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上智大学イスラーム地域研究機構

 活動報告

2011年度第1回研究会報告(2011年7月23日/上智大学)3/5

「ムスリム同胞団における中道概念の変遷」

発表者:横田貴之(日本大学准教授)

 報告は、現代エジプト政治及びムスリム同胞団を専門にする横田氏による、同胞団の「中道」概念の変遷を論じるものである。報告の前提として、今年初頭のエジプト政変を受け、今年6月に自由公正党(FJP)を創設したムスリム同胞団では、政治活動への比重を高めた結果、「中道」への言及が減少していることが述べられた。報告では、20世紀前半、20世紀後半、2004年以降の3つの時代区分が使用された。
 創設者ハサン・バンナーの思想的影響力が強かった20世紀前半の同胞団を、横田氏はバンナー期と呼ぶ。この時期の同胞団には、欧化主義者と伝統墨守派どちらにも与せず中庸の道を目指すマナール派の影響を強く受けていた。バンナー率いる同胞団は、マナール派の思想を踏まえ、大衆運動の次元で新たな領域を開拓した。横田氏は、これを行動主義と呼ぶ。また横田氏は、バンナー思想の特徴として、特定の領域に限らず社会全体のイスラーム復興を目指す包括主義、個人→家庭→社会→国家と非急進的、漸進的に改革を進めていこうとする段階主義を挙げ、これらが現在に至るまで同胞団の基本理念になっていることを強調した。この時期の同胞団の活動もまた、行動主義、包括主義、段階主義に基づいて多種多様な展開が見られたことが述べられた。
 20世紀後半の同胞団は、ナセル政権による弾圧とサーダート政権下での復活を経験した。その結果、同胞団内で、バンナーの思想を踏襲するバンナー主義と、より急進的なクトゥブ主義が対立するようになったが、主流派である前者が後者を払しょくする形で、合法活動路線を堅持した。しかしながら、横田氏によれば、復活以降の同胞団の「中道」は、バンナー期の「中道」と位置づけが異なっているという。この時期には、急進的なイスラーム復興運動と、イスラームを排除する世俗主義が存在しており、同胞団は、両者の間で、非暴力的な改革を志向する中道派イスラーム復興運動を目指したのである。代表的論者として、横田氏はユースフ・カラダーウィを挙げ、カラダーウィの言う「イスラーム的中道派潮流」の要素を提示した。1984年には人民議会選挙に初参加し、1987年選挙では、実質的な最大野党になったことも述べられた。
 これに対し、2004年以降の同胞団は、横田氏によれば、民主化要求の高まりの中、改革や民主化運動の担い手として、新たな「中道派」像を目指している。従来は、急進派と世俗主義の間の中道を目指していた同胞団が、近年では、急進派と非民主的で権威主義的なムバーラク政権との間の、民主主義や非暴力的改革を強調する中道を目指すようになったことが論じられた。
 各時代の同胞団の中道派概念の変遷を踏まえた上で、横田氏は、同胞団の活動は社会運動であり、その時々の人々の意思や要望をくみ上げてきた、同胞団における中道派概念も、硬直的なものではなく、社会状況に応じ変化する柔軟で動態的なものである、と結論づけた。

 


   フロアからは、エジプト国内のアズハル機構やワサト党との関係、またトルコのイスラーム政党である公正発展党(AKP)やインドネシアの福祉正義党(PKS)との関係などに関する質問が挙がった。これに対し横田氏は、同胞団とアズハルは目指すものを共有しているはずだが、アズハルのウラマーたちは、そこまで政治的活動に出てこないであろう、また単独で選挙に勝利できないと自認するワサト党は、今後、FJPとの選挙協力に向かうであろう、との推測を示した。さらに、インドネシアのPKSに似て、FJPの主要メンバーである同胞団の70年世代の人たちは、“イスラーム”を声高に叫ぶことを意識的に避ける傾向にあり、それ以前の世代の人たちとの断絶が大きいと述べた。また、同胞団は、トルコのAKPが、“イスラーム国家樹立”を求めずに、イスラーム政党として大きな勢力を維持している点を評価し、学ぼうとしているのではないか、と述べた。
 また、近年の同胞団が“中道”に言及しなくなったことについて、同胞団=中道というイメージがすでに定着したからではないか、とか、そもそも同胞団内部には様々な思想が混在し、メンバーの出入りも多い“アメーバー的”組織だからではないか、というフロアから指摘から、議論が展開した。

  (文責 野中葉 慶應義塾大学SFC研究所上席所員)




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