アメリカにおける医療倫理についての一考察
(American Medical Ethics: One Observation)
Tamayo Okamoto*
SUMMARY IN ENGLISH:The main concern of medical ethics is to
establish a better relationship between physician and patient. The discipline
evolved from a response to judiciary efforts to redeem medical damages by
acknowledging patient’s autonomy in a medical decision-making process. This
paper describes how medical ethics is taught in a philosophy department and at
a medical school in the United States, explores some of the activities of a
medical ethics center or institute, notes how some of the main concepts are
dealt with by philosophers whose background was predominantly analytic, and
outlines new career of a hospital ethics consultant. Some of the key words in
medical ethics in the last couple of decades are paternalism, autonomy and
informed consent. They are given in a linguistic and conceptual analysis by
analytic philosophers. Special attention is directed to Jay Katz’s “conversational
model of informed consent”. One observation can also be made that an effort to
realize more democratic medicine originates from a paternalistic interest in
the necessity of the establishment of patient autonomy before joint
physician-patient decision-making is possible, —in actuality most patients are
still blindly dependent on the physician’s exercise of discretion.
医療倫理とは
医療倫理の先進国といわれるアメリカにおいても、いまなお、この分野の独立した学科は存在しない。その性質上、医療倫理は医学と倫理学の双方にまたがる学問領域であるが、欧米では倫理学は日本でのように独立しておらず哲学の一部とみなされているため、アメリカにおける医療倫理も哲学科の一分野として研究されているのが普通である。
さて、筆者は、昨年(1990年)秋、ミシガン州立大学に医療倫理に関する論文を提出して博士号を取得したが、博士論文提出資格を得るためには、その前提として、一分野に4時間を充当して行われる年2回のチャンスしかない@哲学史、A記号論理学・科学哲学、B認識論・形而上学、C価値論・倫理学の4つの分野にわたる総合試験に合格する必要があった。
ミシガン州立大学哲学科では、他の多くのアメリカの大学と同様、科学哲学が主流となっており、その根幹となる記号論理学は、すべての大学院学生には必修である。医療倫理だけを専攻できるわけではないが、この分野で論文を書こうとする学生が増えており、医師が博士号取得に医療倫理を選ぶケースもある。
こうした傾向は、従来哲学研究に携わってきた人びとが、医療関係の倫理委員会に招かれたり、「病院倫理士」(hospital
ethicist)という奇妙な名称の新職業が生まれたりで、需要が高まったことに基づくものであろう。さらに、この分野のみならず、「ビジネス倫理」(business
ethics)なども学生の人気を集め、かつては象牙の塔に立てこもっていた哲学や倫理学が実践的方向にも大いに道を拓いたことが実感できた。
筆者が、1965年にオハイオ州にあるカトリック系のデートン大学大学院哲学科に留学したときは、倫理学としては伝統的な倫理学説の講座が一つあるのみで、実践倫理や社会倫理への関心は極めて薄弱だった。そのころ、世は、アメリカン・ドリームをかきたてる好景気の一方で、ベトナム戦争が泥沼化し、一方では公民権運動が盛んになりつつある時代であったが、象牙の塔からの意識改革へのイニシアティブは余り感じられなかった。
医療倫理は、ナチの人体実験ならびに第二次世界大戦やベトナム戦争で核兵器や化学兵器の使用をゆるしたことへの反省から生まれたとの指摘もあるが、人体実験だけでなく、医療行為一般の倫理性という点では、アメリカにおけるインフォームド・コンセント判決に見られる司法の側のイニシアティブに呼応して、哲学、倫理学、法学の分野で患者や被験者の人権を理論的に裏付ける作業として始まったものと考えられる。
生命倫理も表裏一体の学問として同じ頃に始まった。生命倫理(bioethics)は、科学技術による生命や遺伝子操作などの倫理性を論ずる学問である。試験管ベービーや遺伝子治療の是非はその例である。それにたいして医療倫理(medical
ethics)は医療の現場における医師と患者の関係が考察の対象となる。薬品や医療器具の有効性を実験する際の被験者の扱いもこの考察に含まれる事もあり、時として、生命倫理と医療倫理の境界はあいまいである。ここでは医療倫理、とくに医師と患者の関係にしぼって考えてみたいと思う。
一般に倫理学とは、人の他者に対する行為について、何が善で、何が悪か、何が正しく、何が正しくないかをきめる基準となる原理を確立しようとする学問であるといわれる。アリストテレスの徳論やカントの義務論やJ.
S.ミルの功利主義がそれで、規範倫理学(normative
ethics)とも呼ばれる。
一方メタ倫理学(metaethics)は、倫理学で使われる用語の分析や議論の論理の検討に従事して、道徳や倫理の規範の内容には関わらない。20世紀欧米の哲学は実証主義の科学哲学や言語分析が主流であったから、ムーア(G.
E. Moore)を源流とするメタ倫理学が発達した。倫理学が「言語学的転換」(linguistic
turn)をとったといわれるゆえんである。[1]
エイヤー(A.
J. Ayer)にいたると、行為の善悪に関する発言は発言者の好みや感情の吐露に過ぎないとの趣旨でemotivismを唱えるようになる。[2] これをさらに発達させたのがスティーヴンスン(Charles
L. Stevenson)である。[3] しかしメタ倫理学は必ずしもその特徴を徹底させたというわけではなく、なんらかの実質的な提案を最後には行うという傾向もあって、ムーアやスティーヴンスンにもそれが見られるが、へーア(R.
M. Hare)のように、倫理的議論の論理構造から有効な議論(valid
argument)とは何かを説いた学者も功利主義を倫理的原理として標榜するに至った。[4]
倫理学説の一つである功利主義とは、動機論にたいして結果論であり、行為の結果が受益者の益あるいは快楽を最大限に実現すれば、その行為は正当化されると説く。欧米の臓器移植の推進論は明白に功利主義にたつ。一人が死んでそのままなら益価はゼロだが、その人の臓器が移植されて、死に瀕していた人びとが生かされれば益価が増す。死体をモノと考えれば功利計算がしやすい。
逆に命あるものは動物でも快苦を感ずるとして、功利主義者は動物の権利を説く。これに対して患者と医師の有機的な関係をテーマとする医療倫理では、功利主義が優先されることはなく、行為の相手の人格尊重という、功利主義とは逆の、行為の動機を重んずる立場が見直される。ただし、英米で人格とは環境と自己に対して意識をもち、自己の行為について何等かの意思決定をするものであるという条件づきなのである。
アメリカで誕生した医療倫理は、言語や論理分析の哲学とは無関係なのではなく、大いにその成果が取り入れられている。従来あいまいのままに使われてきた用語の定義付けを行い使い方を鮮明にする。現在医療倫理にたずさわっている学者の多くが分析哲学の出身である。患者の人格、患者のオートノミー弁護論もその言葉の分析が重要な部分を占めている。
医療倫理誕生のきっかけになった1950年代の後半以降の、医療ミス訴訟にたいする判決は、患者の人権、とくに医療における患者の決定権を認めようとするものであった。60年代はなお胎動期であったが、1970年になると、まず医療や生命科学における倫理の問題を扱うヘイスティングス・センター(The
Hastings Center)が設立された。その定期刊行物『ヘイスティングス・センター報告』(Hastings
Center Report)は、昨年20周年記念号を出した。所長のダニエル・キャラハン(Daniel
Callahan)は、最近も著書が日本語に翻訳されたが、今も健筆を振い、アメリカ各地で医療倫理、生命倫理のゼミやシンポジウムで講師を勤めている。それから、1978年には4巻の『生命倫理学百科事典』(Encyclopedia
of Bioethics)が出た。現在アメリカの大学哲学科では必ず、生命倫理、医療倫理のコースがあり、テキストも多種多様なものがある。
ミシガン州立大学の医療倫理
ミシガン州立大学の医学部における医療倫理の現状を紹介すると、医学部の倫理・人文センター(The Center for Ethics and Humanities)では、医師であり、哲学の学位をもつハワード・ブローディ博士(Howard Brody, MD, PhD)が所長である。ブローディ博士は偽薬(placebo)使用の倫理性を論じた博士論文を書き、その他多数の著作があるが、そのひとつは邦訳が東大出版会からでている。[5]
このセンターでは、ミシガン州の発展に寄与する目的で建てられた大学の伝統を尊重し、医療の現場に哲学・倫理学の成果を実践的に生かすべく様々のプログラムを組んでいる。3〜4人の常勤所員はみな哲学の博士号をもち、医学部、整骨医学部(College
of Osteopathic Medicine)、看護学部、哲学科に出講し、医療倫理や公共の医療政策、あるいは日本では医療概論に当たると言われる医療哲学(philosophy
of medicine)について講じ、インターン達に対して例えばインフォームド・コンセントに関する指導を行い、病院や地域のワーク・ショップ、生涯教育プログラムのセミナー等を主催している。
ここ数年ミシガンでは代理母、自殺機械など、倫理性が問われる事件が幾つか起こったが、所員達はそのたびに医療倫理学者としてマスコミに登場して意見を述べ、あるいは、州議会議員を通して医療関係法(ごく最近は遺言の生前中の効力を認めるリヴィング・ウィルliving
will法)の立法化に寄与し、州政府の医療行政にも関与している。ミシガン州立大学から遠くない州都ランシング市にたいしては、医療倫理上の助言を行う無料サービスを行っている。
医学部での医療倫理は1973年以来選択科目になっていたが、1981年になって必修科目となり医学部2年生に課せられている。10週30時間(一学期三単位)の割当てで、そのうち10時間が講義、20時間が小グループに分かれてのケース・ディスカッションである。主要なトピックとしては、識別能力のある患者の治療拒否、識別能力のない患者に代わっておこなう治療拒否、脳死、真実の告知、秘密の保持、障害を持って生まれた新生児の病気の治療にかんする決定、等である。
ミシガン州立大学哲学科の教授陣23-4人のうち、少なくとも7人が医療倫理を教えている。「医学における道徳的諸問題」(“Moral
Problems in Medicine”)は3〜4年次の学部学生のためのクラスでこれには法律予科(pre-law)、医学予科(pre-medicine)の学生達が多く受講していた。私はこのクラスで助手をつとめた。
その時のテキストは、John
Arrasほか著の『現代医学における倫理的諸問題』(Ethical Issues in Modern Medicine)第3版であったが、医療・生命倫理に関する類似のテキストは十指に余るほど出ている。担当のベンジャミン(Martin
Benjamin)教授はこの他に医療倫理関係の新聞記事集を配布し、またビデオも再三活用した。重度の火傷をおって無理やり治療されたことを遺憾とするダックス・コーワン(Dax
Cowan)が患者の治療拒否を認めるべきだとして、キャンペーンをしている様子を私達はビデオで見た。この教授は最近、主体性を保ちつつ妥協することの必要を説いた本を出版したが、このクラスでも学生に問題を提示して考えさせるのが主眼であり、そのためにケース・スタディーが重視されている。ここで学生たちが考えさせられる問題とは、結局、医師や患者を悩ます道徳的あつてき(moral
conflict or dilemma)なのである。納得いく解決の無い問題も少なくない。医療や医学は不確実な要素が多く、よかれと思ってしたことが予想通りの結果に結び付かないことも多い。問題の解消を試みる前に、それを批判的に分析するのが医療倫理の第一の任務と考えられている。
医療倫理の分析や議論の中でみえてきたことがある。その一つは医療や医学の不確実性ということである。もう一つは、不確実性を覆い隠す医学への過信が支えてきたところの医師の権威、裁量、医術が医療を支配してきた事実である。
病気に対する治療の意思決定のプロセスで悩むのは、一方的に医者側だった。病気の所有者たる患者はいわば不在だった。この様な事態が根本原因である場合には、問題の解消は、患者が願望や意思をもち、少なくとも自らの病気に関する決定については、その決定過程に加わるべき存在なのだと認めることが第一歩だということになる。しかし、これは患者観の180度の転回であり、人間の自由や独立性を前提にしなければ成立しない考えかたである。
とまれ、医師も患者もお互いに自分のやっていることが分かっていたら起こらなかったようなことが医療の現場で起きたのではないかと、意識の改革を迫ったというのがこれまでの医療倫理の成果といえる。そこで、いままでに医療倫理に登場した幾つかのキー・コンセプトを取り上げてみよう。
医療倫理のキーワード
@ パターナリズム
伝統的な医療行為を特徴付ける時に使われるが、仁医も不道徳な医師も等しくパターナリスティックというわけではない。悪徳医やにせ医者は断じてパターナリストにはなれない。パターナリズムを分析哲学の背景をもつ倫理学者達は3つの要素に分けて考える。[6] この語の由来はラテン語のpater=父であるから、父親の子供に対する態度に対応するものとみなされる。父は知識において子にまさる(“Father
knows best”)、父は子の利益のために行動する、父は子に関する事柄であっても子を意思決定に加わらせない。
それゆえ医療におけるパターナリズムは、医師の(1)知的権能、(2)医師の慈愛、(3)患者の決定権の無視、が3要素となる。有能な医師が患者によかれと思って、患者にはからず治療法を実行するのはパターナリズムである。慈愛深い医師が患者の生きる意思をくじかぬために病状を知らせないというのも、パターナリズムである。「善意のパターナリズム」という語はおかしい。パターナリズムは本来的に慈愛心に基づいている。この場合、マターナリズムとかparentismという語を同義語として使ってよいかという疑問がわくが、パターナリズムにはこの二者にはない権力構造が伴っている。医療を支えてき父権主義、家父長主義の考え方である。
相手を一人前の人格と見るのが現代人の正しい倫理的立場だとすると、この患者の決定権無視という点でパターナリズムは望ましくないものとされる。パターナリズムが正当化されるのは、患者が一人前の大人として冷静に物事を理解し判断し意思決定に加われないとされたときであるが、そうした能力(competence)、あるいは能力の欠如(incompetence)の基準はナにか、どのようにそれを測れるのか、が問題となる。相手が子供の場合パターナリズムは良き価値である。問題なのは、理解力があり人生航路の舵取りが出来る成人を子供扱いにすることである。
しかし、一般に自分のことであっても、我々は身体や病気のことを知らなさ過ぎる。医学について無知な患者は医師のパターナリズムを必要としている。それが患者の自律(オートノミー、autonomy)を確立するものである時、最もその真価が発揮されるのではないだろうか。であれば、医療界は患者を啓蒙して、自分の身体のことを理解しある程度病気の予防法をそなえ、さらに身体の自然治癒力に気付くように指導し、あるいは医学の最低常識を与えるという点ではもっとパターナリスティックになるべきだ、という論も成り立つ。
A オートノミー(自律、automony)
医師のパターナリズムにクレームが付いたのは、患者のオートノミーが注目されるようになってからである。過去20年ばかりの医療倫理ではオートノミー一辺倒の感があった。これはカントのAutonomie(自律)に起源をもつ。医療倫理ではオートノミーは、患者の自己決定権と同義語とされ、伝統的な医療の習慣にはなじまない、画期的なコンセプトと考えられている。
実際、患者にも治療について希望があり、選択肢があれば選んだり、拒否できるはずなのである。もちろん、オートノミーも絶対ではない。この権利を完全に行使したいなら、最初から医師・患者関係に入るべきではないのである。
一方、医師が診療を求めてきた患者のオートノミーを最大限に認めようとすると必ずディレンマに陥ることになる。できるかぎり患者の命を救い健康を回復するのを助けるのが医療行為の目的であり、善であり、最大の価値であるとするなら、医療に関する知識と能力に欠ける患者が選択権や拒否権を行使しようとしても医学の常識からして認め難いことが出てくるだろう。
例えば、拒否権でいえば、診療のための検査を拒否する、あるいは治療過程のある時点で今までの治療法の継続を拒否する、あるいは延命のための措置を拒否する、宗教的な理由で輸血を拒むといったさまざまのケースがある。
オートノミーは、患者の自己決定権といっても、このコンセプトには四つの意味がある、とある分析哲学出身の医療倫理学者はいう(Miller)。[7]
第一にそれは自発的、意図的である。他者の強制や圧力の結果でなければ自発的と言えるし、意識的な行為は意図的なのである。選んだり、拒んだりは意図的行為である。それと知らされずに医師に望まない薬を与えられるのはオートノミーに反する。自発的であることと知って行うことが第一義となる。
第二にオートノミーは、その人本来のものであることが条件となる。ある患者の選択が普段の生活態度や価値観と違うときは、額面通り受け取らず、その選択が心ならずも行われたものではないかどうか詮索する必要がある。人は一時的にその人らしからぬ、ふだんの価値観にもとる結論を出すことがないとは言えないからである。ここでパターナリスティックな配慮がなされていることに、注目したい。
第三にオートノミーは、選択肢について熟慮した上での意思決定に行使されるものである。自発的、意図的、本来的であっても、衝動的な、良く考えたすえでないものはautonomousな決断とはいえない。もちろん、熟慮の前提は正確な知識である。インフォームド・コンセントの必要条件も熟慮のすえになされる自律性に基づいた意志決定(autonomous
decision-making)としての同意なのである。しかし知識を持ち熟慮の末でなお人は破滅的な結果に導くかもしれない行為を選ぶかもしれない。その場合は効果的な熟慮とはいえない。
第四に、道徳的省察がオートノミーには不可欠なのである。他者との関わりのなかで道徳的価値を実現していくのだから、意思決定にそれらの諸価値への配慮を欠ことはできない。しかし、ここで道徳的価値が普遍的なものか、宗教や人種などに根ざす通約不能な価値なのかが大いに問題となる。エホバの証人たちの輸血拒否にどう対処すべきか。アメリカのオートノミー信奉者は、彼らの拒否は道徳的省察を経ていると考えられるゆえ認められるべきとする。
こうした考察はオートノミーを無条件に承認するのではなく、自律性に基づいた意志決定(autonomous
decision-making)が可能になるために一時的に条件をつけて、見せかけのオートノミーをしりぞけるパターナリスティックな配慮とみなすことが出来る。J.
S.ミルは知らずに壊れた橋を渡ろうとする人を制止するのは相手の自由を侵害することにはならないといったが、無知や無思慮や忘我状態ではオートノミーを行使出来ないと指摘することは、真の良きパターナリズムといえようか。
オートノミー判定はときには裁判所を巻き込み、法的判断を仰ぐと言うことになる。権利意識が政治や司法の世界で生まれ倫理学や哲学がその裏付け作業をしたように、医療におけるディレンマの解消にも法との関係を無視するわけにはいかない。オートノミーは法的に認められるべき権利なのである。
B インフォームド・コンセント
この語は、1957年の医療ミス事件の判決文の中で、カリフォルニア上訴裁判所のブレイ判事が最初に使ったものである。その後数年間、アメリカ各地でインフォームド・コンセントを扱った判決が続き、それに呼応して、法学、哲学、倫理学の分野でこの新しいコンセプトの理論的裏付け作業が行われ、インフォームド・コンセントに関する法原理(the
legal doctrine of informed consent)が確立されたが、まさに、この過程の中でアメリカの医療倫理が誕生したのである。
このインフォームド・コンセント法原理とよばれるものは、一般に、医師には二つの義務、すなわち患者に診断や治療に関して適切な情報を与え、その同意を得る義務がある、と明言する。これは法的原理についてであって、インフォームド・コンセントの法原理と倫理的理念とは別物と考えられる。その違いの一つは、前者が医療過誤の既成事実を前提として、説明と同意の間の因果関係(material causation)を確定しようとするのに対して、理念は未来思考であり、患者の理解を重んじ、患者の決定権を尊重することは納得のいく医療に導くという信念にたつ。
アメリカの法律でも日本の法律でも「同意」条項は古くからあった。しかし、アメリカでコンセント(同意)が「インフォームド」(informed)という条件つきになったのは、1957年以来のことである。それ以前は「必要にして十分な説明」を受けずに行う同意は、無意味であることが十分理解されていなかった。ところが「インフォームド」コンセントになった途端に矛盾が出てきた。
ブレイ判事の判決文の中で、すでに、医師は「いかなる事実」たりとも、「それを隠せば法的処罰の対象になる」と述べた直後に、説明の規模については、「医師の裁量を認めねばならぬ」と述べられている。
こうして、これ以後のインフォームド・コンセント判決の歴史をたどると、本来意図された、患者の窮状を救い、患者の治療に関する決定過程への参加を促進するという目的に反して、医師の説明と患者の同意、および患者の同意と被害との間の因果関係に重点が置かれ、説明の基準を何に置くかによって、医師の法的責任の軽重が変わってくるところから、その基準の論議に多くが費やされることになった。
説明の基準としては、医学界、医師会の常識・慣例と医師の裁量のみを重んずる「医師中心基準」と、患者側に焦点を当てた「患者中心基準」がある。後者はさらに、客観的基準と主観的基準に分けられる。客観的基準というのは、抽象化された一般的な患者にとって必要な情報である。が、主観的基準は、一人一人の患者は異なる病の歴史と価値観をもつので異なった対応と説明が必要だとする。1972年から1978年までのアメリカの法廷では、その半数が「客観的患者中心基準」を採用したが、「主観的な患者中心基準」はほとんど顧みられなかった。
インフォームド・コンセントの法原理と理念の違いとして、理念は患者の理解を重視すると述べたが、確かに理解というのは法的には確定しにくい観念である。患者は同意するに当たって、あるいは意思決定過程に参加するに当たって、医師の説明を十分理解したか、自分が何をしようとしているかが分かっていたかなどは、インフォームド・コンセント法原理に盛り込むことはできない。
しかし、日本医師会がおこなったように、「説明と同意」と訳されると医師・患者双方の行為がすれちがい、十分な意思の疎通は期待されていない。“to
inform”とは情報を伝達するという意味だが、“to
persuade”が実際に相手が説得されるか、その可能性がなければ使われないと同じく、必要・十分な情報を与え、それが相手に受け入れられたときはじめて“to
be informed”となる。それゆえ、インフォームド・コンセントとは説明を受けるだけでなく、「説明内容を良く理解し熟慮し、意味をよくわきまえた上での同意」ということになる。説明を受けるのも、同意を与えるのも、分かっていなければ、そして自発的でなければ無意味な行為なのである。
しかし、理解する、分かるというのはどういう意味なのか。「分かる」は「分ける」であるとするのは分析哲学者の「理解」である。科学哲学においては、アトミスティックな実証主義への反省からクワイン(Quine)流のホーリズム(holism)が出てきたが、社会科学や人文学のなかでも、人間の行為を共同体や歴史のなかに位置付け、意味を探るという姿勢が注目されるようになった。その動きは主として大陸の哲学から出てきたが、英米哲学のなかからも対話(dialog)を重んじ、コミュニケーションの中で、相手の願望や必要を確かめつつ、相手を理解し、相互の同意や意見の一致を計ろうとする動きが生まれた。同じ事を違った表現に変えると、インフォームド・コンセントのモデルとして、イベント・モデルとプロセス・モデルがあると指摘されている。[8] 医師が形式的に説明し、患者がコンセント用紙にサインするという一時的行為と見なすのが前者である。法原理(legal
doctrine)はほとんどこの域をでない。後者は医師と患者の交流を「過程」として捉える。医師の説明を一方的に受けるだけでなく、患者は積極的に質問し、医師も正直に対応し、患者の必要や願望によく耳を傾ける。カッツ(Jay
Katz)の提唱するインフォームド・コンセントの対話モデルが、まさにこれである。[9] 対話は相互理解のためである。ここでは医師の裁量権も患者の自己決定権も、改めて主張される必要がない。意思決定は両者の共同作業だからである。
Jay Katzの対話モデル
カッツは、エール大学の法学部で長年教鞭をとってきたが本業は精神科医である。新薬などの人体実験を主題にした『人体実験』(Experimentation
with Human Beings)という大部の共著のほか、インフォームド・コンセントに関する論文で注目されていたが、1984年には『医者と患者の沈黙の世界』(The Silent World of Doctor and Patient)という著書を発表、注目を集めた。それ以後発行された医療倫理関係の著作には、必ずと言っていいほど言及されている。
カッツはこの書のなかで伝統的な医療の世界を「沈黙の世界」と特徴づける。ヒポクラテスも患者にはほとんど隠しておくようにと忠告したが、患者の病を癒すという尊い使命感があって、患者の意気を阻喪するおそれのあることは一切いわないのがつとめなのであった。ここには診断や治療に関する一切の決断を一人で行う孤独で悩める医師の姿が浮かび上がってくる。
しかし今世紀の後半におこったこのインフォームド・コンセントへの動きは、この決断を患者と共有する必要に気付かせた。決断あるいは決定の共有は、行為の結果についての責任も分担することになる。カッツはここでもちろん、不注意なあるいは悪徳な医師の行為の結果に患者も責任をもつといっているわけではない。そうではなく、医師が正直にすべて必要なことを述べ、患者も自分の来歴や希望を述べ、お互いに質問と答をやり取りし合ううちに、何がもっとも適切な道かが見えてくる。そして納得のいくやり方で診療が行われれば必ずや病の治癒にも役立つであろう、そして、たとえ結果がはかばかしくなくても損害賠償の訴えにいたることはないだろうというのである。
ここで肝要なのは対話の必要性である。患者は自己決定権があるといわれながら、それを行使する術を知らない。それは一方的に行使することのできない権利である。自己決定権は共同決定においてのみ意味がある。また沈黙の世界では、医師はただ患者を子供扱いにし、患者は医師を万能の癒し手とあがめるのみで、お互いがお互いに対して無知のままである。医師も患者とおなじ生身の人間であることが隠されている。
対話によれば、お互い同士理解し合い、パターナリスティックなタテの関係か、利害の対立する敵対的な(adversarial)関係から脱却できるようになる。そしてよい決断の共有(shared
decision-making)に導かれるだろう。その際、対話を始めるのは医師のつとめである。インフォームド・コンセントは対話の裏づけがあって始めて、本来の意味が実現できる。そこでは沈黙の関係ではなく、信頼の関係がなり立つ。以上がカッツの趣意である。
では、80年代になってなぜカッツはこの本を書いたのか。インフォームド・コンセントが、その元来の趣意どおりにおこなわれていないことに対する焦燥の念にかられたのである。カッツはインフォームド・コンセントは「おとぎ話」(fairy
tale)か、「夢まぼろし」(dream-like
quality)に過ぎないのかと嘆く。インフォームド・コンセントが前述のように法廷で説明モデルの論争に堕し、州議会では医師会の圧力をうけて、とかく医師に有利なインフォームド・コンセント法が作られたのが70年代であった。医療の現場からはコンセント用紙にサインさせようとして、意識朦朧の患者に迫る医師の姿も報告された。70年代初め頃の医療ミス損害賠償訴訟ラッシュと、高額の保険料で医師が危機感を募らせ、廃業した人も少なくなく、理念と現実の乖離がはなはだしい。たしかに、インフォームド・コンセントの倫理的理念が実現するには、それなりの基盤が必要である。日本の大病院のように3分間診療では対話は期待できない。アメリカでも7、8分といわれている。しかし時間があった時でも「沈黙の世界」だったわけで、時間の欠如だけが問題なのではない。
カッツの主張は「沈黙の世界」に<ノー!>を突き付けるラディカルなものであったから、医療教育を担当する人たち、また医療倫理に携わる人びとにも両手で受け入れられたという形跡はないようだ。今ときおり賞賛されているのは、「全人的医療」(holistic
medicine)とか、「語りかける医療」(narrative
medicine)と名付けられ、伝統的な「沈黙の医療」(silent
medicine)へのオルタナティヴと目される。前者は医師が患者の全人的治療を目指し、後者は患者の話に耳傾けてより適切な治療法を得ようとするアプローチである。
カッツの「会話医療」(conversational
medicine)あるいは「対話医療」(dialogical
medicine)はそれら二つの側面を包含する。しかし、そこにはまだ意思決定過程で、一方的に決める権威主義的医師と医師に任せっぱなしの子供のような患者がいる。「決断の共有」(shared
decision-making)を旨とする医療は、これらの段階を超えたものということができる。
実際にカッツの考え方が無視されるどころが根をおろし始めたことは、彼の著書の発行2〜3年前に、公的な場で起こった事態から見てとれるのである。
大統領諮問委員会の意味
アメリカではインフォームド・コンセントは、単にキー・ワードにとどまらず制度として法制化された。すべての州でインフォームド・コンセント法があるわけではないが、判例法として機能している。医療倫理は司法の世界からの刺激で生まれたが、医療倫理の成果を法律で裏打ちしようとする動きと共に、倫理の問題を公開の場で討議しようとする空気が生まれた。近代民主主義の理論のなかには何事も人民の意思によって決めようとする思想があるが、生と死の問題も例外ではなく、脳死やインフォームド・コンセントや診療拒否の取扱いも討論の対象となる。
カッツの主張が反映されているのは、80年代初めに医療と生命倫理の分野でおこなわれた大統領諮問委員会の公開審議と、その後発行された大部の報告書である。脳死と臓器移植に関する報告書につづいて、インフォームド・コンセントに関する報告書が三分冊で出た。[10] 審議の報告は第一分冊にまとめられているが、著者は、他の著述から察するところ、事務局次長のひとりアラン・マイゼル(Alan
Meisel)だと推定される。弁護士で局長のアレクサンダー・ケプロン(Alexander
Capron)共々カッツの薫陶を受けたということである。
この報告書の中で、カッツの主張は、患者を子供扱いせず、大人として対話のなかで対等に話し合い、意思決定過程の共有をはかることがインフォームド・コンセントの目的である、として再三引用される。「決断の共有」(shared
decision-making)は、この報告書のスローガンになっているのである。
ひるがえって、日本の事情と比較すると、大統領諮問委員会のやったことの意味が明らかになると思う。日本医師会の審議会がインフォームド・コンセントに関する報告書を昨年1月に出したが、患者の自己決定権に言及してはいるものの、患者には、治療法について医師に指図する力はないと断定する形で、結局は患者の自己決定権を退け、「説明と同意」と訳してインフォームド・コンセントの内容を空洞化しているように思われる。
さらに、伝統的なムンテラの効果を力説するなどは、民主主義の伝統の違いであろうか。脳死臨調も多くが非公開であるから、国民のコンセンサスを得るという成果は期待できないだろう。
脳死は全体の死の1パーセントに満たないのに対して、誰にでも起こり得る医師・患者関係の改善については公共の場で討議が行なわれるとも聞いていない。倫理委員会も非公開がほとんどで委員も外部の人が少なすぎる。審議内容も脳死や臓器移植など公的見解の出る前に既成事実を作ってしまおうとする意図がみられる。
大統領諮問委員会の審議過程そのものは、日本が模範とするにたるものであったが、その報告書が、アメリカにおいても広く読まれたというわけではない。医師もこの報告書の内容を踏まえたインフォームド・コンセント教育を、必ずしも受けているとは限らない。理想的には、この教育は身体や健康管理についての教育とともに、小中学生の時点で始められるべきと思う。正しい判断を持つための患者教育が必要なのである。
医師も患者も科学技術がもたらす大きな変化に対処して、ディレンマに陥り苦しまないために備えをしておくべきなのだろう。しかし現実に生死を分ける大問題が我が身に、あるいは親しいものにふりかかったら、カウンセラーや有識者にアドバイスを求めたくなるだろう。それに法と倫理が顕在化した今日、自分一人だけの判断でことを決めるのは社会のルールに触れる恐れがある。というわけで近年アメリカでは医療倫理コンサルタントという新しい職業が誕生した。
倫理コンサルタントとは
医療倫理の分野から、「倫理コンサルタント」(ethics
consultant)という新しい名称の職業が誕生した。「病院倫理士」(hospital
ethicist)あるいは「臨床倫理士」(clinical
ethicist)とも呼ばれ、病院倫理委員会のメンバーとなり、医療の現場で困難な問題が生じた場合の意思決定の際の相談役にやり、アドバイスを与え、また病院の経営政策決定の際にも進言したりする。
大学で医療倫理を教える教授がこのポストを兼務することもあるが、医療倫理で博士号をとった人がキャリアの最初に就任することもあるようである。その場合には当然経験の度が問題になる。上述したミシガン州立大学医学部医療倫理センターの二年ほど前の紀要には、採用の前に彼らの質を厳しく問う必要があるという記事が出ていた。
全米で300人程いる「倫理コンサルタント」の一人ルス・マクリン(Ruth
Macklin)の本職は、アルバート・アインシュタイン医科大学の生命倫理の教授であるが、学位は科学哲学の分野でとった。彼女は『生死を分ける選択』[11] という著書のなかでも、また昨年8月の『ニューヨーク・タイムス・マガジン』[12] の記事のなかでも「病院倫理士」としての経験を述べている。
この雑誌記事によると、今まで関与した何百というケースのなかで、どれが最も難しかったかと聞かれた彼女は、一瞬考えた後、ある出産間際の産婦の話をした。逆子で、胎児の片足がもうぶら下がって出ていたので、帝王切開の必要があったが、産婦は「エホバの証人」の信者なので、輸血を必要とする手術は受けられないと拒否した。しかし、彼女とは別の人格が誕生しようとしており彼女のオートノミー行使を絶対として認めるわけには行かないとして、医者は裁判官を呼び説得につとめた結果、産婦はついに折れて帝王切開が行われたのだった。マクリンが、悩んだ医師達から相談を受けたのは一週間ほどたってからだった。これは胎児と母親の権利が衝突した例である。彼女も医者達も悩んだのは、この産婦の拒絶権を無視せねばならない事態であった。
マクリンによると、「倫理コンサルタント」の役割は答えを出すことではなく、問題を分析し、解釈し、ディレンマの解消のために、また倫理的に正しい医療行為を行うために、いかなる倫理的原理が適用できるかについてアドバイスを与えることであるという。病院の中には、「倫理コンサルタント」に相談しなければならない問題は一切ないと言切る医師もいて一方ではうっとうしがられる存在でもある。しかし他方では医師が「倫理士」の助言を求めて来ることが益々多くなっている。
延命術、救命術の発達で生死の定義が変わってきたのに、医師も患者も意識が変わらないなど、カッツのいう対話モデルの実現を許さない事情もあり、医療倫理の成果は必ずしも顕著ではない。それでも患者の人権を尊重しようとする若い医師達と、旧態依然の老医師たちのあつれきが起こっていることをマクリンが報告しているのは医療倫理教育の良い成果ともいえる。
「倫理コンサルタント」は、答えを出さないといっても基本的には民主的医療の信奉者である。患者や家族の人権を守り、また意思決定過程に参加できない患者のために医者が苦悩するとき相談にのって、倫理的決断を行うのを助ける、という役割を果たしているのである。
以上、過去20年ほどのアメリカにおける医療倫理の動きを概観したが、最後に一言付け加えたいことがある。
日本の医師の中には、これからの医療は仁術ではなく科学であり、医師と患者は医療の売り手と買い手に徹するべきだ、というような意見を支持する向きもある。確かに、アメリカには医師・患者関係を契約主義的にとらえる見方はあるが、かならずしも有力とはいえない。科学万能主義は人間を無視する恐れがあるという反省が、アメリカ医学界にも根強くあるからだと考えられる。
医学や医療の不確実性の認識から、カッツのように、結果の負担をともに分かとうという考え方は、相手を十分に認めることと表裏一体をなしている。契約主義は一見対等の人間関係に立つと見られようが、患者のほとんどが知的にも精神的にも自立していない現状では、相手の人格を認めるよりは、相手を突き放すことになってしまう。
先程のパターナリズムでも触れたように、患者のオートノミー確立を助けるという意味では、医療は今でもまたこれからも仁術である。たまたま、アメリカで私のかかった医師は皆良く話を聞き、非常に良く説明し、あるときは雑誌の論文をコピーしてくれた。アメリカの医師の科学技術信仰は今も根強いが、医師と患者の良い関係があれば人間中心の医療が確立されるものと信じている。
* 岡本珠代 Associate Professor, Minnesota State University System—Akita Campus, Akita
[1] Kerner, George. The Revolution in Ethical Theory. Oxford: Oxford University Press, 1966.
[2] A. J. Ayer. Language, Truth, and Logic. London: Gollancz, 1936.
[3] Stevenson, Charles L. Ethics and Language. New Haven, CN: Yale University Press, 1944.
[4] Hare, R. M. The Language of Morals. Oxford: Oxford Univ. Press, 1952.
[5] Brody, Howard. Ethical
Decisions in Medicine. 2nd ed. Boston: Little, Brown and Co., 1981.(邦訳は東大出版会『医の倫理』)
[6] Childress, James. Who Should Decide? Paternalism in Health Care. Oxford: Oxford University Press, 1982.
[7] Miller, Bruce. “Autonomy and the Refusal of Lifesaving Treatment,” Ethical Issues in Modern Medicine. 3rd ed. John Arras, et al. Mountain View, Mayfield Pub. Co., 1989.
[8] Appelbaum, Paul S., Lidz, Charles W., Meisel, Alan. Informed Consent—Legal Theory and Clinical Practice. New York: Oxford University Press, 1987.
[9] Katz, Jay. The Silent World of Doctor and Patient. New York: The Free Press, 1984.
[10] President’s Commission for the Study of Ethical Problems in Medicine and Biomedical and Behavioral Research. Making Health Care Decisions. 1982.
[11] Macklin, Ruth. Mortal Choices. Boston: Houghton Mifflin Company, 1987.
[12] Bouton, Katherine. “Painful Decisions—The Role of the Medical Ethicist”. The New York Times Magazine, Aug. 5, 1990.