2010年度第4回研究会報告(2011年3月11日/上智大学)
「トルコにおける軍の『アタテュルク主義』と世俗主義」
発表者:岩坂将充(上智大学ヨーロッパ研究所RA、上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科地域研究専攻客員研究員)
参加者:15名
<報告要旨>
現在のトルコにおける軍は、「アタテュルク主義(Atatürkçülük / Kemalizm)の擁護者」と見做されており、また特に近年その一要素である「世俗主義(laiklik / layiklik)」がクローズアップされている。報告者は本発表において、軍が「公定アタテュルク主義」、すなわち軍自身の解釈による「アタテュルク主義」を整備し、「アタテュルク主義の擁護者」としての性格を帯びていく過程を、特に世俗主義に焦点を当てつつ検証した。
「アタテュルク主義」の定義は明確ではなく、一般的には世俗主義・共和主義・国民主義・人民主義・国家主義・改革主義という6原則や、「現代文明水準への到達」「国家の一体性」などが重要な要素として挙げられることが多い。軍は、このような「アタテュルク主義」の創成期において重要な役割は果たさず、また現在のような「擁護者」的性格を有していなかった。このことは、1950年に成立した民主党政権による世俗主義緩和政策に対し軍が表立った反対を示さなかったこと、また、1960年クーデタの際にアタテュルク主義への直接的な言及がなく、「アタテュルク」やアタテュルク主義に関する制度的変更を行わなかったことからも明らかである。
しかし、1960年代からこの傾向は次第に変化し始めた。ここで注目すべきなのは、アイデミル大佐(Talat Aydemir)による2回のクーデタ未遂(1962・63年)と、アヴジュオウル(Doğan Avcıoğlu)ら左派知識人の影響力の拡大である。これらは多様な「アタテュルク主義」を生み出すと同時に若い将校らに浸透し、軍首脳らにアタテュルク主義の「濫用」と映るに至った。このことは、軍における統一されたアタテュルク主義観の必要性を、軍首脳らに気づかせる重要な契機となったと考えられる。
1971年の「書簡による」クーデタでは、これを受けてクーデタ後にアタテュルク主義への言及が多くみられた。また、「公定アタテュルク主義」の整備に向けて、参謀本部が監修した『トルコの歴史(Türk Tarihi)』においては、「世界観(dünya görüşü)」としてのアタテュルク主義が提示された。ここで前掲の6原則は、「現代文明水準への到達」「国民の団結と協同」「祖国に平和、世界に平和」といった目標を支えるものと位置付けられ、特に国家主義と改革主義が重視された。世俗主義に関しては、宗教による国家の基本体制への介入を認めないという立場が示されているものの、これは今日のような国家による宗教の管理とは異なったものであった。このような思想的整備とともに、軍は高等軍事評議会(Yüksek Askeri Şura)や軍事高等行政裁判所(Askeri Yüksek İdare Mahkemesi)を設置し、軍内ヒエラルキーと思想統制を強化していった。このことは、アタテュルク主義を中心に据えた軍内の思想的一体性の確保を目指す、軍によるアタテュルク主義の「内化(internalization)」の試みであったといえる。
1980年クーデタにおいては、このような傾向はさらに推し進められた。1970年代末の左派・右派武装勢力の衝突と著しい治安悪化に対し、軍はアタテュルク主義を用いた国家の再建を「国民の団結と協同」を中心に図ったのである。クーデタ声明はもとより、新たに制定された1982年憲法においてもアタテュルク主義は頻繁に言及された。また、学校教育現場などにおいてもアタテュルク主義は最重要の課題となった。さらに、「公定アタテュルク主義」の模索も継続され、参謀本部が刊行した『アタテュルク主義(Atatürkçülük)』においては、非ドグマ的イデオロギーとしてのアタテュルク主義が定義された。ここでは、プラグマティズムを強調することで柔軟に解釈する余地が残され、6原則は「国民の団結と協同」に基づき「現代文明水準への到達」を達成するためのものと位置付けられた。そして世俗主義は、国家による宗教活動の監督と宗教の悪用の防止と定義された。このような一連の施策は、軍が「公定アタテュルク主義」を定義し一般社会への浸透を図ったという点で、軍によるアタテュルク主義の「外化(externalization)」過程であった。
以上のように、アタテュルク主義と軍との関係は、1960年代と1971年クーデタを重要な転換点として変化し、「アタテュルク主義の擁護者」としての軍のイメージは、1980年クーデタが契機となって拡大していったといえる。この過程で整備されていった、硬直性を排した「公定アタテュルク主義」と「擁護者」イメージは、軍の正当性や権力の保持に大いに寄与したと考えられる。そして、今日見られるような、世俗主義をめぐる問題に積極的に関与する軍という構図は、このような文脈で培われてきたということに留意が必要である。