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上智大学イスラーム地域研究機構

 活動報告

2010年度第1回研究会報告(2010年9月11日/上智大学)

「lâyiklik再考-歴史学的視点から」

発表者:粕谷元氏(日本大学准教授)
参加者:19名

  2010年9月11日、上智大学市谷キャンパスにおいて、SOIAS公募研究「イスラーム社会の世俗化と世俗主義」の研究会が東洋文庫現代イスラーム研究班トルコグループとの共催により行われた。会では、粕谷元氏(日本大学)から「lâyiklik再考―歴史学的視点から」というタイトルの研究報告があった。その後、この報告に対するコメントとして、フランス思想研究の伊達聖伸氏(東北福祉大学)より、「ライシテ」に関する概念整理と問題提起がなされた。以下、研究発表およびコメントの内容、参加者からの質問等について報告したい。
 粕谷報告では、lâyiklikという概念の歴史学的な視点からの整理・再検討が行われた。lâyiklik(現代のスペルではlaiklik、粕谷報告では共和国初期のスペリングに倣って現代とは異なるスペルを採用している)とはトルコ共和国の国是として広く議論される概念・イデオロギーであり、一般的には「世俗主義」もしくは「政教分離」などと訳されることの多い用語である。粕谷報告ではまず、このlâyiklikという概念および用語の成り立ちや、共和国初期に国家イデオロギーとしてlâyiklikが採用され始めた段階での解釈について、当時の重要な「イデオローグ」たちの言葉を引用しながら詳細に解説した。
  ここで、粕谷氏はlâyiklikの訳語としてしばしば用いられてきたlaicismとsecularismとの比較・峻別を行い、secularismをより広義の概念と位置づけた。粕谷氏によれば、lâyiklikは第一義的に政教分離を意味するが、secularismは単にそれに止まらない、個人や集団の思考・行動様式に係わる、伝統と革新の対立をも含意する概念であるという。そのためケマリストらはsecularismを想起させる用語を慎重に避け、あえてlâyiklikという用語を採用したのでは、という仮説が提示された。
  次に、「世俗化(secularization)」のトルコにおける起源として、オスマン帝国における18世紀以降の西洋化とそれに伴って進められた「世俗化」の流れが詳細な年表を用いて解説された。そして、トルコ共和国の「世俗化」はこのオスマン帝国時代の「世俗化」の延長線上にあると位置付けた。ただし、1世紀以上にわたるオスマン帝国時代の日和見的な「世俗化」改革と絶縁したのもまたトルコ革命であるとも述べた。  また、lâyiklik(とsecularism)の思想的源流として、オスマン帝国末期の欧化主義についても触れ、そうした思想状況下での政教分離論を取り上げた。そこでは、反宗教的志向とともに「イスラーム改革」ともいうべき方向性を読み取る必要があるとした。
   最後に、トルコ革命期の重要な「イデオローグ」の言には、宗教があくまでも個人の良心に属すべき問題であるとの趣旨が共通して見られることを指摘し、これを当時の宗教や政教関係に関する公式論調と位置付けた。こうしたことから、トルコ革命期のlâyiklikには、下地としては反宗教主義すら含むが、公式テーゼや実施面では政教分離を志向するLaiciteを打ち出す傾向がみられるとした。そして、lâyiklikを「イスラームの宗教改革」と位置付けることも可能だが、思想的内奥を追究すれば、無神論や反宗教主義にも行きつきかねない「行き過ぎたイスラーム改革主義」を見出すこともできるのでは、との問題提起を行い、結びとした。
 
 


 
   続いて、コメンテーターの伊達氏より、フランス思想研究からみた「ライシテ」概念の整理と、そのうえで、粕谷氏の報告で扱われたトルコにおけるlâyiklikの進展について、問題提起がなされた。
   伊達氏は、トルコのlâyiklikは「ライシテのある側面を誇張的に取り入れ拡張した」ものではないかとの仮説を立て、そこから、ライシテを要素ごとにわけて分析する必要があるとした。特に、Micheline Milotによるライシテの3原理と5類型を取り上げ、トルコのlâyiklikは、5類型のうち「権威主義的なライシテ」に分類され、3原理である「分離」「中立性」「良心と宗教の自由」があまり考慮されない種類のライシテと位置付けられていることを紹介した。この「権威主義的なライシテ」が推進された場合、「民主化・自由化・人権拡大」に逆行する可能性があることを指摘した。
  また、フランスやケベックのライシテが、宗教を国家から分離して自由を与えるものである一方で、トルコのlâyiklikには、この「分離」とともに、国家による宗教の統制という要素が含まれると分析した。
   加えて、1920年代のフランスで「攻撃的で反宗教的なライシテ」である「ライシスム」という用語がしばしば見られたことを挙げ、トルコにはこの「ライシスム」が「輸出」されたのでは、との見解を示した。
   続いて粕谷報告に対し、概念整理に関わる問題提起がなされた。まず、オスマン帝国とトルコ共和国の「ライシテ」にみる断絶性と連続性について、下記のような問いがあった。すなわち、フランスと比較すると、トルコの「ライシテ推進(laicisation)」は急速に行われたように見えるが、これはlâyiklikを西洋の「ライシテ」の直輸入の産物と見るか、タンズィマート期に築かれた歴史的基盤を重視するかという、歴史理解の立場性が現れる問題ではないか、というものである。
   ならんで、宗教史叙述の問題として、各国・各地域の宗教史を踏まえて、普遍的な宗教史を記述する可能性についての問題提起がなされた。その際問題となる訳語については、トルコ革命期の最重要「イデオローグ」の一人であるZiya Gokalpが、Laiqueをla-diniと説明していることに触れ、時代性に留意する必要を指摘した。
   参加者からも多くの質問やコメントが寄せられた。トルコのlâyiklikについての同時代的な解釈の差異、タンズィマート期とトルコ革命期のlâyiklikの違いなど、トルコ史を中心とした質問や、フランスのライシテにも「分離」とともに「統制」という要素が見られるのでは、という疑問、また、「ライシテ」概念は普遍的概念というよりは地域や時代を反映する特殊性をはらんだ概念としてとらえる必要があるのでは、と指摘するコメントも出された。
   当日は酷暑にも関わらず、バラエティに富んだ約20名の参加者が来場し、盛況であった。報告・コメントの充実ぶりはもちろん、ディスカッションも活発に行われ、有益な意見交換がなされた。トルコ研究のみならず、広くイスラーム改革運動や宗教と国家・社会の関係を理解するうえで様々な示唆に富み、非常に有意義な会となったことを最後に付け加えたい。
  (文責 宇野陽子)




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