2009年度第2回研究会・KIAS2共催合同ワークショップ(2009年7月25日/京都大学)
参加者(延べ):24名
発表者①:伊藤寛了
「イノニュ時代の世俗主義と中道派のマッピング」
発表者②:多和田祐司
「マレーシアにおける「イスラーム」と「世俗」―「イスラーム国家/世俗国家」論争を中心に―」
1 趣旨説明:
趣旨説明では「イスラーム社会の世俗化と世俗主義」研究代表者の粕谷元氏、「京都大学イスラーム地域研究センターユニット2」研究責任者の山根聡氏が、本共催研究会の目的と意義を述べた。粕谷氏は、日本のイスラーム地域研究においてイスラーム運動・イスラーム主義の研究は中心論題のひとつだが、世俗化/世俗主義との緊張関係もしくはイスラーム主義の背景としての世俗化など、両者の連動的関係を扱う研究が少ないことを指摘し、両者を関連付けた分析を行う必要性を強調した。また宗教社会学における世俗化論とイスラーム社会研究との学問的交流が少ないことから、イスラーム社会の歴史的経験を考慮した議論の必要性を指摘した。この際、現象としての「世俗化」と、政治・法・制度の論理としての「世俗主義」とを峻別し、そのうえで「世俗化」「世俗主義」の根本にある「世俗」とは何かを問う必要があるとした。
山根氏はイスラーム中道派の要素として、①本源性と現代性の統合(イスラーム本来の教えを守るとともに、それを現代世界に適用する)、②不変要素と可変要素の平衡、③硬直性や外部追従などからの解放、④包括的なイスラーム理解、という4つをあげ、このうち特に②の平衡、もしくはバランスという要素を強調し、「主体的、積極的にイスラーム化と関わるが、バランスを重視して現代世界に合わせる」という暫定的な中道派モデルの外縁を示した。また、政党や運動などが自称として「中道派」を掲げて急進派と立場を画す一方で、外部からは世俗派もしくは急進派と評価されることもあり、「中道派」を分析概念として設定する際の自称・他称という視点の問題を提起した。
セッション1:
伊藤寛了(東京外国語大学)「トルコにおける世俗派とイスラーム(中道)派の射程:イノニュの時代(1938-1950)のトルコにおける「世俗主義」を巡る議論を中心に」
報告は、イノニュの時代を、トルコにおける本格的な「イスラーム派の台頭」の「夜明け前」の状況と定義し、世俗主義体制下におけるイスラーム派の言論活動を整理した。トルコにおいて「世俗化/世俗主義」もしくは「イスラーム中道派」を考えていくにあたり考慮すべきことは、トルコが世俗主義を国是としている点である。いずれの政党も合法政党であるためには「世俗主義」の枠組みにおいて政治活動を行わなければならない。またトルコにおける「世俗主義」は単なる政教分離にとどまらず「宗教管理」や「脱/非宗教」という側面を有しているため、国会、官公庁、大学等の公的な場での宗教的なシンボルの使用が禁じられている。このような「世俗国家」トルコにおける世俗派とイスラーム派を次のように定義される。世俗派とは「イスラームが政治のみならず、教育や一般生活等においても影響力を持たないようにすべきであると主張する人々」であり、イスラーム派とは「イスラーム的な理念・価値に重要性を与え、その社会での適用を求める人々」、ただしシャリーアに基づく国家建設を唱えるといった、世俗国家枠組みを否定しない人々である。そして報告者は、他地域のイスラーム派との比較においては多分に「世俗的」とも捉えられるトルコのイスラーム派を、「イスラーム中道派」と認定する。
アタテュルクの時代における世俗化政策はイスラームを時代の要請に合わせるという「イスラーム改革」の方向性を有し、政治・法律・教育といった公的領域からイスラームを排し、かつイスラームに対する政府管理を強化するものだった。しかし第2次世界大戦後、複数政党制へ移行し、言論の自由が確保されるようになるとともにイスラームを称揚する言論活動が行われるようになった。ここで報告者は、世俗派とイスラーム派のマッピングを試みるが、世俗派が「国家エスタブリッシュメントが大勢をしめる」として共和人民党や国軍、官僚、そしてマイノリティ勢力を挙げる一方で、イスラーム派もしくはイスラーム中道派の分類に困難を見出す。ここには、世俗主義の枠組み内で活動するトルコのイスラーム派を、イスラーム派と中道派に峻別することが困難であることが示されている。報告はこのような状況に鑑みて、地域的な文脈における「世俗主義の内実」や「イスラーム派/イスラーム中道派概念」のミクロな分析の必要性を指摘して議論をくくった。
報告に対するコメントでは、澤江氏が世俗化政策を経験した地域/国家がイスラーム化をどう迎えるのかという問題としてイスラーム中道派理解の論点を示し、国会議員やイスラーム知識人による国家と宗教についての議論、国民のメンバーシップについての議論など、中道の基軸となっている国家を軸に考察することを提案した。また中道派定義にかかわる問題提起として、中道派の民衆に対する影響力という視点を挙げた。「多数支持=保守・穏健」という図式に中道派を当てはめると、中道派=穏健と理解できるが、はたしてこれが妥当であるか。あるいは、中道を「~とは違う」という反照軸をもって定義するのか、など、後の議論の材料を提示した。
粕谷氏は、伊藤氏が対象とした時代の前段階すなわちトルコの世俗主義誕生の背景を解説し、世俗主義(ラーイクリキlaiklik)を裏打ちする精神には、反宗教・無神論が含まれていると指摘した。また、アタテュルク期の政教分離思想にも、政治と宗教を分離し、宗教を私事化=解放することによる「純化」を目指す側面と、科学や文明の下位に宗教を定置する側面との二面性が見られることを指摘した。
佐々木氏は、インドネシアにおける世俗概念がどのように位置づけられてきたかを紹介し、トルコの議論と比較考察を行った。まず世俗主義を「宗教が政治や国家、公共の制度に組み入れられるべきではないとする考え方や信条」と定義し、宗教に対する態度によってさらに世俗主義をAとBの二つに分類した。世俗主義A(宗教重視)はスカルノらの思想として、世俗主義B(宗教軽視、科学優位)は共産主義者の「宗教をもたない自由」の訴えとして現れたが、インドネシアにおいて世俗主義AとBはともに根づかず周辺化されたという。スカルノはケマル主義に熱烈な共感を寄せたが、インドネシア建国に際してはイスラーム勢力に妥協し、パンチャシラには「唯一の神への信仰」が明記され、これが国内すべての勢力の約束事とされた。また共産党勢力は一時期伸長したが、無神論や不信仰の自由は支持を得られず歴史的な虐殺によって勢力を失った。佐々木氏はインドネシアの民衆社会には世俗主義が基盤をもてないと指摘し、スハルトの開発政策以降、識字・教育の普及によってイスラーム中道派の主流化が進んでいると述べた。
横田氏は、エジプトのムスリム同胞団思想を取り上げ、同胞団にとっての「中道」と「世俗化/世俗主義」についてトルコとの比較考察をおこなった。20世紀前半のムスリム同胞団は一貫して「中道」を標榜し、理論・行動において大衆に向けた「ダアワda’wa(呼びかけ)」を重視した。同胞団の創設者・最高指導者であるバンナーはサラフィー思想の影響をうけイスラーム改革の必要を訴える立場から伝統墨守派を批判したが、他方で欧化主義者(イスラームに基づかない世俗的ナショナリズム)も認めず、両極の間にみずからの基本理念を設定したという。20世紀後半に同胞団は復活するが、1970年代からのイスラーム復興の高揚という時代状況の中で、急進派イスラーム復興運動とイスラームを排除する世俗主義との間で改革を志向する「中道」とみずからを位置づけるようになった。結論として横田氏は、同胞団にとっての中道派としての位置どりは組織目標であるシャリーア施行、イスラーム国家樹立にむけて社会状況の中で柔軟に変化するものであり、そこには大衆を基盤とする同運動の、大衆の意思や要望をくみ上げる必要が反映されていると考察を示した。また近年の民主主義の担い手としての自己呈示を含めて、「中道」というタームが80年代以降の流行に合わせたものであり、ここからも同胞団の大衆社会志向を指摘した。
最後にエジプトにおけるイスラーム派の分節化という状況のなかでそのうちのひとつとして「中道派」を設定できるのに対し、トルコでは国是のもとで世俗主義が頑強であり、漠然と「真ん中」とするだけでは「中道派」を理解しがたいと議論を提起した。
山根氏は、南アジア研究の視点から、インドとトルコが国家体制において政教分離を掲げ、その枠組みを守り続けるのに対して、パキスタンはイスラーム的体制と世俗的体制の間で揺れがあると整理した。また中道派は反照するものが変化するので振れ幅が大きいが、世俗主義は政治と宗教の関係という枠組みの中で限定的に議論されるので振れ幅が小さいと指摘した。
第2セッション:
多和田裕司(大阪市立大学)「マレーシアにおける「イスラーム」と「世俗」:「イスラーム国家/世俗国家」論争を中心に」
報告の前提となった問いは以下の三点である。①「世俗的」ムスリム、「世俗的」イスラームはあり得るのか?②「世俗」概念をイスラーム(ムスリム)社会研究に組み込むことは可能か?③UMNOの「イスラーム国家」とPASの「イスラーム国家」はどこが違うのか?まず大前提として、マレーシアにおいてムスリムが「世俗」と自己規定することはほぼあり得ないことが強調された。「リベラル・イスラーム」と称される知識人は、自由・人権・女性の権利などを唱道するが、数としては少数で、また彼ら自身「世俗」と自己規定はしない。マレーシアで「世俗」が用いられるのは、往々にして他者への非難の文脈である。報告はマレーシア国家の成り立ちの特殊性をふまえたうえで、「イスラーム」と「世俗」がどのように配置されているか、ふたつの政党の「イスラーム国家」論から抽出した。
マレーシアは、マレー系ムスリムが人口の半数を占める多民族・多宗教社会で、それぞれの民族が宗教とのゆるやかな結びつきをもつが、マレー系に関してはほぼ100%がムスリムである。マレーシアの憲法(至高法規)は、イスラームを連邦の宗教とし、他方で宗教の自由も保障している(ただし、ムスリムに対する他宗教の布教は制限されている)。立法・行政・司法においては、一般的な体系とは別にムスリムのみを対象とする分野があり、憲法に矛盾しない限りにおいて施行が認められる。憲法はマレー系定義の要件としてイスラーム信仰を挙げているが、このようなマレー系とイスラームとの結びつきは、植民地経済期以降、他民族よりも経済的な劣位におかれたマレー系に対する優遇策を行うという歴史的経緯によって規定されてきた。
マレーシアにおける「イスラーム化」は1980年代以降多領域にわたって見られるが、マレーシア的要因として注意すべき点はマレー系ムスリムの都市化・中間層化によってマレー系内部の権益が衝突し、このなかでイスラームが自己正当化のよりどころとなっていった点である。すなわち、イスラームの競り上がりと呼ばれる状況が生じたのであり、この具体的な事例のひとつが報告で取り上げられた与党UMNOとイスラーム野党PASの「イスラーム国家」論争である。
「イスラーム国家」論争は、2001年のマハティール首相(当時)の「マレーシアはイスラーム国家である」との発言に端を発し、これに対抗してPASがイスラーム国家のモデル枠組みを表明した。また時をおいた2005年、2007年にも政府要人の「イスラーム国家」発言が見られた。政府は、「現行の体制(シャリーアとは断絶した憲法を最上位に置くことを含めて)のなかで、イスラーム的である国家」を、これに対してPASは「クルアーン、シャリーアを至高とする体制を有する国家」を、それぞれ「イスラーム国家」とし、政府の定義によるとマレーシアはすでに「イスラーム国家」である。報告者は、マレーシアにおける「イスラーム国家」論争は宗教vs世俗という単純な二分法では理解できないとし、イスラーム性と非イスラーム性、一元論と多元論という交差する二つの軸とその補助線としての「世俗化」の斜め軸を提示した。一元論ではイスラームがすべてを規程し、イスラームにすべて(非ムスリム、民主主義、男女平等、人権などの問題も含めて)が内包されている。これに対して多元論とは宗教的価値(イスラーム)と非宗教的価値(非イスラーム)の併存という発想であり、報告者はこれを、イスラーム教議論ではありえないかもしれないがマレーシアでは実際に主張・実践されている立場であるとくくった。
報告に対するコメントでは、まず小林氏がインドネシアを事例に比較考察を行った。マレーシアでは政策としてイスラーム化を推進しているのに対し、インドネシアにおいて「政治と宗教」は前者が後者を統制する関係にあった。ヌルホリス・マジドやアブドゥルラフマン・ワヒドは、サブスタンシャル・イスラーム、文化的イスラームを唱道した。これは、法を聖化せず現代に適用するためのイジュティハードを行うこと、それによりイスラーム法が倫理として根付く社会を目指すものだった。政治に関しては、既存の制度には従いながらも宗教の政治シンボル化/フォーマル化に反対した。マレーシアとインドネシアは、イギリスとオランダの植民地政策の違いにより、伝統的なイスラーム指導者の公的な位置づけが大きく異なることとなった。マレーシアではスルタンの公的権限が制度的に保障されたのに対し、インドネシアではスルタンは形骸化され、宗教官吏は民衆の指導者ではなく補佐役人となった。そのなかでウラマーやキヤイは政府の外、社会の側にあって住民の精神的指導者となり、宗教社会団体として勢力をもつようになった。このことから、国策としてイスラーム化を進めるマレーシアに対し、インドネシアでは多様性を維持するイスラーム勢力がイスラーム化を穏やかに進める力となっていると言える。小林氏はこのようなインドネシアのイスラーム勢力の機能を、「中道派」と呼べると示唆した。
粕谷氏は、「世俗主義/世俗化」がマレーシアやインドネシアにおいてネガティブな概念であるのに対し、「中道」概念には言及しやすいことを指摘した。またイスラーム復興の概念図のなかで「中道派」を幅のある概念と捉えうることを示した。
多和田氏は、コメントに対してマレーシアにおける中道を、一元論と極端な多元論の両極の中間的な多元論であるとした。他方でマレーシアにおいても独立以来、イスラームをめぐる政党の位置取りが変化していることも強調した。すなわち非マレー系すなわち非ムスリムにとっては独立時の約束事がマレーシアを「世俗国家」と主張する拠所だが、近年、与党政治家からもマレーシアが独立以来イスラーム国家であるという発言が目立ち始めているという。
フロアからは、宗教学における世俗化論がヨーロッパの宗教改革と複数教会化という特殊な歴史的文脈から発生した問題意識であることから、世俗化論や聖/俗概念の一般性に疑問を投げかけるコメントがあった。またイスラーム研究に限定せず日本やヨーロッパをふくむ世俗化研究との連携を有意義と見なすコメントがあった。
総合討論:
まず「中道派」概念について、「中道派」と自認する勢力がいない場合、研究者が外からそれを名づけることの妥当性、その際の基準が問題となった。また、地域ごとの事例から、各地域で「中道派」の振れ幅が大きく異なることが明らかになっており、「中道派」を設定して現代イスラーム社会をとらえる意味が何であるか、という問題も提起された。
概念定義の問題に対しては、「中道」を設定するにあたりあらかじめ主題を限定すること、また「中道」をとらえる際に「バランス」がキーワードになるのではないかと提案がなされた。さらに、「中道」の同定に多数派の支持や影響力だけを基準とする必要はないとの意見もでた。総じて、バランス、弾力性、親・多元性、イスラーム・モデラト(穏健なイスラーム)やリベラル・イスラームなどが、「中道派」との親和性をもつ語彙として挙げられた。
次に、「世俗化/世俗主義」概念については、トルコやインドなど公的な定義が設定されている地域を除いては「世俗」概念を用いた論考がきわめて少ないことが指摘された。これに対して、インドネシアのファトワーの事例をめぐる以下のような議論がなされた。インドネシアのファトワーを概観すると、神学的な問題は少なく、ほとんどは財産の処遇などに関する細かな俗人事項で、イスラーム法学は「現世」の問題を対症療法的に扱い発展してきた。このようなファトワーで導かれる結論は近代法学とあまり変わらないものであることも多いが、ファトワーを出す側も受ける側もそれをイスラーム的に意味づけている点が重要である。つまりイスラームにおいては、「来世」(Akhira)と「現世」(Duniawi)との区別を設けることよりも、此岸が彼岸を担っているという思想が重要なのであり、その点では一元論に回収されざるをえない。言い換えれば、「世俗」とは、イスラーム思想の中で位置づけを得られない、「イスラームでないもの」としか定義できないものである。
(所感)本研究会では、「イスラーム中道派」と「イスラーム社会における世俗化/世俗主義」というイスラーム社会分析のための新しい概念を、相互に比較の俎上におき、外から定義づけることが試みられた。この結果、「中道派」に関しては、その具体的内容の振れ幅を包摂し得るような「志向」もしくは「方法」として「中道派」モデルを設定する展望が開かれたように感じられた。対して「世俗化/世俗主義」に関しては、西洋の宗教社会学的関心から発生した概念をイスラーム研究に組み込むための概念操作と問題設定に、より多くの作業が必要であるとの印象をもった。例えば「世俗主義」概念は近代国家=世俗国家という前提に対するイスラーム政党・イスラーム組織の態度や取り組みの分析に有効であると考える。今後、「世俗主義」と「世俗化」という二つの概念それぞれの分析の射程について議論する必要があろう。
文責:光成歩(東京大学大学院総合文化研究科)