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第3回研究会報告

日時:2001年6月16日(土)13:00-18:30
場所:上智大学四ッ谷キャンパス7号館11階第2会議室

1. アラビア文字とその伝播 東長 靖(京都大学)

まず,アラビア文字の基本について説明が行われた.アラビア文字の特徴として,子音のみを標記すること,そのため母音の表記方法に工夫があること,大文字・小文字の区別がないことなどが指摘された.その他,アルファベットの現在の並べ方やその起源,文字の書き方,書道の書体のバリエーションについての説明もなされた.

次に,アラビア文字の起源,および,アラビア文字がアラビア語以外の言語を表記する手段としてアフリカや西アジア,南アジア,中央アジア,東南アジア,東アジアなどに伝播していったこと,そして,その際,それぞれの言語を表記するために様々な工夫が加えられていったことが論じられた.アラビア文字,ギリシア文字,いわゆるローマ字など,世界各地で用いられているアルファベット文字体系は,フェニキア文字という共通の起源を持つ.フェニキア文字とは,22の子音字からなるフェニキア人が用いた表音文字であり,それがアラビア語を表記するために発達したのがアラビア文字,ラテン語を表記するために発達したのがローマ字である.フェニキア語の子音を示す表音文字を用いて異なる言語を表記しようとする場合,母音と当該言語固有の子音をいかに表現するかという問題が生じる.この問題に対し,諸言語では(1)一部の文字に改良を加えるなどして新たな子音文字を付け加える,(2)一部の子音文字に母音文字としての機能を持たせる,(3)母音文字を創出する,などの工夫がなされてきた.

たとえば27文字からなるギリシア文字のアルファベットは,母音やギリシア語固有の子音を表記するためにフェニキア文字に工夫を加え,新たに創出した5つの文字を補足したものである.エトルリア文字はそれにさらに,エトルリア語表記に適した工夫を加えたものであり,ラテン文字は同様に,エトルリア文字をラテン語に適するように工夫を加えたものである.現在,我々が用いている英語のアルファベットは26文字から成るが,これは古典期ラテン語の文字に,英語表記に適した工夫を加えて完成したものである.

現在アラビア文字で表記されている言語としては,ペルシア語,クルド語,ウルドゥー語,シンディー語,カシミール語,ウイグル語,ベルベル語などがある.トルコ語,ウォロフ語,ハウサ語(アジャミー),フルフルデ語,カヌリ語,スワヒリ語,マレー語もかつてはアラビア文字で表記されていた.また,中国語の音をそのままアラビア文字で表記するということも行われている.これらの多くは,アラビア語の属するアフロ・アジア語族(セム語族)とは違う言語体系に属しており,それらをアラビア文字を用いて表記するために,各言語では特別な工夫がなされてきた.報告では,その代表的な例としてペルシア語,オスマン・トルコ語,ウイグル語がとりあげられ,それぞれについて(1)アラビア語にない子音を表記するための工夫,(2)当該言語にない音でも借用原語にあるために残っている文字,(3)アラビア語と比べた際の留意点,(4)母音表記の工夫,が紹介された.

上記各言語の表記方法の特徴は以下のとおりである.

アラビア文字を用いた非アフロ・アジア語族系諸言語の表記体系の差異をごく単純化して述べると,一方の極には伝統を重視するために文字体系としては無理のあるオスマン・トルコ語の表記方法があり,もう一方の極には,明快さを追求して伝統を破壊したウイグル語の表記方法があるといえる.マレー語ジャウィ表記方法は,この両者の中間くらいに位置している.母音は短母音6個(a, e, 弱いe, i, o, u)と二重母音2個(ai, au)を合わせて8つあり,アリフ,ヤー,ワーウで表記する(ただし,これらの半母音文字を表記しない場合がある).子音はアラビア語の28文字,アラビア語に存在するが普通はアルファベットに数えられないラーム・アリフ,ハムザの2文字,ペルシア語からの借用文字1個(c),ペルシア語からの借用文字の変形1個(g),マレー語固有の子音を表わすためにアラビア文字に工夫を加えて新たに創出した文字2個(ny, ng),合計34個である.

アラビア文字が,母音を表さず,イスラーム世界の諸言語を表すのに必ずしも適していないという不便さにもかかわらず,使われ続けた(あるいは現在でも使われ続けている)のには,イスラームが大きな原因となっていると考えられる.キリスト教の場合には,元来の聖書の言語であるヘブライ語やアラム語でなく,ギリシア語やラテン語への翻訳をした後で(あるいは翻訳をしたことによって),キリスト教が各地に広まったという事情がある.

これに対して,イスラームの場合は,アラビア語のクルアーンが確立してしまってから,他言語文化圏に広がったものであり,クルアーンやアラビア語の聖性を無視することができなかったものと考えることができる.キリスト教におけるギリシア語・ラテン語も宗教的な重要性をもってきたが,イスラームにおいてアラビア語が「神のことば」そのものと信じられることを考えれば,アラビア語そのものの持つ聖性は,キリスト教の場合とは次元を異にする.その意味では,近代に入ってからの,トルコ,マレーシア・インドネシアなどのローマ字採用や,ウイグル語によるアラビア語の原綴無視は大きな変化と言えよう.他方,旧ソ連崩壊以後の中央アジアなどでアラビア文字への回帰が一部で見られたことも,このような問題の一環として考えることが可能と思われる.(川島 緑+東長靖)

本報告は,アラビア文字表記の起源と伝播を,時間的には古代から現代まで,空間的にはアフリカから東南アジアまでの大きなスケールでとらえ,その中にマレー語ジャウィ表記を位置付ける斬新な試みである.東南アジア研究者は,ジャウィ文書に関して,時間的には13世紀末の「東南アジアのイスラーム化」以後,植民地行政が導入した現地語ローマ字表記の普及以前の時期に,また,空間的には島嶼部に限定してその重要性を認識する傾向が強い.だが,ジャウィ表記を通じて東南アジアにもたらされたり,それによって東南アジアの人々が発信したことばや概念,思想をより深く理解するためには,より大きな時間,空間において展開された人間の諸活動を視野に入れる必要があることを痛感した.アラビア文字の伝播以前にインド系文字表記が使用されていた東南アジアで,アラビア文字の伝播,受容,既存の文字表記体系との関係がどのように展開されたかは,興味深い問題である.また,各言語がアラビア文字表記に加えた工夫について報告者が指摘した4つのポイントは,マレー語ジャウィ表記の時期的変化や,ブギス語,ジャワ語,タウスグ語,マラナオ語など,他の現地語のアラビア文字表記(広義のジャウィ)を比較検討する際に有益な枠組みを提供している.(川島 緑)

2. ジャウィ綴りの書き方と読み方:母音を中心に 山本博之(東京大学)

本研究会では,ジャウィ綴りの基礎を学ぶための教材として,Abdul Razak Abdul Hamid & Mokhtar Mohd. Dom. Belajar Tulisan Jawi (Learn Jawi). Petaling Jaya: Penerbit Fajar Bakti.(教材A)を用いている.この教材は,現代マレーシア語のジャウィ綴りをマレーシア語と英語の両方で解説したもので,練習問題も豊富にあり,独習書としてすぐれている.報告者は,この教材の中からジャウィの読み書きにとって最低限必要な知識を厳選して「ダイジェスト版」手引書を作成し,それに基づいてジャウィ綴りの要点を説明し,若干の練習を通じてその知識を確認した.「ダイジェスト版」が扱う項目は以下のとおりである.

アラビア文字の形,母音alif(子音にはさまれたa,「弱いe」,語尾のa),母音yaとwau(母音+i/e/y, CVCのi/e, u/o/w),接辞と慣用的な表記(接頭辞,接尾辞,慣用綴り,その他)

教材Aを端から端まですべて独習するには,かなり多くの時間がかかるので,その内容にメリハリをつけてコンパクトにまとめたダイジェスト版とそれにもとづく解説は,なかなか十分な独習時間を取れない参加者にとって大変ありがたい.報告者の労を多とする.(文責:川島 緑)

3. ジャウィ入門(マレーシアの教科書を使って)(3)(教材B) 黒田景子(鹿児島大学)

前回,前々会に引き続き,それぞれの教材に基づいて,説明が行われた.

4.ジャウィ入門(西スマトラの教科書を使って)(3)(教材C) 服部美奈(岐阜聖徳大学)

前回,前々会に引き続き,それぞれの教材に基づいて,説明が行われた.