2021年12月17日寄稿「オリンピック・パラリンピック、『忘れられない夏』を振り返って」

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上智大学の職員を約3年間休職して大会組織委員会で勤務した中野 真希さん(学事局)に、オリンピック・パラリンピックの振り返りを寄稿頂きました。

夕暮れと雲と無人の観客席

2018年10月からおよそ3年間、上智大学を休職して東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会で勤務しました。その時から今まで「で、何の仕事してたの?」と幾度となく聞かれながらも的確に答えられたことがないのですが、大学職員としての自分と対比させながら、感じてきたことを書こうと思います。

「運営準備」と「競技進行」

私は大会での競技運営を担う「スポーツ局」で、アーチェリー競技の「テクニカルオペレーションマネージャー」というポジションをつとめました。アーチェリー競技の専門的なこと(競技ルールに則った会場づくり、競技備品の準備、審判員の手配、競技ガイド等の印刷物の監修などなど)が主な仕事です。

アーチェリーの国際競技連盟にあたるWorld Archeryの監修を受けながら、組織委員会内で競技実施のための調整をする、いわば「仲介役」ともいえるわけですが、今まで上智の職員として学生や海外大学、企業と大学を「つなぐ」仕事を多くしてきたので、さほど違和感なく働いていた気がします。

国内大会でチケット販売の情宣風景
2019年3月国内大会でチケット販売の情宣

そんな中、2020年3月末に、史上初のオリンピック・パラリンピック延期という事態に遭遇しました。哀しいかな、それを知ったのは自宅で見ていた夕方のニュースです。その後、春先は在宅勤務しながらチームのメンバーたちとオンライン会議やチャットで「どうなる?どうする?」と戸惑う日々が続きました。特にアーチェリー競技は、2019年7月にオリパラ会場でテスト大会をすでに実施済みで、「本番に向けてやるべきことのイメトレと気合の醸成」はかなり進んでいたので、それを思っていた時期に実行できないというもどかしさは想像以上のものでした。
「つらい、大変」よりも「早く試合やりたいのに!」というもどかしさや焦りです。その気持ちを原動力に、夏以降は気を取り直して「進められることは進めよう」と、備品の購入や委託契約の締結準備を再開しましたが、どの部署も「まだ方針が決まっていないので・・・」と具体的な手続きを動かすことができず、自分ひとりの力では状況を打開できない「膠着状態」の日々が続きました。

その後、遅々としながらも少しずつ延期後・コロナ禍における大会の準備とシミュレーションは進み、2021年6月以降はいよいよ競技会場(アーチェリーは江東区の夢の島公園)を拠点に、競技場の設営やスタッフとのオペレーションの確認作業が始まりました。
自分も釘やペグを打って肉体労働しながら、全体の進捗を目配りして、モノや人が足りないところ、変更が生じたところを補ったり、追加で発注したり・・・アーチェリーの知識のないスタッフや業者に「なぜ競技上これが必要なのか」ということを繰り返し説明して納得してもらって、最善(かつ、いちばん安価な)やり方や解決策を編み出す、千本ノックのような問答をしながら準備は加速していきました。
この頃には過去大会の経験のある海外スタッフも合流し始め、ロンドンではこうした、リオではこうだったなど以前の経験や教訓を振り返りながら最終調整を行っていきました。

夕焼けとアーチェリー会場スタンド
毎日夕焼けを眺めるのが楽しみに
東京都の感染防止徹底宣言マーク
コロナの影響、はかりしれず
足場を組むスタンド建設中風景
2021年4月 競技会場と観客席の躯体を建設中
設営中の予選会場
2021年6月 予選会場設営中
藤色のアーチェリー会場全景
2021年7月 会場が完成。アーチェリー会場は「藤色」がテーマカラー

そして、7月23日からいよいよオリンピック競技が始まりました。5日前に到着した選手、3日前に到着した審判団、ずっと準備してきた我々、全員が「やっと試合ができる!」と鼻息荒く思ったものですが、それは暑さ、湿度、雨、台風、雷などなど屋外競技ならではの「ひたすら天候に左右される」日々(アーチェリー競技は、雷が鳴らない限りはどんな荒天でも実施します)の幕開けでもありました。それに加えて、考えうる限りのコロナ対策をさまざましなければいけない中で、競技を1日1日コツコツと進め(私はスコアリングという、的に刺さった矢の点数判定をする審判たちとほぼ一緒に活動していました)、オリンピック9日間、パラリンピック8日間の競技を終えた時には、選手・コーチ・審判・スタッフ・ボランティアの間に「私たち/俺たちはこれをのりきったぞ!」という、えも言われぬ静かな連帯感がたちのぼるのを強く感じました。

扇をモチーフにした世界ランキング表示板など
「日本らしさ・アジアらしさ」で作成したアイテムには特に愛着
説明を聞く競技補助の高校生たち
予選には東京都のアーチェリー部の高校生が競技補助として参加

オリンピックからパラリンピックへ

オリンピックでは日本代表チームが男子個人、男子団体でメダルを獲得し、そのもようがテレビ中継されたこともあり、アーチェリーは多大な注目を集めました(と、思っています)。いちばん嬉しかったのは、これまで競技を知らなかった友人、知人、そのご家族までもが『アーチェリーっておもしろい!』とリアクションがあったことですが、その熱量をパラリンピックも持続させることが私たちの課題となりました。
競技としてはオリンピックアーチェリーもパラアーチェリーもまったく同列ですが、パラリンピックの方が会場のしつらえに多くの注意が必要になります。車いす選手用のスロープの設置とその角度、会場内で移動しやすい動線、柵やパーテーションの置く位置まで、実際現場で自分の足で歩いたり、選手が活動しているのを見たりしてしか気づかないことも多くありました。「雨が降ればここの地面は特に滑りやすくなるからワイパーを多めに常備して!」などと、スタッフ皆で毎朝夕見回ることも日課となり・・・終わってみれば、パラリンピックの方が「現場でいろいろなことを観察して工夫して、じっくり取り組んで、なんだか毎日が濃かった」気持ちです。その取り組みの濃さが、競技のおもしろさとともに今後の大会や世の中で浸透していき、当たり前になっていくことが、オリンピック、パラリンピックに関わった者としての強い願いです。

日本男子団体初のメダル、表彰式風景(モニター越し)
日本男子団体初のメダル!表彰式は審判の部屋でひっそり見ました
パラリンピックの車いすアーチェリー競技 ⓒWorld Archery
パラリンピックの原点ともいわれるアーチェリー競技 ⓒWorld Archery

大学職員に立ち返って

大学職員という立場から言うと、職員数4千人超の巨大な組織委員会で働く中で、古巣・上智のいい意味でのこじんまりさや小回りのきく職場環境を何度も思い出しました。上智を離れる時、同僚たちに「オリンピックに携わった経験はその後ものすごく役立つだろうね!」と言われたものですが、最終的には、仕事のはこび方も、対人関係の築き方も、むしろ大学で地道に働いてきた経験が活きました。業界は違っても、仕事に対して試行錯誤を繰り返して改善を目指す取り組み方や、新しいことに挑戦してみようという姿勢はどこにいても共通する価値なのだと思います。

今後は、逆に組織委員会の勤務で得た現場対応力などが、大学職員の仕事に役立つと思える瞬間が訪れることが楽しみです。社会人として、異なる組織の仕事を経験できたことはこういった「基本的な価値観やマインドの応用」を自分の中で促してくれたのではないかと思います。大学自体はひとつの狭い世界ですが、必ずしもひとつの部署や、ひとつの仕事だけで自分をくくってしまう必要はなく、違うことを経験してこそ見えてくることがあり、そういった「パラレル」なキャリア、経験値を持つことで、仕事へのまなざしや取り組み方の幅を広げていくことができる、そう実感した3年間でした。

組織委員会 夢の島公園アーチェリー会場チーム集合写真
組織委員会 夢の島公園アーチェリー会場チーム ⓒWorld Archery

おわりに

もともとは学生時代を選手としてほぼアーチェリーに費やし(上智の真田濠グラウンドの片隅での洋弓部活動を含む)、30代になってから審判員の資格を取得して国内外で審判として活動してきたことがこのような形で実を結ぶことになり、また組織委員会で働く中でともに汗をかいて「同じ釜の飯を食べた」仲間、友人、同僚たちと過ごしたオリンピック、パラリンピックは、文字通り一生忘れられない夏になりました。とは言え、いま改めて写真を見返すと「本当に自分はこれを全部経験したのか」という、自分のことのような、自分のことでないような不思議な気持ちになります。この3年あまりの経験が自分の中で消化され、自分の糧になっていることを実感できる日々が訪れることを楽しみに、これからの大学での活動に取り組んでいきたいと思います。


 ・公益社団法人全日本アーチェリー連盟(外部リンク)

 ・一般社団法人日本身体障害者アーチェリー連盟(外部リンク)