2008年度第2回研究会(2009年2月25日/上智大学)
場所:日大文理学部キャンパス百周年記念館会議室3
報告者:小泉洋一氏(甲南大学法学部)
報告題目:『フランスとトルコにおける政教分離に関する比較憲法的考察』
比較憲法的考察の分析対象としては、政教分離に至る背景・目的、現実の政教関係とライシテ概念の変遷・展開、憲法および関連する法律条項、政教分離の意味の法的解釈と現実の法適用、政教分離をめぐる社会的状況が含まれる。これは、憲法および法律の条文にとどまらず、政教分離あるいはライシテが志向された社会状況、およびその概念の歴史的展開に目を向けたうえで、各国の政教分離の共通性と固有性を論ずる必要があるとの問題意識によるものである。政教分離の要素としては①国家の非宗教性(国が宗教と分離し、かかわらない)と宗教的中立性(国が各宗教に対し、中立を保つ)という差異のあるふたつの基本的な態度に分類でき、②信教の自由と密接に関連するものである。
フランスの政教分離の検討:まずライシテという語彙の語源を説明し、フランスの政教関係史を俯瞰した。ライシテ(laïcité)は形容詞ライック(laïque)の派生語で、ラテン語に起源をもつキリスト教的用語である。用語は「聖職者でない、平信徒」という意味で、非宗教という意味のséculierとは別の概念である。ライシテとは1870年代第三共和政期にカトリック勢力と組みする王党派に対抗するため、政治領域から宗教勢力を排除することを目指した共和派の政策であった。共和派はカトリック勢力に対する強い規制措置を講じ、1905年政教分離法の制定に至った。
しかし、政教関係は年代をおって変遷し、これに応じてライシテの概念も宗教的なものの排除から宗教的中立、あるいは宗教的自由の原則として論じられるようになる。判例においても政教分離法は自由主義的な適用をうけ、1946年、ライシテは憲法原則となった。また1980年代に、フランス社会における新しい宗教現象であるセクトとイスラムに対して、それぞれ規制的な法律が成立したが、このときライシテは宗教の共生(宗教の多様性の尊重)の原理として強調された。
学説上の解釈では、ライシテを宗教の自由及び国の宗教的中立性と解するものが多く、判例においても中立性に重点が置かれている。しかし、ライシテを憲法原則として定める憲法1条、2条のうち特に1条「フランスは、不可分で、非宗教的な、民主的で、社会的な共和国である。フランスは、出身、人種または宗教の差別なく、すべての市民に対し法律の前の平等を保障する。フランスは、すべての信条を尊重する。(後略)」は厳格に適用されていない。また、フランスにおけるライシテは政教分離法のほか結社法、教育関連諸法、行政法に定められ、海外領および地方宗教法には例外が認められるなど複雑な制度となっている。他方で、社会的な定着度をみると、今日ライシテは共和国の基本的価値として重視されている。
トルコの政教分離:トルコのライクリッキ(laiklik)は独立戦争、革命を経た共和制下でケマリストによる西欧化改革の一環として導入された。この西欧化改革は軍主導・一党支配の権威主義体制下で進められ、その目的はイスラムの近代的な宗教への改革であった。ライクリッキは共和国基本原理・最高の憲法原則として強く維持され、その改正は禁止されている。憲法は宗教の自由も保障しているが、この条項は宗教の権利の濫用禁止も含んでいる。また政党のライクリッキ順守義務などの規制的条項、宗務庁や公立学校における宗教教育など国家による宗教の管理が強いことが特徴的である。
判例においてもライクリッキは宗教の国家監督権を含んでいることが言明されており、宗教の社会的な影響力を限界づけるものとして想起されている。また、ライクリッキは民主主義、近代文明との関連でも言及される。社会的には、世俗派対イスラム派という図式でライクリッキを軸とした政治党派対立が激化している。
最後に、ここまでの分析を踏まえ、フランスとトルコの政教分離の制度的な共通性と固有性を考察して報告が結ばれた。
議論: 質疑応答で議論となったのは以下の点である。
・政教分離導入当時のフランスおよびトルコの置かれていた政治状況の共通性、
・現在の両国における政教分離の主たる対象はイスラムなのではないか、
・ライシテの導入当初のライシテの意味とその時間的・地域的変遷、
・ライシテが単なる制度上の政教分離を超えた宗教的中立性として思考される現在の、ライシテ・ライクリッキの精神の捉え方、
・フランスにおけるカトリック教会、トルコにおけるイスラムを「宗教」とくくって比較することは妥当か、など。
報告では、政教分離という国家の政教関係を定める制度の分析が行われたが、最後の点、宗教の違いをいかに扱うか、という疑問はもっとも根本的な課題であるように思われる。端的に言えば、政教分離制度=ライシテは、フランスにおける教会と国家との関係調整という歴史的な過程から生まれたものである。これは、歴史的変遷を経て現代のフランス社会では多宗教共存の原理として一般的に支持されているが、他方でイスラム運動の多くはこれを「西欧的なシステム」という限定的な規範として捉えている。政教分離に対するこの評価の温度差は、単に西欧的規範とイスラム的規範の対峙状況と捉えるべきではないように思われる。そもそも「宗教」として名指されるものの内容が、歴史上かならずしも一貫していたわけではないという指摘がある。つまり、政教関係の一方当事者としての「宗教」そのものが、西欧の歴史的な過程のなかで成立したものなのである。
イスラムは、近代国家の枠組みに区切られながらも、その国家が定義する「宗教」とはズレを含むものであろうとしているように思われる。追求すべきは、そのズレの善悪の是非ではなく、それが近代的な統治制度のなかでどのようにして、いかなる社会・政治を実現しようとしているのかという点であろう。ライシテ発祥の国であるフランスと、これを共和国原理として新たに近代国家を作り上げようとしたトルコの比較分析は、こうした問題関心の収斂する示唆的なものであった。
文責:光成歩(東京大学大学院総合文化研究科 地域文化研究専攻)