ウラジオストク調査報告 (加藤絢子) (加藤絢子)

研究協力者・加藤絢子さんによるウラジオストク調査報告です。
2014.10.15

ウラジオストク調査報告

2014年10月15日
加藤絢子(福岡市史編さん室 調査委員)

 

 報告者は2014年8月9日から8月16日のあいだウラジオストクにあるロシア国立極東歴史文書館にて行政文書を閲覧した。

 同文書館では、ロシア帝政期以後のロシア極東地域の行政文書のほか、日本がシベリア出兵によって同地域およびサハリン島北緯50度以北を占領していた時期の資料をみることができる。また、第二次世界大戦後の日本人の引揚げにかんする資料も所蔵されている。

 報告者の研究対象はサハリン先住少数民族にたいする日本およびロシア(ソ連)の政策である。両国の施政下で国境の変動にともない先住少数民族に対する政策にどのような影響があったか、またその変遷が両国間における彼らの越境にどのように関係しているかをあきらかにしたいと考えている。そのため、今回報告者は上記の点にかんする資料を確認すべく、同文書館にて調査をおこなった。

 今回閲覧した資料は主に1920 年代、特に日本がサハリン北緯50度以北の保障占領地域から撤退した1925年以後の同地域におけるソ連側の行政文書である。これらの資料のなかには、再びロシア/ソ連側の地域となったサハリン島北部について、大陸からの移住者のための土地選定や先住者の土地にかんする権利、また移住者の生活環境にたいする配慮など、今後の「復興策」について論じられているものや、漁業組合や禁猟区の設定など各産業の実態調査や展望にかんするものがあった。このほか、1905年から同45 年までサハリン島北緯50度以南は日本の統治下にあり、同地域に居住していた先住少数民族のなかには、第二次大戦後日本に「引揚げ」たものもいることから、同文書館における引揚げ関連の資料を閲覧する予定であったが、残念ながら非公開となっておりみることができなかった。

 調査の結果、先住少数民族については、各民族の居住地別の戸口調査や生業、文化についての概要や、組合や文化的施設の設置等、今後の統治方針ついて言及されたものがあった。そしてこれらの資料から以下のような状況を知ることができた。まず、日本軍の撤退後、集落への漁業組合の設置や狩猟のための物資提供を一部の先住少数民族がソ連政府に願い出ていたこと。次に先住少数民族に提供する福祉サーヴィスについて、特に医療が重要視されていたこと。そしてロシア語の流入にともない、先住少数民族の言語の「保存」のために緊急にそれらへの調査が必要とされていたこと。これらの先住少数民族の状況はサハリン島に当時居住していた各民族によって異なると思われるが、再びの国境変動によって、政府側と被統治者側双方の動向を垣間見ることができた。

 サハリン北部の先住少数民族のなかには、日本軍の撤退後、日本領であったサハリン南部に移住したものもいた。今後は彼らへの日本(樺太庁)側の政策と比較し、両国による異民族統治の性質についてより詳細に分析したい。

(以上)

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