2022年1月25日オリンピック・パラリンピック×上智 インタビュー vol.06

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車いすバスケ日本代表の秋田選手とインタビュー学生2人
(左から)秋田啓選手 、総合グローバル学科 斎藤ましろ、社会学科 桐原明香

昨年、あいおいニッセイ同和損保による連携講座「パラアスリートと考える障がい者スポーツと共生社会」でも講義頂いた、車いすバスケットボール日本代表の秋田 啓選手(あいおいニッセイ同和損保所属)にGo Beyondの2人がインタビューをしました。秋田選手は今夏の東京2020パラリンピックで、全8試合に出場。97得点を挙げ、銀メダル獲得に貢献しました。インタビュー当日にはドライブが趣味ということもあり、400km離れた岐阜から上智大学まで車でお越し下さいました。


斎藤 )本日インタビューさせていただきますGo Beyondの斎藤 ましろ(総合グローバル学科3年)です。

桐原)同じく、Go Beyondの桐原明香(社会学科2年)です。 よろしくお願いします。

斎藤) まず、銀メダル獲得おめでとうございます。本当にずっとテレビで応援していたので、お会いできて嬉しいです。

秋田選手)ありがとうございます。 じゃあメダル見ますか?

東京2020パラリンピック競技大会の男子車いすバスケットボールの銀メダル

斎藤)初めて見ます。すごい、かっこいいですね。わぁー重い。ありがとうございます。

桐原)わぁー重たい、ずっしりですね。初めてかけた時の感想ってどんな感じですか?

秋田選手)重たいなとは思いましたけど。でもその重さがというよりも、ここまでの過程が詰まっているので。僕たちにはその過程の大きさというか、「これだけかけても銀メダルだったんだ」という意味合いで、いろんな思いが詰まったメダルになりました。

桐原)ありがとうございます。今日はその銀メダルを獲得した東京2020大会への想いや、私達Go Beyondが目指している共生社会についてお話をお伺いできればと思っています。

桐原)では、最初に車いすバスケを始めたきっかけを教えて頂けますか?

秋田選手)バスケを始めたきっかけですね。 
車いすで生活するようになって、それまではできていた運動やスポーツが気軽にできなくなったんです。できなくなったというか、気軽にできないなって僕が勝手に思っていたので。だったら車いすでできるスポーツを何か始めようと思ったのがきっかけですね。
 その時に僕が知っていた車いすでできる競技は、バスケとテニスと陸上ぐらいしかなかった。今でこそ、いろんな競技があることも知っていますし、見かける競技も増えましたけど、その当時の僕は知らなかった。やはり知らないことはできないので、その中で選ぶことになった。半分消去法ですね。
 昔から走るのは好きでは無かったので、陸上は違うと思って、球技のテニスかバスケのどちらかとなりました。団体競技だったら、チームに入るだけで競技の相談ができる仲間も作れるし、競技以外の車いすでの生活についてなども相談できると考えてバスケを見学しに行きました。

斎藤)「相談できる仲間を作れるかも」と考えてはじめたとの事ですが、実際に初めて競技用の車いすに乗った時の感想は如何でした?

秋田選手)初めて乗った時、楽しかったですよ。自由に動かすのは難しかったのですが。
その時に初めて車いすバスケを見て、「スゲー」と単純に感じましたし、楽しそうだなと。
これだけ好き勝手に動けて、バスケができると楽しいだろうなって思いました。

斎藤)そこから始めて、今は日本代表ですが、遠征で海外にも行かれるのですか?

秋田選手)代表の遠征ではありますね。
海外の交流大会や親善大会に参戦をしたり、海外の代表チームとの合同合宿に参加することもあります。

斎藤)実際に海外の遠征に行った時、大会の雰囲気などで日本と何か違いはありましたか?

秋田選手の写真
秋田 啓選手(あきた けい)
岐阜県出身31歳
20歳で車いすバスケットをはじめ2017年に日本代表。東京2020パラリンピックで銀メダルを獲得。
(写真:あいおいニッセイ同和損保提供)

秋田選手)サポーターというか、ファンの方との距離が近い。日常的にスポーツを観戦するという感覚で、車いすバスケを見に来られる方が多くいるとは感じました。日本国内の試合で観客が多く入っている事が、今まではあまり無かったので。 やはり人に見られながらバスケするのはちょっと別だなと僕は思うので。海外で試合をすると、地元の方達が普通に見に来ていたりするので、ちょっとすごいなと思いましたね。
やはりそういった意味ではスポーツに対する意識は日本より海外の方が進んでるのかな?日本だと一部のプロスポーツの試合しか観客が大勢入ることは無いですよね。なかなか埋まらない。そういった所は楽しいなと思いました。

斎藤)日本と海外でバリアフリーの環境の違いや、その周りの人の接し方に違いなどを感じたことはありますか?

秋田選手)そうですね、1つ1つの設備ではきっと日本の方が優れているところは多いと思う。綺麗さであったり、機能的にももちろん。そういう意味では日本は十分すごいなって、どこに行っても改めて思います。
けれども、日本はそのバリアフリーのためにその設備を作る。例えばトイレ 1 つにしても、障害者用とか車いすユーザー用みたいな感じでトイレを作ります。

日本代表戦で試合中の秋田選手
(写真:あいおいニッセイ同和損保提供)

秋田選手) だけども、そもそも全部が車いすでも入れるような設計をすれば別に問題は無いと思うのです。もちろん取れるスペースは限られるので、仕方がないとも考えますが、「この人たちが使えるものを 1 個作る」というのが日本かな。 逆に「対応できますよ」では無く、そもそもが「別に誰でも扱える設計になっている」というのは海外では多いかなと感じます。いちいち大きいとか広いとか。大きければ車いすでも困らない。まあそれがバリアフリーの観点からなのかは置いといたとしても、一般の所が車いすのユーザーでも使える環境になっているということは多かったと思います。

斎藤)日本も海外からもっと学んで、そのような考え方を取り入れたら、もっといい社会になっていくと思いますか?

秋田選手)障害者向け施設というか、障害者が利用するであろうと仮定された施設だったら、やはりそういう環境になってきていると思いますね。障害者向けの対策として基準が広がっているとは思うのですが、一般向けの施設で同じようになっていくのは、なかなか難しいと思いますね。もちろん海外でも、全部がそうなっているとは言えないので。
でもそうなったらいいのになと思うことはありますね。

桐原)パラリンピックについてお伺いします。
銀メダルも獲得されて、本当に印象に残る大会であったと思います。私たち2人も大会期間中にゴールボールのボランティアをしていて、その合間に会場の控室のテレビで、みんなで応援していました。特にイギリスとの準決勝は本当に感動しました。 
秋田選手は、その東京2020パラリンピックの結果について、「もっと上を目指したい」など思っていらっしゃることはありますか?

秋田選手)そうですね。 もともと「東京大会でメダルを取る」とずっと言ってきたチームでメダルを取れたということは、単純に良かったと思います。 それだけ良いチームになったというのは改めて思います。

でも、やはり銀メダルが確定した瞬間は決勝で負けた瞬間なので、決勝戦で勝てなかったという思いが強かったですね。メダルが取れたことは良かったと思う。目標を達成したというのもあります。
でもまだまだ及ばないところがいっぱいある。アメリカの強さや日本の弱さが、これではっきり出たという事を実感しました。もっと上を目指して自分たちが成長し、より良いチームを作らなければ結果が出ないのだと思いました。
だから銀メダルを取ったことで、「金メダルを取る」ということが言いづらくなったと僕は思いました。
これだけの良いチームなのに金が取れないという事なので、それはとても大変なことだなと改めて思いましたね。

インタビュー中の秋田選手

桐原)あともう少しのところで勝てるかなと思って見ていました。

秋田選手)それこそ試合を客観的に見れば、多分僕たちだってそう思います。その当時だったらそう思えたと思う。 でもやはり勝ち方を知らなかったのか、そのような意味での経験の無さが、あの勝敗の差であったと実感しました。
なので、目標としてメダルということよりも、自分たちの良いパフォーマンスを出し切るということが僕の中では目標になりつつあります。 個人やチームとして作り上げたものを、本番で出し切れるのかが、一番良い結果を持ってくるために最低限必要なことだと思うので。
なんかメダルが近くなったようで遠くなったような。色んなところで「次は金メダルですね」と言われるんです。僕もそう思っています。でもどこかで言い淀むところもあります。

桐原)東京2020パラリンピックが開催されたことで、街の変化など日本の社会にどのように影響を与えたか、秋田選手が感じることはありますか?

秋田選手)東京2020大会が決まって、やはり国内バリアフリーなどの意識は高まっていたと思います。実際に設備の整った環境が増えたと思います。でも日本がパラリンピックを経て何か変わったのかっていうのは、まだちょっと僕は実感できている部分は少ないと思います。

今回は無観客だったこともあって、テレビの放映が多かったのは事実です。テレビの力というのはやはりすごいので、「今回初めて見ました」という声はいっぱい届きました。初めて見たという人が増えたのは良いのだけれども、それがどう残っていくのか、これからどう繋がっていくのかはわからない。次のパラリンピックで同じように放映してもらえるのか。パラリンピック以外のパラスポーツ、パラの世界選手権、各競技の大会を今後どれだけ放映してもらえるのかわからない。だからこそ、「どれだけアピールできるのか」という事が今後に繋がると思います。

ティップオフで競る秋田選手
(写真:あいおいニッセイ同和損保提供)

斎藤)私たちGo Beyondのメンバーは結構前からパラスポーツに関心があったのですが、今回のパラリンピックをきっかけにメンバー以外の私の友達たちも車いすバスケやゴールボールを見るようになりました。なので「世間のパラスポーツに対する関心は高まっている」と感じます。でも、いかにその関心を持続させていくかという事が、すごく難しいと私たちは感じていて、そこが課題になってくると思います。

秋田選手)やはり興味があっても、実際に関われる所は少ないです。大会がなければ、サポートのボランティアに行けないですし、大会を観客として見ることもできない。大会があっても、テレビやネットで放送されなければ、現場の観客しか見られない。それでは関わる人数は極端に減ると思います。そして見なくなれば、忘れるとまでは言わなくても、どうしても距離感は広がってしまうと思います。

秋田選手) だから、いかにして定期的に繋がれる部分を作るのかっていう事を各競技団体が考えていく事が大事だと思います。やはり競技側から発信をしていかないと、どうしても繋がらないと思うので。
せっかく今、興味を持った人は増えたのだから、興味を持った人たちに来てもらわないと、携わってもらわないと、続いて行かないなと思います。

斎藤)今、秋田選手は選手としてプレーしてる部分もありますし、車いすバスケの普及もされていると思うんですけど、どんな想いをもって普及活動をしていますか?車いすバスケを通じて、人々にどんなことを感じて欲しいとか、どんな社会になって欲しいとか思っていることはありますか?

秋田選手)僕が行っている車いすバスケの普及活動で、学校訪問が一番わかりやすく、数もあるのですが、それを受けるのは単純に車いすバスケを広めたい、単純に普及ができれば良いと思っている部分は大きいです。「名前だけは知ってますけど、実際には見たことは無いです」という子も多い。実際に競技用の車いすなんて乗ったことも、間近で見たこともない子ども達に知ってもらうきっかけになる。車いすバスケが実際に楽しいんだとか、車いすバスケの選手ってすごいなと思ってもらいたくて学校や体験会に僕は行くようにしています。そうやって知って、楽しいと思った子ども達がすぐにバスケに関わるかというとそうじゃないと思いますけど。その子の記憶に残るし、その子はきっと両親や家族に「今日こういう面白いこと、体験した」と話をしてくれるかもしれない。

秋田選手)そういうふうに広がっていくことだとは思っているので、単純に車いすバスケが「楽しい」「すげえ」「面白い」というのを広めたくて活動しています。

ただ、その上で車いすバスケを通して僕が何かを伝えたいということは、そんなに無いです。 単純にこの競技の魅力が伝わればいいなと思っています。 共生社会、ダイバーシティ、いろいろそういった難しいことを絡めてどうこうとは思っていないです。 受け取る側が別にどう受け取ってくれてもいいのですが、僕は単純に競技が楽しい、面白い事が伝わればいいと思っています。

秋田選手中学校での体験授業風景
中学校での体験授業風景(写真:あいおいニッセイ同和損保提供)

斎藤)楽しいって重要だなって私も思っています。
パラスポーツに最初に興味を持ったのは車いすバスケをやった時です。私いつも、運動音痴とか言われるんです。だけど、車いすバスケをやった時はすごく楽しくて、そこからパラスポーツに興味を持てたので。本当に「楽しい」のきっかけを作るのは重要なことだと思います。

斎藤)私たちGo Beyondは、東京2020大会をきっかけに共生社会の普及を目指して活動しているのですが、秋田選手にとっての共生社会のイメージはありますか?今の社会に対して多分色々課題ってあると思いますけど、こうなって欲しいとか。

秋田選手)誰もが、やはり過度な関りが無く生活できるレベルになるのが最低限だなと思います。
車いすの人や、障害者の人に、「何かをしてあげなきゃいけない」と思っている時点で、それはちょっとずれていくものですし、別にそこが特別視されることなく生活できるものであれば問題ないのにと思います。
なので、ある意味無関心でいられても、障害者が生活できるぐらいになればいいのにと思います。もちろん、サポートが必要な人はサポートをしてもらえて、頼れる場所があるというのは前提ですけど。

秋田選手)例えば僕は、車いすを使っていても、いなくても普段そんなに困りごとは無いですし、ある程度は自分でできると思っています。でも、僕が車いすで駅に行けば駅員さんに呼んでくださいと言われる。それは必要なのか、「ほっといてくれればいいのに」と思いますね。僕からすれば「車いすに乗っているから駅員さんはサポートしなきゃいけない」という事は別にないのですから。乗れないのなら手伝いは必要ですが、できる人は別に放っておけばいいのにと思いますね。
どんな人でもそうですけど、ある程度の個人が尊重されるべきだと思うので、適度に放っておかれながら、それでも生活ができるというのは最低限必要なことだと思っています。

秋田選手、体験会での様子
体験会の様子(写真:あいおいニッセイ同和損保提供)

桐原)私は大学生になってから車いすバスケの体験会などに参加しました。今は小、中学校の段階からそういったことに触れることが多いので、私も早いうちから今お話頂いたような障害者に対する認識やパラスポーツに関心を持つことができたら良かったなって思っています。

斎藤)やっぱりオリパラ前後で、学生の中でも社会の認識が違うんですかね?

秋田選手)今は、小中学生はそういう授業が入ってきていますよね。
こういう取り組みは、東京2020大会に向けて展開されていたと思うのですが、これ以降どうするのかっていう点を見ていきたいというのはあります。
本来なら残っていくべきものだと僕たちとしては思うけど。東京で行われないパラリンピック、オリンピックに対してどれだけ継続をしてもらえるのかはわからない。決してオリもパラも終わらないのに、授業を終える必要があるのかと思いますね。

斎藤)それこそ東京2020大会のレガシーとしてとしてもっと継続的にやっていけたらいいですよね。

秋田選手)そうですね。やはり小学生の段階で、知れるとか、触れるっていうのは大きいと思います。
単純にスポーツが楽しいと思ってもらえれば、もちろんいいですが、なんだかんだパラリンピック出る選手などは障害者とはいえ、あんまり心配のない人が多いですよね。

インタビュー中の秋田選手と学生

秋田選手)一般的に言われる障害者や車いすユーザーといった、社会的弱者とされる人たちに「何かしてあげなきゃいけない」と思っている子ども達に、「あっ別にそうじゃない人もいるよね」という気づきになると思う。そういう人たちと触れ合うことで一辺倒な認識というのは変わっていくのかなと思います。

生徒から「あのいつも何が困りますか?」
僕「いや特にありませんね。」

小学生としてはそれが困るみたいな。やっぱり結局全員が全員ひとくくりにできるものじゃないというのは、障害者だからとかではなく、健常者でももちろん同じです。ひとくくりにできないんだから、結局は個に合わせてコミュニケーションを取るしか、本当に必要なサポートはわからないというのが大きいと思います。だから、体験できる場所は増えればいいなと思います。望む子は行けばいいし、別に興味のない子ももちろんいるだろうし。

斎藤)Go Beyondでも体験イベントをやるのですが、そのために体育館に競技用車いす使えるかを電話で聞くと、やっぱりまだハード面で「使っちゃだめ」とか、「傷つくでしょ?」と言われて、断られたりする時があるんです。
今後、オリパラ教育などを通じて、少しでもそういう部分が変わって、社会としてもパラスポーツをやりたいって思っている人ができる環境になればいいなってすごく感じました。

秋田選手)そうなんですね、まだあるんですね。

斎藤)この前も色々問い合わせたのですが、「傷つきますか?」「タイヤ痕付きますよね」とか「下にシート敷いたらいいですよ」などと言われたところもあったんです。だからほんとにパラスポーツやるのにも課題が山積みだなって。

秋田選手)タイヤ痕は付かないです。
そうですね。実際そうやって、床がどうこうって言われて断られるっていうのもあるでしょうし、実際に今までもあったと思う。でも単純にどうこう言う以前に、「車いすのままで施設に入れるのか?」という所はやはりまだ多いです。
東京などでは、限られた場所で体育館が作られることも多いので、スペースとしてハード的な部分が解消できないという事もあるとは思います。でもやはり、そもそもの目的として車いすの利用者が想定されてない事はいろんなところにあると思う。もちろん「それを第一に想定しろ」と言うことはないですが、車いすを使えるのが可能なレベルで建物などは建てればいいのになと思います。

桐原)今のお話はさっきのトイレの話に、すごく近しいですね。日本は「車いすバスケができる体育館」という物を作るのですが、そうではなくて、体育館を作る時に車いすでも入れるようにしといてくれれば良いだけなのに。 

秋田選手)入れれば使いますから。その位の方が良いのかなと、僕はそう思いますけど。

桐原)同じ感じで、パラスポーツの車いすバスケという見方を秋田選手はあまりされていないですね。

秋田選手)そうですね、車いすバスケは確かにパラスポーツです。ですけど、ただのスポーツです。

インタビュー終了後に写真展の前で秋田選手とインタビュー学生とで記念撮影

秋田選手)それこそ今、国内の車いすバスケットボールの連盟では健常者の参加も認められてきていますし、「車いすに乗れば誰でもできる」として車いすバスケはあるのですから。 パラスポーツなのは間違いないですよ。間違いないですけど、スポーツで間違いないというのもあります。

桐原)そうですよね。先ほどのお話も、今のお話もそうですし、駅での話もそうですね。

秋田選手)だから、僕自身が障害者なのは間違いないです。障害者ですけど、そうですけど、みたいな。
あんまり自分が障害者だからとした生活をしている気もないです。実際にそんなに困っていることがないからという事もあるのでしょうが、そんな風に言わなくても誰もが使い易いようになる方が良いと思う。
誰でもが使えれば別に困らないですよね?というのは車いすの人が使えるところはやはり多くの人にとっても使いやすくなるというのは事実だと思うので。別に特定の、この人のためにするわけじゃなくて、総合的に見てそうするという判断が出ればいいのになと思っています。

斎藤)ありがとうございます。それでは最後に学生へ向けて、何かメッセージを頂けますか。

秋田選手)僕の好きな言葉はいくつかあるのですが、その中の 1 つに「為せば成る、為さねばならぬ、何事も」という言葉があります。この「為せば成る」は「やればできる」。「為さねば成らぬ」というのは「やらなきゃできない」で、「何事も」なんで「どんなことも」と僕は解釈しています。「やればできる」っていうことを言ってくれる人、言う人ってたくさんいると思います。実際にやったらできることはたくさんあると思います。学生の皆さんはきっと自分の世界が広がっていくばかりなので、楽しそうなことや、興味を持っていること、いろんなことにチャレンジして欲しいですし、チャレンジすることで実際にできることもたくさん増えると思います。

だけど、それ以上に僕は「為さねば成らぬ」という「やらなきゃできない」っていう言葉がとても大事だと思っています。興味を持ったなら、その持ったものに 1 歩踏み出さないと絶対にできない。
どれだけ周りが準備しても、本人がやるとならないと、やっぱり何もできないっていうのは、とても大きいことだと僕は思っています。僕も全然将来や先のことなんか想定していなかったけれど、車いすバスケを始めるという 1 歩が東京2020パラリンピックの銀メダルまでつながったという結果が、事実があるので。

いろんな楽しそうだなとか、興味が持てたこととか、今、夢があれば夢に向かっていろんなチャレンジをして欲しいなと、ぜひして欲しいなと思います。そして何より楽しく挑戦してほしいな。と思います。

桐原)ありがとうございました。

斎藤)ありがとうございました。
一歩踏み出すってすごい勇気がいると思うのですけど、秋田選手が言ってくださったように、楽しさを忘れずに、いろんなものにチャレンジして大学生活を過ごしたいと思います。

Go Beypndの2人に銀メダルを見せる秋田選手