究機構招聘研究員)



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