福田 耕介FUKUDA, Kosuke

  • 職位教授
  • 専門フランソワ・モーリヤックを中心とした20世紀フランス小説

授業について

2020年度は、Zoomによる遠隔授業のみで、受講している学生と対面する機会がありませんでした。その中で、唯一ふだんとは違う手ごたえのあったのが、「卒論演習B」という卒論指導の授業です。「サガンと瀬戸内寂聴」をテーマにした学生がいたおかげで、寂聴を読むようになって、ほかの学生が取り上げた『アドルフ』と『テレーズ・デスケルー』を寂聴が愛読していたことを初めて知りました。寂聴とこの二つのフランス文学作品の接点は、母親が、伴侶と子供を捨てて出ていくところに見いだせると思います。そして、女性が出ていくというテーマは、他の学生の卒論で取り上げられた、『悲しみよこんにちは』、『椿姫』、スリマニ、さらには『悪童日記』、『シェルブールの雨傘』にまで見いだせることに後から気が付きました。Zoom越しに感じた親和的な雰囲気は、全員が同じテーマを含む作品を選ぶ精神性を共有していたことからも来ていたのではないかと、最近になって考えています。

最近研究していること

ここ二年間くらい、遠藤周作の創出した「聖女」森田ミツについて研究してきました。最初に、『わたしが・棄てた・女』に登場してから、『ピエロの歌』、『スキャンダル』など、いくつかの作品に再登場する、遠藤周作の小説世界を代表するヒロインです。遠藤が、フランソワ・モーリヤックの『テレーズ・デスケルー』という小説を愛していたことは、よく授業の中でも触れている通りです。それでも、テーマ的に『わたしが・棄てた・女』は、『テレーズ・デスケルー』からは遠い小説だと思い込んでいましたが、文学部横断型人文学プログラムの授業で、『天使の肌』というフランス映画と比較する機会を得て読み直したところ、『わたしが・棄てた・女』にも遠藤が『テレーズ・デスケルー』の細部を移植していることに気が付いて、驚かされました。今後は、瀬戸内寂聴とも対比して論じることができないか、考えてみたいと思っています。

私のこの一枚

私が研究している作家フランソワ・モーリヤックの像がフランス・ボルドーのジャルダン・ピュブリックという公園の入り口に飾られています。この公園は、子供の時に大ブルジョワの子供たちから一緒に遊ぶことを拒絶された場所としてモーリヤックの小説にも登場しています。