「地球最後のフロンティア」
私は 2019 年 1 月から 12 月まで、経団連の奨学生として南アフリカ共和国のプレトリアという都市に留学していました。南アフリカは日本人にとってあまり一般的な留学先ではありませんが、豊かな自然と古い歴史を持つ面白い国です。留学したプレトリア大学は今でこそ上智と協定を結んでいるため交換留学制度を利用した留学が可能ですが、当時は協定がなく、自ら大学の担当者と連絡を取って交渉し、上智を1年間休学する休学留学の形での留学でした。
留学前
私が留学を意識し始めたのは大学 1 年次の終わり頃のことです。その頃は漠然と英語が話せるようになりたいというくらいの軽い気持ちから始まり、上智と協定のある海外の大学に派遣される交換留学制度を利用し、留学しようと考えていました。しかし、2 年次秋からと 3 年次春からの2つの交換留学派遣の選考に落ちてしまい、休学での留学を余儀なくされました。そこからは大きく 2 つのことが印象に残っています。
まず1つ目は、「留学先を見つける」ことです。休学留学においては、留学先の確保の上で大学のサポートは得られないため、その全てを自分でやらなくてはなりません。留学先を決める上では大きく 3つの軸がありました。
まず1つ目は、留学の主な目的である英語力アップのため、英語が主に話されている国であること、2つ目は開発途上国であること、3 つ目は「多文化共生とは何か?」という問いに対するヒントが得られる国であることでした。この 3 つの軸と照らし合わせた結果、フィリピンか南アフリカの2つの選択肢に絞られ、「遠くてなかなか行けなそうだから」という単純な理由で南アフリカへの留学を決めました。南アフリカの中でも私の留学したプレトリア大学は唯一「日本研究センター」を有しており、大学の友人の紹介で日本研究センターに駐在している JICA 専門家と連絡を取ることができ、現地の留学担当者とのコンタクトに成功しました。当時のプレトリア大学は日本からの留学生は少なく、数年に1人来るか来ないかという具合で、当然上智からの留学生も前例がない状態で不安もありましたが、背水の陣でなんとかものにした留学の機会でした。
2つ目は奨学金の確保です。休学留学をする以上、学費はすべて自らで現地に納付する必要があります。海外に留学する日本人留学生をサポートする奨学金制度はいくつかありますが、給付型の奨学金のみを探し、その中でも応募者の制限の少ない経団連グローバル人材育成スカラーシップに応募することにしました。経団連の留学生支援制度であるグローバル人材育成スカラーシップは支給される奨学金の使用用途の制限がなく、見聞を広げるためであれば何にでも使用して良いというルールでしたので、実際に現地への学費や生活費に充てたほか、留学中に敢行したアフリカ大陸陸路縦断の資金としても使用させていただきました。また、帰国後の就職活動の支援制度もあり、留学前後にも様々なサポートをしていただきました。
休学留学の準備段階では、「主体性」が非常に重要だったと思います。留学先を探すところから教授や学部長とのコミュニケーション、いかに留学のコストを下げるかといったところまで、すべて自分で考えて行動しなくてはなりません。私にとってはこの「主体的に行動する」ことの重要性を学べたことも、休学留学を選択してよかった理由の1つです。
留学中
留学中は主に3つのことに取り組みました。
まず1つ目は「勉学」です。現地では行政学科の授業を多く受講したほか、マーケティングやマネジメントなど、上智では勉強してこなかった分野の勉強にも力を入れました。現地の授業は1つの科目につき1コマ50分が週に3回開講されます。そのため、予習復習が非常に大変で、特に留学したての前期の授業は英語にも慣れていない環境でのスピード感に疲弊していました。次第に授業に慣れてくると、休日には友人と動物を見にいったり旅行に行ったりと、リフレッシュを挟みながら充実した留学生活を送ることができました。
現地の学生は勉学に対して非常に熱心です。特に、開発途上国であることからか、「自らがこの国を引っ張っていく」という姿勢には驚きました。政治系の授業では誰しもが南アフリカの国内政治に対して意見を持っていて、積極的に議論に参加していきます。政治の話をタブー視する日本とは全く異なる授業の雰囲気がありました。また、アフリカ大陸にありながらヨーロッパ系の学生がいる空間で勉強することも非常に興味深い経験でした。南アフリカは原住民であるアフリカ系に加えて、入植者としてヨーロッパ(オランダ・イギリス)から移り住んだ人々の子孫が今でも共存しています。南アフリカの負の歴史を物語るアパルトヘイトにもあるように、南アフリカは人種や民族に対して人一倍敏感です。私はアジア系という立場からその社会を俯瞰していましたが、民族の共存の形とは必ずしもアメリカのような人種の坩堝である必要はないのだと感じられたことは非常に新鮮な経験でした。
2つ目は「アフリカ大陸陸路縦断」です。
長期休みの2ヶ月弱を利用してアフリカ大陸の陸路縦断に挑戦しました。エジプトのアレキサンドリアからアフリカ大陸東岸を通って南アフリカのイーストロンドンまでをバスと電車で移動するというものです。留学して5ヶ月経つと、南アフリカのことはなんとなくわかってきていましたが、同時に他のアフリカの国にも興味を持つようになり、この旅行を敢行しました。旅行中はアフリカ最大のスラムでフィールドワークをしたり、ギュウギュウのバスで 14 時間過ごしたり、2泊3日間風呂なしの電車で灼熱の大地を走り抜けたりと、過酷な場面も何度かありましたが、どれも思い返すと素晴らしい経験でした。日本人は私を含め、アフリカ諸国のことを「アフリカ」の一言でくくりがちです。しかし、旅行を通じてわかったことはアフリカのそれぞれの国がそれぞれの個性を持っていて、その国の人々は自ら国を愛していることです。文化も慣習に加えて、アフリカ系の中でも顔つきが国や民族によって全く異なります。大陸縦断を通じて自分の中でアフリカという地域の解像度が上がり、より多角的にこの大陸のことを知ることができた機会でした。
3つめは「就職活動」です。 休学をしているため、同期入学の友人が就活を終わらせている中、留学している私も就活のことは意識せざるを得ませんでした。アフリカにいる間はインターネットを利用して情報収集をしたり、南アフリカに駐在している日系企業の社員さんとお話をさせていただいたりと、留学中でもできる限りのことをしていました。
また、11月にアメリカ・ボストンで開催されたボストンキャリアフォーラムにも参加しました。ボスキャリは11月に現地の会場で面接をする以外にも、事前の準備が非常に重要で、実際には 6 月ごろからエントリーシートを書いたり、1 次面接をしたりしていました。留学している学生にとっては非常に有名なイベントだそうで、会場はリクルートスーツに身を包んだ日本人学生で溢れ、会場付近だけ異様な風景でした。
留学を経た所感
FGSを目指す学生さんの中には、世界に目線を向けて、行動を起こしていきたいという方も多くいらっしゃると思います。そういった方は入学後には是非とも留学にもチャレンジしてみてください。日本で学ぶことももちろん大切ですが、現地に赴いて社会を見て、人と話すと、日本では絶対に学ぶことができない広い世界を知ることができます。FGSの学生は実際に留学する学生が多く、私のように休学して留学する学生も非常に多いです。ですので、休学して卒業が遅くなったとしても、周囲の友人は寛容に受け入れてくれる環境がありますし、教授や学部事務室の方々もサポートしてくださいます。また、金銭面で難しいと考えられている方も、奨学金制度をうまく使うことで留学の機会を勝ち取ることができるかもしれません。
私は振り返って、留学して本当に良かったと思っています。たくさんのチャレンジが待ち受けている留学は大変なことも多いですが、それ以上に自己の成長につながる一生の糧となる経験になると思います。