海外出張報告(2011年7月31日~8月29日/エジプト)
出張期間:2011年7月31日~8月29日
訪問地:エジプト、カイロ市
出張目的:資料収集(コプト関連および革命関連、ブックフェア)
出張者:三代川寛子(上智大学アジア文化研究所客員研究所員)
本出張では、エジプトの宗教的マイノリティであるコプト・キリスト教徒の間で19世紀末から20世紀前半ごろに発生した文化復興運動について、主に国立図書館(ダール・アル=クトゥブ、カイロ市)で資料収集を行った。
19世紀末から20世紀前半は、エジプトが近代国家設立、そして植民地からの独立を経験した時期であるが、それに伴い、様々な形態のナショナル・アイデンティティが模索された時期でもあった。それは、人口のおよそ10%を構成するとされるコプトの間でも同様であり、最終的に1919年革命においてリベラルなエジプト国民主義が建国の思想として優位となったものの、それ以外にもコプトが自らをエジプト社会の中に位置づけるために様々なアイデアが提示された。
その中の一つが、今回調査を行ったファラオ主義である。ファラオ主義とは、エジプト人を古代エジプト人の子孫であり、その文化遺産を受け継ぐ者と規定するものであるが、独立・建国運動の最中であった1922年にツタンカーメンの墓が発見されたことから、以後数年間エジプトではファラオ主義が流行した。
今回の調査では、1920年代よりも前の時代におけるコプトの間でのファラオ主義的動きを調査した。収集した資料は以下の通りである。
(1)エジプト学者でコプト語復興運動を行ったイクラディユース・ラビーブ(1868年-1919年)が、1900年から1903年まで発行していた『アイン・シャムス』という雑誌の複写を入手した。ラビーブは本誌で、コプト語を日常語として復興することを呼びかけており、同誌上で詳細なコプト語文法解説などを行っていたことが分かった。
(2)コプトの名望家タードゥルス・シェヌーダ・アル=マンカッバーディー(1857年-1932年)が関わった雑誌の複写を入手した。この人物は、マムルーク朝期に禁止され、以後廃れていたナイルーズ祭(コプト暦の新年を祝う祝祭で、春分とは関係がない。グレゴリウス暦で9月11日に相当する。)を復活させたことで知られており、今回の調査では同人が編集長を務めた日刊紙『ミスル』、コプト・タウフィーク慈善協会の機関誌『タウフィーク』などの複写を入手した。
また、今回の出張では「1月25日革命」関連の書籍をカイロ市内の書店で購入した。まだ現在進行形で事態が展開していることもあり、革命に関する分析よりは、デモの様子や壁の落書きの写真集、デモ隊が叫んだシュプレヒコール集、ツイッターを利用して発信されたメッセージ集、エジプト軍最高評議会が出した公文書集など、革命に関する様々な事柄の記録が目立った。あるいは、革命についてのエッセイや、革命前のエジプトの政治・経済・社会状況を今回の革命に結び付けて論じる論考などが多かった。
また、例年1月下旬から2月上旬にかけて開催されているカイロ国際ブックフェアが今年は革命で開催されなかったのであるが、今回の出張期間中に改めて開催されることになったので(8月5日から25日)、訪問して文献収集を行った。例年、ブックフェアはナスル・シティの国際展示場で盛大に行われるが、今回はファイサル通りにあるGEBO(General Egyptian Book Organization)の敷地で開催され、規模は随分縮小されていたものの、盛況であった。一般書、児童書、古本などと併せて、GEBOの書籍が在庫処分のため格安で販売されていた。また、恒例の文化人による講演会なども開催されていた。
文責:三代川 寛子(上智大学アジア文化研究所・客員研究所員)