ポウの偶合―文学と歴史の接点
(Poe’s Coincidences: An Intersection of
Literature and History)
Kii
Nakano*
SUMMARY
IN ENGLISH:E.
A. Poe’s favorite use of the word “coincidences” in his short stories has a
close correlation with the formative years of American history. While he was a
student at the University of Virginia, its founder, Thomas Jefferson, died. The
date was of historic significance. It was the Fourth of July, 1826, which
marked the 50th anniversary of the Declaration of Independence. What should
have been an occasion for joy became a day of sorrow. And Poe was to be found
among the mourners. It was all the more impressive by reason of the fact that
on the same day, one of the cosigners of the Declaration of Independence, John
Adams, also died. These coincidences left an impression on the consciousness of
the American people. Five years later, again on the Fourth of July, James
Monroe died.
This succession of
remarkable coincidences gave rise to the increased currency of the word “coincidences”
which was originally used as a mathematical as well as an astronomical term.
The word took on a new meaning, which Poe exploited in some of his best short
stories, such as ‘The Assignation’, ‘The Fall of the House of Usher’, ‘William
Willson’, ‘The Gold-bug’, ‘The Murders in the Rue Morgue’, and ‘The Mystery of
Marie Roget’. “Coincidences” is not merely his favorite word but also the
substance which makes those stories what they are. Poe as a short story teller
is haunted by “coincidences”. He highlighted the word and by his genius
elevated it to the status of an important literary term. Poe’s use of it is
characterized by the same peculiarity that characterizes those historic
coincidences revealed in the history of the American Revolution.
The coincidental deaths
of Adams, Jefferson and Monroe became a source of inspiration for Poe. It is
upon this pattern of coincidences that the stories here discussed are found to
be modeled. The author didn’t let the coincidences appear directly in ‘The
Assignation’, but the simultaneous deaths of the hero and heroine at different
places testify to the concealed pattern. ‘The Fall of the House of Usher’
depends upon the pattern with a yet more intensified tragic effect. The major
characters are related here as sister and brother rather than lover and
beloved. In ‘William Willson’ coincidences come together in the form of a
genuinely allegorical pattern. At its deepest level this piece of work can
engage the reader’s moral concern. Through ‘The Gold-bug’ Poe proves that
coincidences can be humorous enough to make a comedy.
In the 1840’s Poe’s treatment of coincidences entered a new phase as can be seen in ‘The Gold-bug’. Until this point the major characters reacted to coincidences emotionally or morally. In his new phase Poe has his heroes react to coincidences in terms of pure reason. This shift of emphasis in the use of coincidences results in making Poe the inventor of what we call detective stories. The important point here is that Poe finds justification of coincidences in the theory of probability. This clearly shows that Poe is an heir of the American Revolution, which went hand in hand with the Probabilistic Revolution in that age.
ポウの短編小説の主題に偶合がある。偶合を主題であると明らかに断った作品は一篇しかない。しかしそう断らなくとも偶合を主題にしていると読み取れる作品が彼の傑作中に多い。偶合はポウにとって単にお気に入りの言葉ではなかった。それは彼にとって実体であり、闇を照らす真理であった。したがって彼は偶合を主題と断ると断らないとに関わらず、作品の中で堂々と使った。偶合は彼のテキストの上に輝く言葉であった。ポウ読解のため偶合という言葉の重要性は自明である。しかし多くの、というより総てのポウ学者たちは彼についての真理を捜してテキストを深読みしたのである。彼らは読者を峡谷の奥底に導いたが、偶合が光を放つ山頭に登って見せなかった。後代のこうした喜劇的な状況を予見するかのごとき言葉をポウは残している。
Thus there is such a
thing as being too profound. Truth is not always in a well. In fact, as regards
the more important knowledge, I do believe that she is invariably superficial.
The depth lies in the valleys where we seek her, and not upon the mountaintops
where she is found.[1]
(深く見過ぎるということがある。真理の女神が鎮座するのは水底と限らない。事実、知識が一段と重要性を帯びた場合、これは私の確信なのであるが、彼女は決まって地表に出現する。深いのはわれわれが彼女を捜す峡谷なのであって、彼女を発見する山頂ではない)
異教のイメージをもつ真理の女神に不思議な懐かしさを感じるとすれば、それはポウの言葉が人口に膾炙している聖書の文句を無意識のうちに連想させているからである。マタイによる福音書5章14節にいう。
You are the light of the
world. A city set on a mountain cannot be hidden.
(あなたがたは世の光である。山の上にある町は隠れることができない)
言葉の厳密な意味でポウに偶合の光をあまねく輝かす山が存在した。その名はMonticello。研究社の新英和大辞典第5版では米国Virginia州中部、Charlottesville付近にあるThomas
Jeffersonの旧宅地国有記念物と記述するに先立って地名の原義を掲げている。いわくlittle
mountain。ポウが僅か一年足らずしか送ることのできなかった大学生生活の間にMonticelloでは全アメリカを呑み込んだ歴史的な偶合のドラマが演ぜられた。
本稿の目的はこのドラマが当時17歳であったポウの意識に影響すべくどのような条件を整えていたか、そしてどんな偶合のドラマが追い討ちをかけるように起こってポウの偶合信奉を完全にしたか、彼がアメリカの歴史を通して学んだ偶合の感覚がやがてどのように彼の文学的な感覚に変容し、彼が短編小説家として世に作品を問うた時に生かされたかをたどることである。たどりきったところで、かつて『七人のポウ』の著者ダニエル・ホフマンが提出してアメリカの民主主義はポウに何をしたかという質問[2]と逆の質問を本稿がしていたことが明らかとなる。それは「小説家ポウがしたアメリカ革命への返礼は何であったか」という質問である。本稿はその問いに対するひとつの答えである。
1
1826年、アメリカでは50周年の独立記念日を迎えるべく盛大な式典の準備がなされていた。独立宣言の起草者であり、三代目の大統領を務めたトマス・ジェファーソンに出席を求める招待状が届けられたことはいうまでもない。しかし余生をヴァージニア大学の設立と運営に賭けたMonticelloの賢人[3]は病臥の床にあった。彼は欠席の返事を送ることを余儀なくされた。そして奇しくも7月4日の記念日当日「アダムズはまだ生きている」を最期の言葉としてアメリカ革命の大立者は長逝した。ヴァージニア大学は深い悲しみに包まれた。葬儀には全学こぞって出席し、二か月間喪章をつけることが決議された。[4] ポウはそのとき同大学に一年生として在学していた。26年の2月に入学し、12月にはもう退学しななればならない短い期間中にたまたまポウは大学の創立者の死に際会したのである。しかもジェファーソンがまだ生きていると思った革命の同志、二代目大統領のジョン・アダムズは実はその数時間前に亡くなっていた。こうして独立宣言文にいっしょに署名した二人の偉人は、その50年後同月同日に他界した。この知らせがアメリカ人に与えた感銘の深さは想像するに余りある。[5] 申し合わせをしたような偶合に神の摂理を感じたのは当時の大統額クインシー・アダムズばかりではなかったであろう。アメリカ人の意識に長く作用した1826年の偶合にポウは無縁であり得なかっただろう。それは彼の意識下に沈潜したと考えられる。そして1831年それを彼の意識の上に浮かび上がらせずにおかないもうひとつの偶合が発生した。26年から31年に至る歳月は短い。そしてこの間の5年は彼が文学者としての基盤を培う期間であった。1831年、5代目大統領だったジェイムズ・モンロウが亡くなった。しかも月日は7月4日の独立記念日であった。モンロウ・ドクトリンで有名な彼は、いわばジェファーソンが手塩にかけた政治家である。この偶合はヴァージニア育ちのポウにとってまざまざと大学生時代の出来事を思い出させたに違いない。ポウが偶合を一連の事件と見るのはその体験からきている。ポウにとって偶合は時間の流れに沿って次々に起こるものである。そして初めに起こったのを第一次の偶合、後に起こったのを第二次の偶合と呼ぶならば、彼の意識の中の偶合は時の流れに沿ったもので、その順番は無意味でない。こうしてポウの偶合は単数でなく複数となる。
文学者と限らず人間は偶合に対して鋭敏に反応する型と鈍い反応を示す型とに分類される。作品を調べてポウが前者の型に属することを証明する作業も本稿の目的の中に含まれている。では何故ポウは前者に属するか。この問題に正解を与えようとするなら、ポウは鋭敏に反応する資質をその両親から伝えられたものではないかと推察するのが至当である。彼の父がアイルランド系だった点が考慮に入れられる。そして母ともども旅役者であったことは当然問題に関係してくる。シェイクスピアは彼らの所属している劇団の演目に入っていた。1808年のボストン公演に母エリザベスはオフィリアやコーデリアの役で出ている。[6] 稽古の場で、あるいは本舞台の袖でハムレットの台詞を聴くのは彼女の仕事の一部であった。あの有名な台詞「雀が一羽落ちるのも摂理」など諳んじていたことであろう。シェイクスピアの語彙を捜しても偶合coincidenceは見つからない。今日なら偶然の一致つまり偶合coincidenceというところを彼は偶然chanceによって表現している。そもそも古代ギリシャ悲劇の時代からずっと偶然が偶合の役割を兼ねた。[7] そしてシェイクスピアの作劇術の中で果たした偶然の役割は大きい。偶然は偶合を多く含んでいる。母エリザベスは偶合に対する反応を喜怒哀楽によってさまざまに表現したことであろう。息子のポウが偶合に対して鋭敏に反応する資質を豊かに受け継いだとしても驚くに値しない。ポウは作品の核心に偶合を設定することによっていくつもの傑作を書いた。作中人物の主役たちは鋭敏な反応を偶合に示した。それは彼らがポウの分身であるから当然といえる。彼らの姿を借りてポウは偶合に対する自らの情緒的な反応を再現しているがごとくである。偶合は彼らを茫然自失させ、暫くはその理性の働きを奪う。偶合は彼らを戦慄させ、恐怖に陥れる。その眠れる良心を目覚ませる。彼らが偶合のためもたらされた精神の麻痺状態から立ち直るとき、瞑想的な思想家に変身してさらなる真理の発見に向う。偶合は本稿の眼目をなす言葉である。そして本稿は偶合がポウに関連して本格的に取り上げられる最初の論文である。したがって論が偏跛に陥るのを避けるべき慎重さが偶合という語の扱いに一段と必要とされるので、その語義の歴史に一瞥を与えておこう。そのために良い資料を提供してくれるのがウィリアム・マシューズの『言葉―その正用と誤用』である。その中の「細心の注意を要する言葉」と題された一章に偶合が取り上げられている。まず著者は偶合が数学用語であったと述べる。彼が古代ユークリッド幾何学の概念をいっていることが分かる。中世において偶合が天文学用語であった事実ははしょられている。そして近世においてつけ加えられた新しい語義について以下のように記述する。
The word was soon
applied figuratively to identity of opinion, but, according to Prof. Marsh, was
not fully popularized, at least in America, till 1826. On the Fourth of July in
that year, the semi-centennial jubilee of the Declaration of Independence,
Thomas Jefferson, the author of that manifesto, and John Adams, its principal
champion on the floor of Congress, both also Ex-Presidents, died; and this fact
was noticed all over the world, and especially in the United States, as
remarkable coincidence. The death of Ex-President Monroe, also, on the Fourth
of July, five years after, gave increased currency to the word.[8]
(この言葉は間もなく比喩的に意見の一致を言い表すのに適用された。しかしマーシュ教授によれば、この言葉が広く一般化するのに、少なくともアメリカは1826年まで待たなければならなかった。独立宣言の50周年に当たるその年の7月4日、宣言文の執筆者のトマス・ジェファーソンと国民議会第一の闘士ジョン・アダムズ、つまり二人の元大統領が他界した。この事実は世界中で、特にアメリカで驚くべき偶合と評された。また5年後の7月4日におけるモンロウ元大統領の死以後、偶合という言葉はいっそう用いられるようになった)
マーシュ教授とはアメリカの言語学者、外交官、政治家で、特に言語学について論文、著書の多いジョージ・マーシュ(1801-82)のことである。Coincidenceに偶然の一致つまり偶合の意味が加わったのは近世であり、その変化に拍車をかけたのがアメリカ革命のため戦った三人の同志であった。こうしてそれは学術用語から日常用語までの語義をもつ底辺の広い言葉となった。ポウは彼の短編小説で偶合を主題として取り上げることによりcoincidenceを文学の言葉にまで高めたといえる。余人ならぬポウにそれが可能であったのは、彼が歴史と文学の接点を把握していたからである。
2
ポウが1834年に発表し、彼の短篇集が編まれるとよく採録される短篇「約束」は偶合の角度から見直されなければならない。[9] この作品のテキストのどこにも偶合の語が見当たらなくとも、その必要性は偶合を謳っている作品の場合よりもむしろ強い。何故ならば緊密に結びついている二人が空間的に離れていても、時間的にはほとんど同時に死の国に旅立つという型を踏まえている点では、ジェファーソンとアダムズの摂理的に演じた偶合のドラマに最も近い作品だからである。しかも二人の元大統領の偶合劇の5年後に再現されたモンロウ元大統領の偶合劇の3年後に「約束」は発表されている。しかも「約束」は、第一次偶合と第二次偶合の組み合わせの点で、1840年代に入って完成させる彼の偶合を主題にした作品の基本的型をすでにはっきり表している。連鎖的に生じた偶合劇の原形があまりにも身近な自国のMonticelloにあったため、それに気付かない研究家たちはかえって外国文学に材源を求めてゴールドスミスの『ウェイクフィールドの牧師』中の挿話[10]やホフマンの『セラーピオン朋友会員物語』中の「ヴェネツイアの総督と総督夫人」[11] にまで調べの範囲を拡げた。比較文学的にいってそれらの調査から教えられるところはある。しかし自国の歴史的な出来事がポウの偶合感覚を養う基盤であったことに気付いた上で初めてそれらの調べは有効性をもつことになるであろう。ゴールドスミスの挿話にも「ヴェネツイアの総督と総督夫人」にも偶合の連鎖はある。しかし二人の主人公が場所を隔てて同時に死ぬという展開にはならない。ではテキストの中の偶合と死との絡み合いを簡単ながら確認しておく。
ヴェネツイアの運河にある若い侯爵夫人が抱いていた子供を取り落とした。彼女を恋していた若者がゴンドラから身を躍らせて水に飛び込み、危ういところで子供を救い、母親の侯爵夫人の手に返した。その時に語り手にしか聞き取れないほどの声で二人の間に言葉が交わされた。侯爵夫人は館に姿を消し、語り手は友人である若者の屋敷に呼ばれてもてなしを受ける。室内に飾られている古典様式の美術品の説明を聞いているうちに夜が明けようとするところへ侯爵夫人が毒を仰いで死んだという知らせがもたらされた。驚く語り手の目の前で同時に美の愛好家である夫人の恋人も生き絶えて横たわる。
子供が運河に落ちた時、そこに若者がたまたま居合わせるのが第一の偶合だとするならば、第二の偶合は時を同じくし、場所を違える二人の死である。そして語り手は偶合の目撃者として設定される。あたかもジェファーソンがMonticelloで逝去した時、ポウがヴァージニア大学に居合わせたようにである。彼の役目はそれを感動的に伝えることだ。そして万人が感動するためにははんの少しの時間差で亡くなる作中人物はジェファーソンやアダムズのように有名であることが望ましかった。ポウは語り手にその条件を満たさせる。
As an instant afterward,
he stood with the still living and breathing child within his grasp, upon the
marble flagstones by the side of the Manchesa, his cloak, heavy with the
drenching water, became unfastened, and, falling in folds about his feet,
discovered to the wonder stricken-spectators the graceful person of a very
young man, with the sound of whose name the greater part of Europe was then
ringing.[12]
(忽ち彼はまだ生きて呼吸している子供を抱きかかえ、侯爵夫人と並んで敷石の上に立った。彼のマントは重たげにぐっしょりと水を含み、ボタンが外れ、足下に落ちて折り重なった。すると見物人は皆驚いた。誰あろう、彼こそはヨーロッパのほぼ全域にその名の轟いているあの優雅な貴公子であった)
この貴公子のモデルをバイロンと同一視するのが通例であって、そのこと自体に間違いないが「約束」中のバイロン崇拝はジェファーソン崇拝の変形ではなかったかと疑いを挿むほどの冷静さが研究者の側に要求されるのではなかろうか。偶合劇の演者としてはどう見てもバイロンはジェファーソンにかなわない。まるで「機械仕掛けの神」のような貴公子の出現に驚く観客はすなわち偶合に驚いているのである。そして語り手もまた観客の一人であることに論を待たない。このあたりを第一次の偶合とするならば、第二次の偶合は精神の無線電信で諜し合わせたかのように二人の主人公がほぼ同時に亡くなる展開の仕方を指すこととなる。第一次と第二次の偶合の連鎖は語り手に何を意味したのであろうか。
I staggered back to the
table—my hand fell upon a cracked and blackened goblet—and a consciousness of
the entire and terrible truth flashed suddenly over my soul.[13]
(私はよろめきながら身をテーブルの方に引いた。ひび割れ、黒光りのする酒杯の上に私は手をかけた。すると恐るべき全円の真理が突然私の魂の上に閃いた)
偶合はランプのように光を放つ。そして「約束」ではそれはまるで稲妻である。偶合に照らされて二人の愛の深さが真実となる。ジェファーソンやアダムズの独立宣言文に対する愛、そしてモンロウの自由に対する愛がどれほど深いものであったかの真実を彼らの偶合劇はアメリカ国民に意識化させた。ポウはこの偶合劇をなぞりきって「約束」を結ぶ。
3
1834年の発表当時に「約束」を読んだアメリカ人たちは、今日の読者のほとんどが忘れてしまっている史実の演じた偶合劇の衝撃を無意識のうちに感得したであろう。ポウがこれ以後に偶合劇のパタンを愛用するにいたったきっかけは「約束」が彼に与えた手応えだったと考えられる。しかし彼は単なる型の繰り返しを避けた。彼は偶合劇の主人公の心理に深く入り込むことによってその悲劇性や喜劇性を強調するように努力する。1839年に発表された「アッシャー家の没落」に「約束」をもって開始された偶合劇の深化と発展を見ることができる。そして「約束」では使われなかった偶合の語がテキストの表層に浮かび上がる。偶合の型が明確化するとともに偶合を演じる主人公の精神的崩壊過程が作中に織り込まれた詩「幽霊屋敷」が象徴的に歌われる。しかし型の明確化を心理の象徴化が凌いでいるために「アッシャー家の没落」が偶合劇として「約束」の発展したものだと気付かれなかった。偶合という用語がテキストに表れるとき、それは没落の象徴の引き立て役にまわったと思わせるような使い方をされるので気付かれない点にやむを得ないところもある。物語の筋の進行と物語の中で朗読される物語の筋を一致させる技法、いわば劇中劇の手法は、すでにダンテがパウロとフランチェスカを用いて『神曲』中に素朴ながら示しているので、これをポウの独創と見なすことはできない。しかしこの一致はポウにとってあくまでも偶然の一致であって、ただの平行でないところに新しさがある。
ある嵐の夜、語り手であるアッシャー家の客人は、健康を害しているロデリックを慰めるべく騎士物語を朗読して聞かせる。するといつの間にか物語の中で発せられる物音と同質の音がロデリックの屋敷のどこかにしているのを語り手は聞きつける。
It was, beyond doubt the
coincidence alone which had arrested my attention; for, amid the rattling of
the sashes of the casements, and the ordinary commingled noises of the still
increasing storm, the sound in itself had nothing, surely, which should have
interested or disturbed me.[14]
(私の注意を引いたのは確かに偶合のみであった。何故ならガタガタいう窓枠の音となおいっそう募る嵐の発する入り交じった音の中で、音そのものは私の興味を引くところも心を乱す点もまったくなかったからである)
嵐の夜の聴覚における物音の偶合の次に続くのは人声の偶合である。語り手は後者の偶合を第二の偶合と呼ぶ。ここに連鎖している偶合は感覚の表面を撫でる程度の偶合としか受け取られないかもしれない。
Oppressed as I was, upon
the occurrence of the second and most extraordinary coincidence, by a thousand
conflicting sensations, in which wonder and extreme terror were predominant, I
still retained sufficient presence of mind to avoid exciting, by any
observation, the sensitive nervousness of my companion.[15]
(私は二度目に起こった世にも不思議な偶合に圧倒され、乱れに乱れた心は驚異と極端な畏怖の念に占められた。それでもあらぬことを口走って友人の感じやすい神経を刺激してはいけないと自制するだけの分別は残っていた)
物語中の叫び声と似た人声の偶合に対する語り手の反応を記述した箇所である。語り手は言葉によって十分それを意識化している。その意識化された部分で偶合は第一次と第二次の連鎖をもっている。しかし偶合という言葉を使わない無意識の領域でこのような聴覚的な偶合よりも大きな偶合を感得している。そしてそれを読者には視覚的に伝達する。視覚的偶合にも第一次と第二次の二段構造が見られる。早過ぎた埋葬から蘇った妹は双子の兄のもとを訪ね、語り手の目の前で兄は恐怖のため倒れ、妹も兄に折り重なって同時に息絶える。この同時死亡を第一次偶合とするなら、その場を大急ぎで立ち去った語り手が後ろを振り返ったとき、悲劇的な兄妹の遺体の残るままアッシャー家の屋敷が倒壊して大沼に呑みこまれる後の場面を第二次偶合と呼ぶことができる。なぜならアッシャー家の一門の滅亡とアッシャー家の屋敷の倒壊が同時に起こっているからである。意味内容からいえば第一次偶合の与える感銘を引き立てるために第二次偶合が用いられているといえる。同時死亡の人間関係が「約束」の場合、恋人同士であるのに対して「アッシャー家の没落」では双子に変えられて、いっそう緊密になっているだけに悲劇性も強まっている。マデラインとロデリックの二人はアダムとイヴの原罪を思わせる。したがってマデラインとロデリックの破滅にはどこか全人類的なところがある。審美的な「約束」の世界からポウは抜け出て「アッシャー家の没落」では倫理的な世界に入ってくる。同時に作品は寓意性を帯びる。ポウはジェファーソンとアダムズの同時死亡を逆立ちさせて使った。二人の革命戦士の死にアメリカ繁栄の基が見られる。彼らの同時死亡はアメリカ人の自由独立に対する信念を神聖化した。それは一種の神聖喜劇であった。ポウはそれを型にして「約束」「アッシャー家の没落」と立て続けに悲劇を作った。ただし史実とフィクションの扱う偶合劇の主人公二人の間にあるものは共通して第三者にはほとんど分からない共感である。
A striking similitude
between the brother and sister now first arrested my attention; and Usher,
divining, perhaps my thoughts,murmured out
some few words from which I learned that the deceased and himself had been
twins, and that sympathies of a scarcely intelligible nature had always existed
between them.[16]
(兄妹の顔だちがひどく似ていることがまず私の心を捕えた。アッシャーは、私の心を読んだのか、故人は彼と双生児であること、第三者にはほとんど窺い知れぬ共感が二人の間に通っていたことを言葉少なに語った)
アダムズとジェファーソンの間に独立宣言の共同署名者でなければ分からない共感が通い合っていたことであろう。ポウがマデラインとロデリックの間に設定している人間関係はまさにそのようなものであった。マデラインとロデリックは裏返しされたアダムズとジェファーソンである。ポウは「アッシャー家の没落」が発表されたと同じ年の一月後に「ウィリアム・ウィルソン」を発表して偶合劇の主人公二人を同一人物に仕立てる。その結果、作品の寓意性はさらに濃縮され、一篇は道徳劇の趣を呈する。
偶合劇を自ら演じた末に死期を悟ったウィリアム・ウィルソンは彼の生涯を振り返り、寄宿学校に入学した当初から物語を始める。彼が入学した日に同姓同名の少年が入学してきた。彼らは周囲から双子だと思われるほど何から何まで似ていた。それが告白者には小癪だった。学校生活の全面で瓜二つの少年は彼に対抗して、その出鼻を挫いた。卒業後もふと姿を現しては彼の邪魔をした。やがて彼は堕落していかさま賭博を覚えてしまった。いい鴨を見つけて賭金をせしめようとしたときに、またしても例のウィリアム・ウィルソンが現れて彼のすっぱ抜きをした。われを忘れた彼は剣を抜いて相手に致命傷を負わせる。善を象徴するウィルソンは悪を象徴するウィルソンにこういう。
In me didst thou exist
and, in my death, see by this image, which is thine own, how utterly thou hast
murdered thyself?[17]
(私の中にあなたはいたのだ。だから私の死に様はさながらあなたの姿を映し出している。すべてはあなたの自殺行為だったことを覚るがいい)
善と悪は相討ちになって両者は同時に命を失う。善は悪の暴走に歯止めをかけるのに成功した。悪は善に対して勝利することは出来なかった。善あっての悪である。共倒れの暗いドラマのようでいて、その根底に18世紀のポウプを連想させる人間観が窺われる。ポウは悪と善の戦いを引き分けにもち込ませた点からいってまったくペシミストではない。そして悪が独走を許されないのは、それが善の中に宿るという意味で偶合しているからである。したがって悪なるウィルソンは誕生日が善なるウィルソンと同じなのに気づかなければならない。
But assuredly
if we bad been brothers we must have been twins; for, after leaving Dr. Bransby’s,
I casually learned that my namesake was born on the nineteenth of January,
1813; —and this is a somewhat remarkable coincidence; for the day is precisely
that of my own nativity.[18]
(しかし、もし私たちが兄弟だったとしたら、確かに双子だったに違いない。というのは、ブランズビー博士の学校を出てから、私は思いがけなく例の同姓同名の男が1813年1月19日の生まれであることを知った。—これは何とも驚くべき偶合であろう。というのはその日はまさしく私の誕生日だからである)
ポウはジェファーソンとアダムズの同時死亡を原型として様々な変り型をもたらす。実は一人なのであるが、二人のウィリアム・ウィルソンは同時死亡ばかりでなく、同時誕生させられている。二人の元大統領の啓示した原型はポウにとって芸術的な変形を無限に可能にするものであった。悪を代表するウィルソンはいまわの際の告白を始めるにあたって次のようにいう。
I would wish them to
seek out for me, in the details I am
about to give, some little oasis of fatality amid a wilderness of error.[19]
(私がこれから述べようとする詳しい説明の中に、願わくは私のため過失の砂漠中の小さいオアシスのような宿命を発見して頂きたい)
以後、悪のウィルソンの詳しい告白を聴かされた読者は果たして「オアシスのような宿命」を捜し出せるであろうか。もし捜し出せたとするならそれはどんな宿命であろうか。これがそうだと捜し出せて初めて読者は語り手の願いを聞き届けたことになる。つまりテキストを読みきったことになる。ポウを含む西欧人に宿命のイメージはマイナスのイメージのはずである。そしてオアシスのイメージはプラスなのだから「オアシスのような宿命」は撞着となる。ポウの敢えて犯した表現上の矛盾を解くには、特殊な呼ばれ方をした宿命を偶合とするより他に方法があるまい。自ら犯した過誤に取り囲まれたポウの主人公にとって偶合は過誤を過誤として指摘する嫌な奴であっても、偶合は真理であるかぎり、魂に慰謝を与えられるからオアシスと呼ばれるのにふさわしい。オアシスという重要なイメージは峻厳な道徳劇に仕立て上げられた「ウィリアム・ウィルソン」に叙情性を与えている。遡って「約束」も「アッシャー家の没落」も語り手の偶合に対する反応が理性的ではなく、むしろ情緒的であるため彼の語りの内容そのものが叙情的色彩に彩られる。偶合を全面に押し立てた「約束」「アッシャー家の没落」「ウィリアム・ウィルソン」の三作におけるポウは偶合のロマン的時期にあった。1830年代でポウの偶合的ロマン主義期はピリオドを打つ。1840年代に入ると彼は語り手の偶合に対する反応から情緒を抽象して純粋な理性に主導権を与える。それは偶合の型の徹底と強化を意味した。またそれはポウにおける偶合のリアリズム時代の到来を意味した。夢のような偶合でなく、現実により裏打ちできる偶合によって彼は推理小説という新しいジャンルを創始する。
4
1841年に発表された「モルグ街の殺人」の語り手にポウがいわせる言葉は作者がこの作品以降のフランス人デュパンを主人公とする物語で何を試みようとしているかを明確に告げている。
Let it not be supposed, from what I have just said, that I am detailing any mystery, or romance.[20]
(今までいってきたことから、私が何か神秘的なことを説明したり、ロマンスを書こうとしているのではないかとなどと思わないで頂きたい)
ポウは偶合の型にのっとり「約束」「アッシャー家の没落」「ウィリアム・ウィルソン」で神秘的なことを説明したり、それらをロマンスとしてきた。したがって上記の文章は一種の訣別の辞であり、新出発に関する決意表明となっている。語り手がいう「何か神秘的なこと」には作品冒頭のa degree of
acumen which appears to the ordinary apprehension preternatural(普通の人には自然の限界を外れていると思えるような鋭敏さ)が含まれている点を確認しておきたい。それとともにpreternatural(自然の限界を外れている)の語が文化圏を異にする日本の英文字者の躓きの石になってポウ理解を妨げていたことをここではっきりさせておく。この語がsupernatural(自然の領域を超えている)との間にもつ相違は決定的である。キリスト教文化圏に属する人々にとって自明の相違がわれわれの側でいかに混同されてきたかは、これら二つの語をいっしょくたにして「超自然的」と翻訳するのが慣わしであった事実を見れば歴然である。そしてポウ自身これらの二語を有効に使い分けていたもうひとつの事実を知れば撫然とならざるをえない。ポウの偶合を理解する上にこれら二語の区別は不可欠だからこだわるのだが、ポウ自身二語に対する識別力をどこで養ったかという問題になると、彼のイギリス留学の成果を考慮に入れる必要が生じる。今日用いられている代表的な米英の辞書を引き比べると、区別の重要さを意識して語義をつけているのが英国の辞書であり、曖昧で簡単に過ぎるのがアメリカの辞書である。NEDの信奉者と喧伝されていた高名な学者がポウの翻訳に当たってpreternaturalをまったくsupernaturalと同じものとして扱ったため、その亜流はすべて余塵に汚染されている。ポウが偶合を信奉するということはpreternaturalなものを否定してsupernaturalなものを肯定するということに気がつきそうなものであった。preternaturalなものは学問的裏付けができないが、supernaturalなものは可能だというのが西洋の学問の成立する基盤であった。そして本来supernaturalな偶合を裏づける学問をポウは数学の革命的な分野、蓋然論に発見する。同時代において蓋然論の先進諸国のうち一頭地を抜いていたのはフランスであった。元フランス大使のジェファーソンはヴァージニア大学開学に当たって数学教育を重視する。ポウが革命的な蓋然論に開眼したところがあるとすればヴァージニア大学をおいて他ない。ポウの偶合認識と蓋然論発見は別々になされたであろう。それが後に不可分なものとして結びつけられたのが「モルグ街の殺人」だった。デュパンが最初に扱った殺人事件はこうである。銀行から預金をたくさん引き出した女性が、その三日後に殺害された。しかも現場にその金は放置されたままなのであった。パリー警察は犯行の動機を考えるが分からない。犯人の割り出しもできない。警視総監から依頼されたデュパンは捜査に乗り出し、密室殺人の謎を解く。パリー警察は動機にこだわり過ぎていた。殺人を侵したのはある船員のもとから逃亡したオランウータンであった。
I wish you,
therefore, to discard from your thoughts the blundering idea of motive
engendered in the brains of the police by that portion of evidence which speaks
of money delivered at the door of the house. Coincidences ten times as
remarkable as this (the delivery of the money, and murder committed within
three days upon the party receiving it), happen to all of us every hour of our
lives, without attracting even momentary notice. Coincidences, in general, are
great stumbling blocks in the way of that class of thinkers who have been
educated to know nothing of the theory of probabilities—that theory to which
the most glorious objects of human research are indebted for the most glorious
of illustration.[21]
(だから動機がどうだったのかなどとつまらないことを考えていてはだめだ。家の戸口まで金を届けたという証言のせいで、警察が動機ありと考えたことなのだから。届けられた金を受け取った者たちが三日以内に殺されるなんてことより十倍も不思議な偶合が、誰彼なくわれわれの日常に生じている。概して偶合は蓋然論について何も学ばなかった人々の考える筋道を阻む大きなつまずきの石なのだ)
デュパンが解決の糸口を掴むまでには観察し、分析し、熟考している。その結果モルグ街の殺人には動機がないと結論を下した。つまり犯行は偶合によって生じたと判断した。第一次の偶合は預金の引き出しの日時とオランウータン逃亡の日時の偶合である。第二次の偶合は飼い主に追いつめられたオランウータンが駆け登った建物の四階の窓がたまたま開いていたことである。その部屋に住んでいたのが不運にも被害者になった二人の女性である。デュパンは第一次の偶合と第二次の偶合を結びつける直感力があった。デュパンは確率の計算をしない。ただその計算をすればこの滅多に起こらないはずの偶合が起こりうるものであると直感する。彼はこの直感に基づいてデータの分析をする。彼は深い思索を行うわけではない。語り手はこのストーリーの前半で分析と単純な直感を称揚し、深読みをたしなめた。一篇を結ぶに当たって語り手は、前面に出ている偶合に取り合わずに深く見すぎる傾向を再び笑うのである。
Nevertheless,
that he failed in the solution of this mystery is by no means that matter of wonder
which he supposes it; for in truth, our friend the Prefect is somewhat too cunning
to be profound.[22]
(しかし警視総監がこの謎解きに失敗したのは、彼が考えるように事件が不思議なためではない。実はわれらが友なる総監は頭の回転が少しばかり良すぎて、深く見すぎるのだ)
皮肉な文章のsomewhatはI shall be only too happy to help youという文例におけるonlyの働きをしていると判断されるべきである。総監に深みが欠けていたのではない。ただ彼は真理を捜すべく裏通りに下りていき、それが発見できる表通りの坂上を顧みなかった。ポウの偶合劇の型が二代目大統領と三代目大統領の演じた厳粛な偶合劇であることを考えると、作品が秘めている風刺の痛烈さをあらためて思い知らされる。
サウス・カロライナのサリバン島を舞台にした次の偶合劇「黄金蟲」では、風刺の鋭さはユーモアの穏やかさに席を譲っている。ユグノーの末裔レグランド氏が偶合のもつれた糸を解きほぐすことによってキッド船長の埋蔵した宝物を入手するという喜劇をポウは書き上げた。作者が語り手にさせるサリバン島の描写は迫真的である。伝記に徴するまでもなくポウは軍籍に身を置いた一年足らずの短い間、島のモルトリエ要塞の守備兵を務めた。その時の体験が役立ったのは無論であるが、さらに重要なのはこの島がアメリカ革命の有名な古戦場であったことである。優勢なイギリス海軍をチャールストンの入り口で阻んだのは島を守る革命軍の善謀勇戦であった。各地で苦戦していた革命軍に守備隊の奮戦は勝利への意欲をかきたてた。ちなみにサウス・カロライナ州の<州植物>が棕櫚パルメットウなのはこれを資材として築かれた要塞がその弾性のために敵の打ち込む砲丸を無力化した故事による。そして革命軍の将校の一人をポウは祖父にもっていた。[23] ポウがサリバン島で培ったアメリカ革命についての歴史的感覚を無視できない。ポウは当然ながらジェファーソンとアダムズの啓示した偶合の型を「黄金蟲」の物語に踏ませている。すでにいくつもの偶合劇でもった経験は「黄金蟲」ではさらに豊富となり、偶合の連鎖は工夫されて精巧となる。偶合劇はむしろ偶合連鎖劇と呼ばれるにふさわしいものとなる。
レグランド氏が珍しい昆虫を採集できた日に語り手はたまたま島を訪ねる。それは十月半ばであったに拘らず、南部では異常に寒い一日で暖炉に火が必要であった。採集した昆虫を帰り道に顔見知りの守備隊将校に預けてきたレグランド氏は、羊皮紙に蟲の略図を描いて見せる。語り手にそれが彼のいう触角を欠いているといわれて腹を立て、暖炉にくべようとしたとき、レグランド氏は画面の異常に気がつく。そこには暗号文が綴られていた。ストーリーは偶合から暗号の解読、宝物の発見に進み、主人公は語り手に謎解きをする。
第一次の偶合と第二次の偶合の型は主人公に自ら二度にわたる偶合についての説明をさせる。
I say the
singularity of this coincidence absolutely stupefied me for a time. This is the
usual effect of such coincidence.[24]
(この偶合の奇妙さに私は呆然とした。このような偶合には誰でも私のように反応するであろう)
And then the
series of accidents and coincidences—these were so very extraordinary. Do you
observe how mere an accident it was that these events should have occurred upon
the sole day of all the year in which it has been, or may be, sufficiently cool
for fire, and that without the fire, or without the intervention of the dog at the
precise moment in which he appeared, I should never have become aware of the
death’s head and so never the possessor of the treasure?[25]
(それからというものは次々と偶発事件と偶合が生じた。どれをとってもみな異常だった。一年の内でも選りに選ってその日に集中するなんてことが全くの偶然だと気付かなかったかね。例えば暖炉に火を入れるほどの寒い日だったり、まあ多分そうだったのでしょう、彼が現れた時を狙ったように犬が
邪魔したりで、そんなことが続かなかったら、私は骸骨に気付かなかったろうし、宝物の所有者になることも全くなかったろう)
レグランド氏のこれらの台詞は偶合の讃歌として読むことができる。これを突き詰めていい換えればポウが作中人物に発信させた暗号文によるアメリカ革命の上演した偶合劇の讃歌としても読むことができる。この暗号文が解けないで「黄金蟲」に篭められたポウの志が読めたといえるであろうか。実はどれが一次やら、二次やら区別のつかぬほど錯雑した「黄金蟲」における偶合を、意識的に整理してそれを明確に記述した推理小説が「マリ・ロジェの迷宮事件」である。ポウの推理小説中最も素人受けのしない「マリ・ロジェの迷宮事件」が言葉ではっきり第一次と第二次と断っている点で、ジェファーソンとアダムズの啓示した偶合の型を最も明白に踏襲している。そう認めない限り何故ポウが先行の偶合劇をパリーに設定し、後行の偶合劇をニューヨークに設定したのかの謎は解けない。これまでの考察で明らかにしたようにポウにとって第一次あっての第二次偶合劇であり、第二次あっての第一次偶合劇である。ポウが語りたかったのはこのような偶合の連鎖であって、謎解きそのものではない。したがってポウが作品中に繰り返して宣言している言葉は文字通り信じられるべきである。なるほどデュパンは犯人の割り出しに没頭しているかのごとくである。しかしそれはあくまで偶合の不思議さを引き立てるための方便であるに過ぎない。ジョン・ウォルシュの調査によってニューヨークに起こったメアリー・ロジァース事件の深層とポウのテキスト改訂の経緯がさながら明らかにされたのは「マリ・ロジェの迷宮事件」の研究を確実に進めたことで認められる。[26] しかしこれはモデル捜しの例に漏れず、遂に作品の核心には触れないのである。ポウは古代が運命という言葉で表し、中世がそれを取り込んで摂理という言葉で表したものを、近世的言葉の偶合により文学的に表現しようと試みていたのである。では「マリ・ロジェの迷宮事件」の始めと終わりを飾る金文字とも呼ぶべき偶合についての文章を一部割愛しながら瞥見しよう。
The extraordinary details
which I am now called upon to make public, will be found to form, as regards sequence
of time, the primary branch of a series of scarcely intelligible coincidences, whose secondary or concluding
branch will be recognized by all readers in the late murder of Mary Cecilia Rogers,
at New York.[27]
(私が公表しようとしている不思議な事件の詳細は、時間的順序からいえば、あるほとんど理解を絶した一連の偶合の、いわば第一分肢をなすものであり、その第二、つまり最後をなすものは、最近ニューヨークで起こったメアリー・セシリア・ロジァース殺しの一件であったことは、おそらくすべての読者諸君が、承認されることだろうと思う)
I repeat, then, that I speak of these things
only as of coincidences. And further: in what I relate it will be seen that between
the fate of the unhappy Mary Cecilia Rogers, so far as that fate is known, and
the fate of one Marie Roget, so far as that fate is known, and the history
there has existed a parallel in the contemplation of whose wonderful exactitude
the reason becomes embarrassed.[28]
(そこで私は繰り返していうが、私はこれらの事件を全くの偶合として話すのだ。そしてさらに、私の話を聴けばお分かりになるだろうが、知られている限りでのメアリー・セシリア・ロジァースの運命は、同じくある時期までのマリ・ロジェの運命との間に類似性があり、それが寸分違わぬことを考えるとこちらの頭まで混乱しそうである)
ポウはヴァージニアで受けた偶合の衝撃と5年後にボルチモアで受けた酷似する偶合の衝撃からしだいに平静さを取り戻し、それらを反芻し、その意味を消化して彼の短編小説を作った。それが世界文学の中でどういう位置を現在占めているかについていまさら何もいう必要はない。そのようなポウの文学を支えたのがアメリカ革命の歴史との間にもった偶合という接点だったことを以上の考察でほぼ証明できたと考える。ポウが「モルグ街の殺人」の中で偶合を学問的に裏づけることのできる蓋然論を称えて“That theory
to which the most glorious objects of human research are indebted for the most
glorious of illustration”(人間の研究する最も輝かしいもろもろの対象について最も輝かしい説明をしてくれる理論)といったのは少しも誇張ではない。それはMITが1989年に刊行した二冊本The Probabilistic Revolution[29]に収められている各分野の専門的論文を覗くだけで十分うかがわれることであろう。政治史の革命が学術史の革命と連動していた事実に対する関心の増大を願い、並びに向後、ポウの年譜作成者はすべからく1826年のみならず36年の偶合をも記載事項に含むよう提案して本稿を結ぶ。
Thomas
Ollive Mabbott, ed., Collected Works of
Edgar Allan Poe, vols. II-III (Cambridge; Harvard Univ. Press, 1978). All
the quotations from Poe’s works are from this edition.
* 中野記偉、Professor of English
Literature, Sophia University, Tokyo
[1] E. A.
Poe, “The Murders in the Rue Morgue”, p. 545.
[2] Daniel
Hoffman, PoePoePoePoePoePoePoe (1972;
New York: Anchor Press 1973), p. 193.
[3] Dumas
Malone, The Sage of Monticello (Boston:
Little Brown, 1981), pp. 418-25.
[4] Mary
E. Phillips, The Edgar Allan Poe The Man (Chicago: John C. Winston,
1926), p. 236.
[5] Merrill
D. Peterson, The Jefferson Image in the
American Mind (New York: Oxford Univ. Press, 1962), p. 5.
[6] Arthur
Hobson Quinn, Edgar Allan Poe (New
York: Appleton, 1941), p. 28.
[7] John
Gassner, Aristotle’s Theory of Poetry and
Fine Art, 1927, p. 180.
[8] William
Mathews, Words: Their Use And Abuse (Chicago:
S. C. Griggs, 1876), pp. 292-93.
[9] 拙稿「ポウの偶合―ヘレン詩解釈への試み」Lingua, 1
(東京:上智大学, 1990), pp. 133-144.
[10] Oliver
Goldsmith, The Vicar of Wakefield, Peter Cunningham, London, 1766, The Works of Oliver Goldsmith (London:
John Murray, 1854), Vol. I, pp. 412-14.
[11] T. E.
Hoffman, “Doge und Dogaressa”, 1819, Taschenbuch
auf das Jahr 1819. Der Liebe und Freundschaft gewidmet, 深田甫訳、「ヴェネツィアの総督と総督夫人」『ホフマン全集4-IIセラピオン朋友会員・物語2』、(創土社
1987),
pp. 204-90.
[12] E. A.
Poe, “The Assignation,” p. 155.
[13] Ibid., p. 167.
[14] E. A.
Poe, “The Fall of The House of Usher,” p. 414.
[15] Ibid., p. 415.
[16] Ibid., p. 411.
[17] E. A.
Poe, “William Wilson,” p. 448.
[18] Ibid., p. 432.
[19] Ibid., p. 427.
[20] E. A.
Poe, “The Murders in The Rue Morgue,” p. 533.
[21] Ibid., p. 556.
[22] Ibid., p. 568.
[23] Hervey
Allen, Israfel, New York: Farrar and
Rinehart, 1934, p. 101.
[24] E. A.
Poe, “Gold-Bug”, p. 829.
[25] Ibid., p. 833.
[26] John
Walsh, Poe, the Detective (New
Burnswick: Rutgers Univ. Press, 1968), p. 154.
[27] E. A.
Poe, “Mystery of Marie Roget”, p.
725.
[28] Ibid., p. 773.
[29] Lorenz Krüger, Gerd Gigerenzer, and Mary S. Morgan, eds., Ideas in History, The Probabilistic Revolution, 1 (Cambridge: MIT Press, 1990); Lorenz Krüger, Lorraine J. Daston, and Michael Heiderberger, eds., Ideas in Science, The Probabilistic Revolution, 2 (Cambridge: MIT Press, 1990).