海外出張報告(2009年2月6日~21日/マレーシア)
出張期間:2009年2月6日~21日
出張目的:現代マレーシアにおけるイスラム法制度、とくに「改宗/棄教」係争をめぐって展開された論争の担い手(NGO関係者)に対するインタビュー調査。(2007年8月、2008年8月におこなった調査の補足であるため、網羅的ではない。)
出張者:光成歩(東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻)
※以下、調査関心に関する補足説明
リナ・ジョイの係争とは、あるマレー人女性による、キリスト教徒男性との結婚を目的とした、イスラムからキリスト教への制度的な改宗認定を求める係争である。この係争は、信教の自由をめぐる係争であったと同時に、イスラムと世俗の司法制度の管轄問題を争点とするものでもあった。
マレーシア連邦憲法は、マレー人を「イスラムを信仰するもの(中略)である」と定義しており(160条)、マレー人を含む先住民に対する教育、就業、経済的な留保を認めている(153条)。またマレーシアにおいてマレー人ムスリム社会は与党政党の基盤であり、イスラム振興はマレー人支持者を確保するための政策領域である。このようなマレーシアの状況において、マレー人によるイスラムからの公的な離脱はきわめて稀であり、リナ・ジョイ(Lina Joy、改称前はアズリナ・ジャイラニAzlina binti Jailani)は1998年から2007年の10年間にわたって行政・司法での申し立てを続けながら、連邦裁判所の「改宗認定」をうけることは結局かなわなかった。
他方で、リナ・ジョイの係争に対する世論およびメディアの注目は大変なものであった。とくに憲法11条連合、イスラム擁護連合というふたつのNGO連合は、リナ・ジョイの「改宗/棄教」をめぐって世論を二分する立場の代表格である。研究の主題は、リナ・ジョイの係争およびこれをめぐる論争の分析を通し、現代マレーシアにおけるイスラムと国家の関係性に対する異なる展望があることを示そうとするものである。
調査内容:インタビューおよび裁判傍聴
インタビュー:
R. Thiagaraja氏:マレーシア仏教・キリスト教・ヒンドゥー教・シク教・道教会議(MCCBCHST: Malaysia Consultative Council of Buddhism, Christianism, Hinduism, Sikhism, Taoism)前副会長、およびヒンドゥー・サンガム前会長。
(2009/2/12、ティアガラジャ氏自宅にて。)
ティアガラジャ氏とは2007年の初回インタビュー以来2回目の面会。MCCBCHSTは憲法11条連合の参加団体であるが、イニシアティブは女性団体と弁護士会がとっており、インタビューにおいては非ムスリム「当事者」としての立場が強く表れていた。インド人コミュニティ、とくにその9割を占めるヒンドゥー教徒の社会・経済的劣位に強い問題意識を示した。(表面化する「改宗問題」の多くはヒンドゥー教徒を巻き込むものであり、「改宗」の現実的な意味、その捉え方へのコミュニティごとのアプローチが必要であろう。)
David Mathew氏:弁護士会(Bar Council)。
(2009/2/13、法律事務所前の喫茶店にて。)
マシュー氏とは2007、8年のインタビューより3回目の面会。氏の法律事務所はリナ・ジョイの係争およびシャマラ係争(夫のイスラム改宗による非ムスリム妻の係争)、憲法11条連合にも深いかかわりがある。今回の訪問では新たに連邦裁判所に上告が認められたワン・カイラニ係争(裁判傍聴①)に関する情報、シャマラ係争も4月に新たに上告審審問が開始されるとの情報を得た。また2008年末ごろから一部政治家の間で論争となっているイスラム刑法の導入に関する見解を聞いた。
A. Farid氏:マレーシアイスラム青年運動(ABIM: Angkatan Belia Islam Malaysia)副総裁、マレーシア国際イスラム大学講師。
(2009/2/20、マレーシア国際イスラム大学研究室にて。)
ABIMは「緩い連合」であったイスラム擁護連合の中心的存在。今回はイスラム擁護連合ではなくABIMとしてのマレーシア憲法および国家におけるイスラムの地位の捉え方を尋ねた。マレーシアは三権分立を基礎とした近代国家ではあるが、完璧な意味での世俗国家ではないというのが氏の見解で、その根拠として憲法におけるイスラムの公的宗教としての位置づけ、宗教教育や宗教施設への政府支出の規定、そのほか行政・金融・司法領域におけるイスラムの制度化が挙げられた。
Rimla Tariq Changi氏:女性互助組織(WAO: Women’s Aid Organization)プログラム・オフィサー。
(2009/2/20、KLのWAOオフィスにて。)
WAOは憲法11条連合の事務局をもっており、憲法11条連合の活動の中心的存在。連合とリナ・ジョイ係争の関わりについて集中的に質問した。リムラ氏の回答において強調されたのは、憲法11条連合は非ムスリム夫婦の一方の配偶者がイスラムに改宗した場合の、非ムスリム配偶者(多くは妻)の不遇の改善を主要な関心としていること、主張は制度の改善ではあるが憲法におけるイスラムの地位変更を求めるものではないこと、の2点だった。リナ・ジョイの係争は、活動の最重要イシューというよりは、連合の問題意識に包摂される事例と位置づけられていた。
傍聴した裁判:
①Wan Khairani係争(民事、2009/2/16):シャリーア裁判所と世俗の裁判所の管轄が争点となっている係争。連邦裁判所における第一回上告審を傍聴。本件は、イスラム法のもとで婚姻したムスリム夫婦の離婚に伴う財産分与をめぐる係争。
②Raja Petra Raja Kamaruddin係争(刑事、2009/2/11,12,17):ISA(Internal Security Act;国内治安法)で2008年9月12日(~11月8日)に拘束された著名ブロガー、ラジャ・ぺトラ・ラジャ・カマルディンの扇動罪、名誉棄損罪に関する審問。
文責:光成歩(東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻)