• ホーム
  • 概要
  • 活動報告
  • 出版物
  • リンク
上智大学イスラーム地域研究機構

 活動報告

2011年度第1回研究会報告(2011年7月23日/上智大学)5/5

総括・総合討論

コメンテータ:山根聡(大阪大学教授)

  丸山氏による報告の後、10分程度の休憩をはさんで本SOIAS・KIAS共催ワークショップの総括及び総合討論が行われた。総括は本ワークショップ主催の一人である大阪大学の山根聡教授が口火を切るかたちで始まり、そのなかで山根氏は主に2つの点を指摘した。第1に、本ワークショップで各地域の事例として取り上げられたインドネシアのアフマディーヤ、エジプトのムスリム同胞団、スーダンのルカイニーヤ教団はいずれも19世紀後半から20世紀前半にかけてのほぼ同じ時期に誕生しており、その時代背景として宗教的知識の大衆化・民主化という契機が存在している一方、運動体としてアメーバ状のネットワーク組織を有しているという点である。第2に、以上の時代の通底性にもかかわらず、地域の固有性も一方で厳然として存在しており、それぞれの地域で時代や社会的背景に沿った形で「中道」という理念が創造され、各地域の大衆による合意と承認を得ることで実体を伴った概念となってきた、という点である。山根氏による総括は、「中道」あるいは「中道派」という概念が地域的多様性を抱えており、また同概念が各地域において一般大衆の支持を得ることで初めて有意義な概念として歴史的に構築されてきたという事実の重要性を、改めて想起させるものであった。

 


 以上の山根氏による総括が行われた後、ワークショップは総合討論の時間を迎えた。そこではまず、本ワークショップ主催者の一人である日本大学の粕谷元准教授から、中道は概念ではあるが理論ではないとの指摘がなされた。すなわち、中道という概念は時代や地域により可変的であり、普遍的・不変的な理論を構築することは難しいのではないかという問題提起を行ったのである。同時にまた、「中道」という概念が登場してくる背景にはその概念が求められる時代の世相があり、その世相を構成する点として、今日においては①知の大衆化、②急進派の台頭があるということを指摘した。
 また、京都大学の今松泰准教授は、各地域における「中道派」概念の形成が、イスラーム史におけるスンナ派形成の過程に酷似しているという点を強調した。すなわち、上述の丸山氏が提起したような現代スーダンにおける中道概念の包括性と排他性は、まさにスンナ派がシーア派に対して示した宗派的立場であり、共同体の維持を主眼とするものであったという。今松氏によるこのような主張に関連して、日本大学の横田貴之准教授からは「中道派」という潮流はいわば地域社会において多数派になるための努力を意味し、つまるところ近現代において思想のマーケットがウマラーから非ウラマーの知識人へ、さらに大衆へと開放される過程で民衆を含めて思想や理念の多数派を決定する社会が到来したのだという論点が提出された。また日本学術振興会の岩坂将充氏からは、スンナ派が共同体の分裂を阻止し社会の統合を維持するために多数の支持を獲得しようとした姿勢は、今日の中道派勢力の姿勢と類比的であるとの指摘がなされた。
 他方で、久留米大学の佐々木拓雄准教授からは、「中道派」概念が含意する本質主義的な理解に対する疑義が投げかけられた。これに対して山根氏は、「中道」という概念を社会に誇示し働きかける過程で政治的・経済的な動きが生じており、決して「中道」概念が静態的なものではないと述べる一方、フロアーからは「中道派」よりも「中道化」の方が、地域の変容する過程を描写するための動態的概念としてより適切なのではないか、という提起がなされた。またこれに類してフロアーからは、そもそも「中道」の概念が登場してきた歴史的起源に対する質問も寄せられた。これについては今松氏から、キャーティプ・チェレビーなるオスマン知識人が17世紀に既に『真理の秤』のなかで「中道」という概念について触れており、そこでは「中庸」に基づく社会の安定が目指されていると応答した。
 本ワークショップのタイトルに「中道派概念の再考」とあるように、総合討論では「中道」あるいは「中道派」とは何かをめぐって時間の許す限り闊達な議論が展開された。それらの論点は様々に示唆的であったが、報告者にとってはいずれも、「中道派」は概念なのか、あるいは理論なのかという先の粕谷氏の言葉に回収され、帰着する問題系に属するように思われた。すなわち、「理論」というものが普遍的・不変的な事柄を積極的に規定・定式化する学術的営為であるとするならば、「中道=2つの極の間」という現時点での中道派研究会における暫定的な合意は、普遍的・不変的な対象をそれとして直接的かつ積極的に指示しておらず、可変的な事象を間接的あるいは消極的に表現せざるをえないでいるという点において、果たして理論なのかということである。このことはまた、「世俗」にも当て嵌まる問題でもあるように思われる。すなわち、粕谷氏が趣旨説明の場で述べていた「世俗主義あるいは世俗化とは、つまるところ、イスラーム的ではないとしか言い表しようがないイデオロギーあるいは現象であるという言葉に象徴されるように、「世俗=非イスラーム」であって、「世俗」という普遍的・不変的な事象を直接的かつ積極的にとらえきれていない(できない)ということである。こうして、報告者にとっては、「中道」及び「世俗」概念は、いずれも同系列の問題を有し、それへと収斂しているように思われるのである。
 近現代の中東・イスラーム世界における「中道」・「中道派」あるいは「世俗主義」・「世俗化」という、歯切れのよい解答を与えることが決して容易ではない問題をめぐり、今後も中道派研究会と世俗主義研究会との間で垣根を越えた連携が図られ、このたびのような合同の研究会が継続的に開催され、様々な立場からの刺激的な意見交換により「中道」「世俗」両概念がともに洗練化・精緻化されていくことを願ってやまない。
 
  文責:平野淳一(日本学術振興会特別研究員・PD)




Copyright© 2010- SOIAS, all rights reserved.