留学・国際交流

「やりたいことを挑戦し続けてきた大学生活」

参加学生氏名:
大場 万莉央
メジャー:
市民社会・国際協力論
入学年度:
2014年度
渡航年度:
下記に記載
種  類:
下記に記載
渡航先国 :
下記に記載
企業・受入先:
下記に記載

ボランティア(授業:インド・サービスラーニング・プログラム)
・渡航先国: インド
・渡航年度: 2014 年度春期休業中
・受入先: マザーハウス

留学(交換留学・SAIMS)
・留学先国: フィリピン
・渡航年度: 2015年度秋学期
・大学: De La Salle University
・学部: Development Studies

インターンシップ(JETRO・HIDA 国際化促進インターンシップ)
・渡航先国: インド
・渡航年度: 2016 年度秋学期
・受入先: Infobridge India Pvt. Ltd.

ボランティア(授業:インド・サービスラーニング・プログラム)

きっかけ

1 年の春学期に国際サービスラーニング論という授業を履修した際、「国際協力の現場では、時として正義と反することを行わなければならない」という言葉の意味が理解できず、頭の中をその言葉がぐるぐるしていました。そんな時、講義中に担当教授主催プログラムのお知らせが舞い込んできたことがきっかけです。綺麗ごとだけではできない国際協力とはそもそも何か、自分自身ができることは何かを探すためにこのプログラムへの参加を決めました。

サポート

大学のプログラムだったため、事前学習としてインドの社会・経済・文化・ボランティアの精神についての座学、並びにボランティアを行う上での衛生面に対する実践型講義を受講しました。 座学は、インド出身の教授が、ハンドアウトを配ったり、DVD を上映したりしたのちに生徒からの質問をベースに講義が進められました。路上での生活を行っていた方の中でも、自力で生きていくことが難しいと判断された方たちのみが生活することが許されるマザーハウスでは、医師による入居者の診断が行われないため、実践型講義では、多様な病気感染リスクを抑えるために、手の洗い方から使用済み手袋の扱い方まで看護学科の教授からご指導いただきました。

渡航中

他人の幸せを完全に理解することは不可能だけれども、わかろうとしてその人に近づくことはできるということを身をもって痛感しました。 私は脳に障害を抱える女性の食事介助やマッサージ、ネイルやヘアケアを行いました。最初は何をやっても無反応な相手に恐怖心しか生まれず、ボランティアを行う意味の空しさしか感じませんでした。しかし、マザーハウスができた経緯や、この施設に入る前にどんな生活を行っていたかを考えることで、彼らが安らかに生活できる空間をつくるために自分ができるコトは何かを考え始めました。誰かのために自分の持っているモノを与えることはエゴであり、支援もまた同じであると私も思います。しかし、何かしら自分が力になれることが確実にあるのにもかかわらず、何も行わない方が私はよほど恐ろしいということを学びました。また、全力を尽くしたとしても、全ての人に平等に幸せを感じる空間を提供することができない、支援のジレンマと残酷さを感じました。

マザーハウスの女性用施設「PLEMDUM」施設前

留学(交換留学・SAIMS)

きっかけ

高校時代に在日外国人生徒への教育ボランティアを行った際にフィリピン国籍の子供たちに多く出会い、フィリピンの地域や日本への出稼ぎ労働について関心が高かったので、フィリピンへの留学は入学前に既に考えていました。フィリピンには 2 校の提携校がありますが、De La Salle University のみ開発学のコースがあったので、この大学に決めました。

サポート

渡航費・宿泊費の免除と奨学金では月 7 万円を支給していただきました。 日本出国までのビザ申請・旅券の確保・宿泊先の手配等はすべて大学側が代行手続きを行ってくださいました。また現地大学にも留学生サポートセンターがあり、ビザの更新や授業履修サポート等は現地生徒並びにサポートセンターの方々に手伝って頂きました。ただし、日本で履修を組む際に、授業情報の少なさや履修可否が不明なコースが多かったため、適宜現地コーディネーターと連絡を取ることをお勧めします。単位換算については、FGS 事務室の方々・学科長にサポートして頂きました。

渡航中

私は授業外での学びが多く、現地についての理解が深まった 4 か月間でした。 東南アジア諸国出身の交換留学生が、同じ東南アジアなのにフィリピンでの生活にショックを受けていた姿と、当時デュテルテ大統領の選挙前ということもあり、友人に選挙についての意見を聞いた際に、政治汚職が根強いフィリピンにとって選挙は無意味だと言葉を返されたことは今でも忘れることができません(私の友人が自国に対して悲観的過ぎたのもありますが…)。
開発途上国で生まれ育った学生が、どのような問題意識の元、開発学を学んでいるのかその視点を知るために開発学の授業を中心に履修していましたが、フィリピンの発展のためには自立した経済基盤が必要なため、一番の地域発展は職に就くこととも言っていたのも印象的でした。 向こうで出会った友人とは今でも電話やチャットをしたり、日本に遊びに来てくれた際には一緒にお出かけをしたりと、未だに交流を続けています。

大学対抗バスケットボール大会(フィリピンの早慶戦バージョン)の観戦

インターンシップ(JETRO・HIDA 国際化促進インターンシップ)

きっかけ

持続的な開発途上国の社会問題解決のためには、利潤の追求を第一に活動を続ける企業の存在が不可欠ではないかと感じ、日本企業が開発途上国をどのように市場として捉え、進出していくのか理解を深めるため、コンサル企業にインターンを決意。中国の次にビジネス市場として注目されているインド市場が魅力的に映ったこと、長期滞在でなければインドの多様性の一部を覗くことは難しいと感じ、派遣先国はインドにしました。

サポート

休学を利用してインターンを行ったので、休学手続きについて FGS 事務室の方々・学科長にサポート頂きました。

渡航中

主な業務として、1. インド産業界レポートの執筆、2. インド進出を目指す日系企業向けたインド市場調査(企業・消費者インタビュー)、3. 展示会における日系企業と現地インド企業とのビジネスマッチングを担当させていただきました。 幅広い産業分野の調査を担当し、政府機関・大企業からベンチャー企業を含めた民間企業各々が理想とするインドとの関わり方を知ることで、将来どのような立場でインドを含めた発展途上国と関わっていくのが自分にとって望ましいのかを考えることができました。産業界レポートの執筆・インド人との業務を通じ、インド市場と商習慣について理解を深めることができたと共に、ミーティングへの同席やクライアントとのフィールドワーク調査を通じ、利益追求を軸としつつも社会へ還元可能なビジネス戦略の立て方を考察することができました。

日印企業のビジネスマッチングメンバー

渡航後

将来はビジネスを通じて開発途上国の社会問題を解決していけるような事業に携わっていきたいという思いがあります。そのために 20 代はどんな能力を伸ばしていく必要があるのかを考え、就職活動に励んでいます。

FGS を目指す皆さんに伝えたいこと

私は他の人と比べると頭の回転も遅いし、得意なことも特に何も挙げられないけれども、自身の挑戦してみたいという気持ちにはずっと素直に応え続けてきました。その中で、失敗してしまったなぁと悔しく思うことは沢山ありましたが、後悔するような経験をしてきたことだけは 1 度もないと唯一言い切れます。 正直私が参加してきたプログラムは FGS 以外の学部や上智生でなくても参加できるものです。しかし、こんなにもアクティブに活動し続けられたのも FGS を選んだからこそだと思います。他学部よりも歴史が浅い分、学生も運営側も型にはまらない大学生活を創り出すのに抵抗が少ないと思います。
特に私たち 1 期生の代は先輩というロールモデルがいない分、個々人が自由に、楽しく、夢中になって様々な分野で活動をしているという印象があります。熱量が高い FGS の仲間に囲まれて生活していなかったら、こんなに活動的な生活を送っていなかったかもしれません。またこのような活動ができたのもFGS 事務室・教授の方々が毎度、挑戦できる環境を整えてくださるからです。これまで無理なお願いをしてきましたが、制度的な問題で挑戦を諦めたことはありません。今後も FGS の方々は、型にはまらない各々の学生生活を描いていけるのではないかと思っています。 FGS で学べる分野に興味がある人にとって、この学部は色んな可能性を見出していける環境を提供してくれると思うので、是非入学した際には色々なことに挑戦してみてください。

一覧へ戻る