留学・国際交流

「挑戦と葛藤、自分の視野を広げてくれたアフリカ留学」

参加学生氏名:
平山 杏樹
メジャー:
中東・アフリカ研究
入学年度:
2016年度
渡航年度:
2019年度春学期~秋学期
種  類:
休学留学
渡航先国 :
南アフリカ共和国
企業・受入先:
ケープタウン大学、プレトリア大学

私は大学 3 年の秋学期が終わったタイミングで1年の休学をし、南アフリカ共和国のケープタウンとプレトリアという場所で 9 か月間の留学をしました。私がなぜ留学をしたのか、理由は大きく分けて2つあります。
まず1つ目はアフリカの地で長期滞在し、実際に自分の目で現地を見て視野を広げたかったからです。大学2年の時に大学のプログラムを利用してカメルーンへ行って以来、アフリカビジネスに興味を持ちアフリカ地域研究をメジャーに選択しました。ゼミでは幅広い分野からアフリカという特定の地域に着目して学んでいましたが、アフリカについて知れば知るほど自らアフリカの地に行き、その地での様々な経験を通してアフリカに対する自分の視野を広げたいと思いました。

次に2つ目は単純に海外での長期滞在に挑戦してみたかったからです。私は2週間程度の短期滞在しか経験がなかったので、数カ月単位での長期間を海外で過ごしてみたいという思いがありました。そして、長期で滞在するなら好きなアフリカ、一択でした。生まれてからずっと住んでいる日本を一人で出て、アフリカで生活する挑戦をしたかったです。

留学を決意した当時、アフリカビジネスに興味があったので、留学先ではアフリカの経済学や経営学を学びたいと思いました。なので、そうした分野の学部のあるアフリカの大学に留学するため、ひたすらアフリカ各国の大学へ直接メールを送り、手続きに関する情報を得ました。しかし、最初はメールの返事が来なかったり、話が噛み合ってなかったりとなかなか物事がうまく進みませんでした。留学を始める前の段階から挫けそうになりましたが、ゼミの先生や大学のプログラムに参加した時にお世話になった先生に相談しに行き、情報を得ることができました。そして、最終的には寮も完備されしっかりやり取りのとれる南アフリカのプレトリア大学へ留学することを決めました。さらに、プレトリア大学の開始学期が 7 月からだったので、もっと南アフリカを満喫するためプレトリア大での留学を始める前の4月から6月いっぱいまではケープタウン大学の語学学校へ通うことを決めました。自分で一から何でも好きなように留学プランを立てられるのは、休学留学ならではです。

渡航中

南アフリカに到着して早々、お金がなくなりました。国際線から国内線に乗り継ぐ際、乗り継ぎ時間も数十分しかなく慌てていたところ、空港職員らしき人が声を掛けてきて私の荷物を持ってくれ、乗り継ぎの案内までしてくれました。おかげで手続きも済ませセキュリティゲートまで到着し、出発時間に間に合いました。親切な人が助けてくれたのだと思ったのもつかの間、別れ際に 2000ランド(約15000円)のチップを要求され、時間がなく急いでいて且つ長旅で疲れていたのもあり、咄嗟に要求された額のお金を渡してしまいました。後々知ったことなのですが、私が空港の職員だと思った彼は実は職員ではなく、荷物を運んだり空港を案内してくれるポーターと呼ばれる人でした。南アフリカは失業率がかなり高い国なのもあり、チップをもらうため空港にはたくさんポーターの人がいます。南アフリカに降り立って早々に財布の中のお金が無くなり、壮絶な後悔と喪失感を抱いたのは現在でも鮮明に覚えています。このように私の南アフリカでの留学ははじまりました。

まずはケープタウン大学の ELC という語学学校に約 3 か月間通いました。この学校に通おうと思ったわけは、プレトリアで学部授業を受ける前に英語に慣れておきたいのもあったのですが、南アフリカで一番の観光地とされているケープタウンに単に行きたかったというのもありました。この語学学校は大学付属の学校であり、日本の留学エージェントの機関では紹介されていないため、日本人はかなり少ない環境で勉強することができました。さらに、クラスメイトのほとんどがガボン、コンゴ民、アンゴラ、モザンビーク、コートジボワール、リビア、アルジェリアなどといったアフリカ国々出身の人ばかりだったので、私にはかなり新鮮な環境で英語を学ぶことができました。それぞれ多様な文化を持っているクラスメイトたちと一緒に学び、放課後にはビーチやハイキングに出掛け、夜には寮で映画鑑賞と一生の思い出をアフリカの人達と作ることができました。

ケープタウンで通っていた学校のクラスメイトと

ケープタウンで3カ月過ごすと、次はプレトリアという都市に移りプレトリア大学で6カ月の学部授業を受けました。私の所属した Economic Management and Science は経営・経済学を学ぶ学部で、私が勉強したかった分野を学ぶことができました。しかし、私は今まで国際関係論や国際協力論などしか触れてこなかったため、経営・経済学を基礎から学ばなければならず最初は慣れるまで苦労しました。講義は大講義中心の授業を受けたのですが、経営・経済学の専門用語と葛藤しつつ、アフリカの事例を中心とした経営・経済理論を取り上げられていたので、常に関心を持ち続けながら勉強していくことができました。多様な文化が入り混じっていたケープタウンとは打って変わり、プレトリアは綺麗な街並みがあり落ち着いた雰囲気のある場所でした。大学の学生寮ではヨーロッパ諸国、オーストラリア、アフリカ諸国などから来た留学生と過ごしていました。また、プレトリア大学には日本研究センター(Centre for Japanese Studies)が設置されており、センターが行っている活動のお手伝いをさせていただきました。
日本の文化を伝えるべく、プレトリア大学が毎年行っている International Student Day に参加して展示ブースの設置や日本の歌を舞台で披露をしたり、センター主催のセミナーの手伝いをしたりしました。そうした活動を通して、日本に興味ある南アフリカ人と遊びに行ったりご飯に行ったりと多くの交流を楽しんでいました。

南アフリカは世界でも有数の治安の悪い国とされており、確かに私の周りでもスリや強盗の被害に遭う人もいました。人通りの少ない場所を歩いたり、一人で夜に出歩いたり、携帯を片手に持つかポケットに入れていたりと少しでも隙を見せると被害に遭ってしまいます。しかし、先述したことに気を付けていれば基本的には大丈夫なので、安全管理を怠らずに留学を楽しむことは十分にできます。

私は留学を通して、どんなことが起きても臨機応変に対応できる柔軟性を養えたと思っています。9か月という期間を南アフリカで過ごし、留学する前まで持っていた自分の当たり前の価値観が留学している中、それは当たり前ではないのだと身をもって感じさせられました。なので、留学中は予期もしない出来事が多々起こり、その度に苦労し葛藤する日々が続きましたが、その都度試行錯誤を繰り返し周りの協力を求めることで、段々と慣れこういうものなのだと考えられるようになりました。そうなることで、自分の持っていた価値観を崩し、新しい視野が広がったように感じます。

帰国後

大学を卒業したら私は国際協力をする仕事に就きます。途上国の開発を援助していくので、引き続きアフリカと関わっていくことになります。一つの課題に対して多角的な視点で物事を捉え、常に現地の人たちの立場になり彼らが何を求めているのか考えながらアフリカの発展に貢献できるよう意識しながら仕事をしていきたいと思っています。これは私が FGS から学んできたことでもあります。

FGS を目指す皆さんに伝えたいこと

FGS では政治、経済、文化、歴史など幅広い分野から国際社会にはびこる課題を見ていきます。なので、卒業するころには自然にある物事に対して多角的に捉えられる力が付いていると思います。その中で、自分の興味のある分野を見つけられれば、自分のやりたいようにいくらでも学べる環境が FGS にあります。そうした経験は大学を卒業して以降も自分の人生において活かされていくと思います。私はこの大学、そしてこの学部を選択し、勉強してきたことに大満足です。

タウンシップにて現地の子供たちとの交流

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