「同時多発テロ」とテレビ 2001年10月号


「多くのニューヨーク市民にとって、今日という日は、自分たちの知っている世界が終わりを告げた日になるだろう」―ニューヨーク・マンハッタンの南部、グリニッジ・ビレッジに住む知人の大学教授は、電子メールでそんな風に書いてきた。
 テロリストに乗っ取られた旅客機が二機相次いで世界貿易センタービルに突っ込み、「ツインタワー」と呼ばれる双子の超高層ビルはもろくも倒壊した。テレビでその映像を見ていなければ、にわかには信じられない出来事だった。



  映像の説得力

 ニューヨークとワシントンを襲ったいわゆる「同時多発テロ」の報道で、テレビの威力をあらためて痛感させられた。一機目が突っ込んだ十数分後、テレビカメラが現場中継するまさにその目前で、二機目が激突して巨大な火の玉がビルを覆った。その様子を世界中の視聴者が現場にいる人たちと同じように、ある意味では現場近くの人たちよりさらに鮮明に、目撃した。
 そしてそれに続いて、百十階建てのビルが煙とほこりに包まれて大地に沈み込むように崩れ落ちていく様も、テレビでくっきりと映し出された。このテレビの映像がなければ、おそらくどんなに優れた新聞記者の文章の力をもってしても、このニューヨークを象徴する超高層ビルが一瞬のうちに姿を消したことを納得させることはできなかっただろう。
 テレビ報道の威力は、この映像が持つ説得力と、その即時性が持つ衝撃力である。
 かつて遠い国の戦争はあくまで遠くの出来事に過ぎなかった。その悲惨さが伝わる(本当に伝わることがあるとしても)までには、相当の時間を要した。ベトナム戦争は、テレビが戦争報道で大きな役割を果たした最初の戦争だった。米国が敗北したのはテレビの報道のため、と少なくとも保守派の米国人は信じていた。しかし当時のテレビ報道はまだ、ベトナム現地の状況を同時中継で時々刻々伝えるというものではなかった。
 テレビの現場中継がふんだんに使われた最初の戦争は、湾岸戦争だった。米軍によるバグダッド攻撃開始をテレビはいち早く中継で伝えて、即時性の威力を見せつけた。

 

 五千二百万世帯が視聴

 それから十年、メディアを取り巻く環境は一段と大きな変化を遂げている。インターネットの普及が新しいメディアの登場を象徴している。テレビそのものも、かつての地上波ネットワークの領域をケーブルテレビ、衛星テレビが侵食し、デジタル化の進行とともに急速に多チャンネル化が進んでいる。
 しかし今回の「同時多発テロ」報道を見た限りでは、伝統的なテレビ報道が総合的な力に優っていたことを認めざるをえない。
 米国の地上波ネットワークは、事件直後から通常番組を特別編成に切り換え、コマーシャル抜きで事態の推移を報道した。ケーブルテレビも、CNNなどのニュース専門局はもとより、映画、娯楽、スポーツ専門局なども通常番組に代えて、それぞれの系列ニュース局などの特別番組を伝えたという(『ニューヨーク・タイムズ』九月十二日付)。
 四つの地上波ネットワークを合わせた当日の視聴率は三八%、視聴世帯に換算して四千万世帯に上った。これに加えてケーブルテレビ各局の報道を視聴した世帯が千二百万世帯に達し、合計すると、全米のテレビ保有世帯一億五百五十万世帯のうち五千二百万世帯が、事件の報道を目にしたことになるという(「インサイド」ウェブページ九月十二日)
 今回はまた、個人のビデオ・ジャーナリストが撮影した映像や、現場に駆けつけた記者がとっさに観光客らしき人から五百ドルで小型ビデオ撮影機を譲り受けて撮影した映像なども放映された。ビデオ機器の普及がテレビ報道に寄与した事例といえる。

 

 速報に役立たず

 これに対してインターネットは、少なくとも事件発生当初の数時間、ニュースの速報に関しては大きな役割を果たせたとは思えない。筆者自身、事件発生の一時間後あたりから、主だった米国の新聞、放送、通信社のウェブサイトに繰り返しアクセスを試みたが、ほとんど成功しなかった。なかなかつながらなかったし、つながっても反応が遅くておよそものの役に立たなかった。
 それぞれのウェブサイトへのアクセス数が普段の十倍にも達したというから無理もない。しかしそれ以上に問題と考えられるのは、ウェブサイトの中身に速報の名に値する情報が送り込まれていなかったと見られることである。『エディター&パブリッシャー』(ウェブサイト九月十二日)によると、『ニューヨーク・タイムズ』がウェブサイトの読者に事件の一報を電子メールで発信したのは、最初の旅客機激突から一時間十七分も経ってからのことだったという。他の主だった新聞のウェブサイトでも、事情は似たようなものであったらしい。
 文字情報を優先した結果ですらこうだから、まして映像情報の提供も含めて考えると、インターネットはとうてい、テレビの競争相手ではありえなかったといえる。将来ともそうだというわけではないが、この種のニュース速報に関する限り、インターネットの役割にはおのずと限界があることがわかる。

 

 修羅場への備え

 日本のテレビ報道も、米国のネットワークの映像を使用したと思われるだけに、各局共通のものが多かった。初期の段階の情報も多くは、CNNやAP、ロイターなどの速報に依存していたようで、これもある程度、仕方のないことといえる。
しかし現地のニューヨーク支局やワシントン支局との連携が必ずしもスムーズではなく、局によってはおざなりな情報や観測を伝えるのに精一杯、といった様子まで画面にうかがえて、見ていて気の毒に思える場面もあった。東京であれ、現地であれ、こうした修羅場になると、普段の勉強や取材態勢の整備のよしあしが目に見える形で表れてくるからこわい。
 当日と翌日くらいまでの特別番組は、ほとんどの局が中東問題や危機管理問題の専門家をゲストに招いて事件の背景をあれこれ推測する形をとっていた。局が違っても登場する専門家の顔ぶれは重なっているなど、いずれも似通ったつくりになっていて、代わり映えしない。修羅場で他局と違った工夫の跡を出せるかどうかも、それぞれの局の力量を計る物差しになるかもしれない。
 日本の新聞報道で気になったことを一つ。事件の一報が入り始めたのが日本時間十一日午後十時前後。二機目の旅客機激突が十時過ぎ、ペンタゴンへの激突が十時半過ぎ、という経緯を経てこれが大規模な「同時多発テロ」であることがはっきりしてきたのは十一時前後だったろう。朝刊最終版の締め切りを二時間あまり後に控えて、新聞はそれぞれに事態に即した紙面を作っていたと思う。
 ただいくつかの新聞が最終版にテロを糾弾する社説まで収めていたことに、ひっかかった。その早業には感心する。しかし社説の掲載をそこまで急ぐ必然性があるのだろうか。発生からわずか一、二時間では事態の全容が十分にはつかみきれていないはず。その段階では、形ばかりのものしか準備できまい。読者としては、拙速の意見より、熟慮したうえでの見解を読みたいものである。

 冒頭の大学教授は「ニューヨークは自分たちにとって、もはやこれまでのニューヨークではない」とも書いている。別のニューヨークの友人は「あの日以降、道行く人たちの表情が変わった」と伝えてきた。ニューヨークだけでなく、世界もまたあの日以前とは異なる世界に足を踏み入れたといえるかもしれない。

 

 

目次ページへ戻る