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☆研究、活動記録   「独立11周年の東ティモール」福武慎太郎

2013年10月09日

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「独立11周年の東ティモール」

総合グローバル学部 福武慎太郎

 

 8月に2週間、独立から11年を迎えた東ティモール民主共和国に滞在しました。南半球の亜熱帯に位置する東ティモールの8月は乾季で、雨はほとんど降りません。日中の日差しは強いですが、朝晩はかなり涼しく過ごしやすいです。

 

 ポルトガル、日本、そしてインドネシア。さまざまな国の植民地支配を受けてきた東ティモールは2002年、国連暫定行政を経て正式に独立しました。インドネシアからの独立の是非を問う1999年の住民投票では、有権者の約8割が独立を支持しました。私は2000年より、東ティモールとインドネシアの国境地域でフィールドワークをおこなっています。国境をこえて同じ言語、宗教、慣習を共有し、国境の向こうにも家族や親戚がいる彼らが、東ティモールの独立をどのように経験したのか、国境ができたことにより生活がどのように変化したのか注目してきました。

 

 国境をこえるには当然のことながらパスポートとビザが必要です。ビザの申請は国境のイミグレーションではできず、わざわざ首都のディリの大使館まで足を運ばなければなりません。お金もかかります。現金収入の乏しい国境周辺社会の農民にとってはかなりの負担です。

 

 独立して10年が経過し、国境によって分断された家族や親戚との関係はどのようになっているのだろうか。今回の滞在でわかったことは、パスポートやビザがなくとも地元の人々は気軽に国境をこえているということです。人々はイミグレーションがある場所ではなく、国境にある川を徒歩で渡ります(乾季であれば水が少ないので簡単に渡れます)。国境では国境警備の警官に2ドルとか3ドル渡し、ノートに名前を書いてインドネシアに入国します(お金は警備隊のタバコ代になるのだと思います)。そして親戚を訪問し、インドネシアの町で買い物をしてかえってきます。こうした非公式の出入国のルートを現地の人々は、インドネシア語でjalan tikus(ネズミの道)とよんでいます。正式な手続きを踏んでいるわけではありません。以前から「ネズミの道」の存在は知っていましたが、監視をかいくぐりこっそりと行き来していると思っていました。実際はかなり気軽に、堂々と?こえていることがわかりました。

 

 写真は本文とあまり関係ありませんが、毎年訪れている東ティモール側の村での一枚です。祖先祭祀のための伝統家屋の再建がおこなわれている最中で、男たちが作業をしているあいだ、女のひとたちがタイコやドラを打ち鳴らしています。インドネシア側の親族も水牛やヤギを用意し、再建に必要なお金をもって国境をこえてやってきます。

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