小倉 博孝OGURA, Hirotaka
- 職位教授
- 専門ラシーヌを中心とした17世紀文学
授業について
1年生とはフランス語文法とフランス文学史(中世から十八世紀まで)を学んでいます。上級生対象の文献演習では毎年十七世紀の悲劇作品を中心に考察しています。これまで、ピエール・コルネイユ(1606-1684)やジャン・ラシーヌ(1639-1699)の作品を読みながら、フランス古典悲劇の世界を探索してきました。ギリシア神話や古代ローマ史、旧約聖書に取材した作品を読み進めながら、十七世紀の劇作家たちがどのように古代世界をフランスに再現させようとしたのか、どのような感情を観客のなかに喚起しようとし、そのためにどんな工夫をしているのか、ということを授業のなかで考えています。また、やはり上級生対象の文学研究では、ラ・フォンテーヌ(1621-1695)の『寓話』の世界について考えたり、現代哲学者アンドレ・コント=スポンヴィル(1952- )『絶望しながら幸福を』(2000)をブレーズ・パスカル(1623-1662)『パンセ』(1670)の幸福に関する断章と対照しながら読んだりしています。
最近研究していること
十七世紀の悲劇作家たちの劇作は、観客のなかに悲劇的感情(あわれみとおそれ)をいかに惹起させるのかという問題が中心におかれています。演劇規範や各作家の劇作法も、この目的をどのように達成するのかという観点から練り上げられたものといえます。では、どのようにしてフランス古典主義の演劇規範、劇作法は確立していったのでしょうか?このことをルネサンス期の悲劇から十七世紀までの作品を辿ることによって考えようとしています。また、ラシーヌ悲劇の成立ということを二つの視点から考えようと思っています。まず、作家が書いたそれぞれの作品をつなぐ一つの世界観というものは存在するのかという問題について。もう一つは、ラシーヌが劇作家として認められる過程を考察することによって十七世紀の文学と王権・教会との関係をもう少し明瞭にしたいと思っています。
私のこの一枚
セザンヌが描いて有名になったサント=ヴィクトワール山の近接写真と、山の北側斜面にあるヴォーヴナルグ城の写真です。このお城はヴォーヴナルグ村のなかにあります。古くは中世のプロヴァンス伯やルネ王(1409-1480)にまでさかのぼるお城ですが、現在の城が建てられたのは十八世紀。有名なモラリスト、ヴォーヴナルグ(1715-1747)の一族が所有していました。革命後色々な人の手に渡りますが、1958年にピカソ(1881-1973)の所有となり、現在も家族が管理しています。ピカソと妻ジャックリーヌが眠るお墓も敷地内にあります。セザンヌが生まれたエクス=アン=プロヴァンスにあるエクス・マルセイユ大学に留学していた時の思い出がつまった二枚の写真です。